プロジェクトレポート
2013年05月30日 Thu
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第11話です。
一週間に1回の更新でお送りしています。
「高円寺の家」施主
第十一話
「タブーを破って西日建築。わが家も浄土寺の後光気分」
松井事務所に「木組みの家に住んだ感想を書きたい」と掲載を持ちかけたのはわたしの方だったのです。
松井さん側としては、わたしの書くものがどんなレベルの文章なのかわかりませんから、当初は慎重な姿勢を見せていました。
建築には素人ですが、お陰さまでどうにか破綻なく11話まで進めることができました。
「13話まで」とわたしが設定した連載も、これを含めてあと3話を残すのみとなりました。
第9話の中で、玄関と居間を仕切る格子戸のお話をしました。
「浄土寺格子をイメージしたもの」とあったのですが、「浄土寺格子」とはわたしには初めて耳にする言葉だったのです。
ネットで「浄土寺格子」を検索してわかったのは一般的な建築として、西には窓を設けてはならないというタブーの存在があるということでした。
そして、西日建築の傑作として浄土寺があげられていたのです。
そういえば、昔から、「西に窓をあけると、泥棒が入る」という言い伝えがあったことが思い出されます。
これは、「夜に爪を切ると、親の死に目に会えない」という俗諺(ぞくげん)と同じで、行為をたしなめるものとしてあったのかもしれません。
わたしがこれを知って驚いたのは、わが家では食事室の西側に大きな窓を開けていたからです。それは一般的にタブーだったのです。
わが家の立地は、南側に2階建てのアパートがあり、東側は通りに面しています。
ですから、明かりを採る窓は、西にしかなかったのだろうと思われます。
家の完成は12月。
わたしは、まだ冬、春しか住んでいませんので、夏の西日がどれだけ猛威をふるうのか、まだ経験していません。
設計事務所の施工では、ガラスを熱線が通しにくいものにしたり、遮光のブラインドを設置したりと西日の対策は万全です。
兵庫県にある浄土寺浄土堂には、快慶の作といわれる阿弥陀如来像が安置されています。
像は東側に向かって立っており、背後(西側)には格子が配された光の採り入れがあるようです。
西側の窓です。ここに、「浄土寺の格子」が出てきます。
強い西日がこの格子を通して射しこみ、お堂の朱色の床に光が反射して、像の背後を照らし出します。まるで阿弥陀如来像に後光がさしているような効果をもたらすものだと、いわれています。
寺の関係者は、「夏至で、太陽が一番高く位置するときが、この浄土堂の見ごろだ」とおっしゃっています。
お日様が一番、真上のときが格子を通して床を照らしやすいのでしょうね。
浄土寺の格子はもっとキメの細かい格子で、格子の中にまた小さな格子が入っていると、わが家の設計士さんにお聞きしました。
「そうすると光がより散らばりやすいと考えられたのでしょう」と。
浄土寺では、西日は怖れるものではなくて、待望されるものとしてあったのです。
ここに浄土寺が西日建築の傑作といわれる所以があるのかもしれません。
仏像には興味がなかったのですが、建物と一体となって演出された阿弥陀如来像は、一生に一度は見てみたいものとしてわたしの前に出現してきました。
これもみんな「浄土寺格子」という語彙にふれたおかげです。
しかし、兵庫県はわたしにとっては、あまりにも遠い場所で、いつ実現できるかわかりません。
それで、よい考えが浮かんだのです。
それは、わが家も、せっかくタブーを破って西日建築にしていただいたのですから、西の大窓に浄土寺格子をはめ込んでもらえないか、という妙案だったのです。
そうすれば、わざわざ兵庫県に出向かなくても、わが家が「浄土寺気分」です。
熱線を通さないガラスを採用した。
遮光カーテンの設置。
と西日を怖れる施工をしていただきましたが、積極的に西日を楽しむことができれば、もっと楽しくなります。
わが家の食事室は、真っ白な漆喰の壁で囲まれています。
西側の大窓に「浄土寺格子」がはめ込まれれば、それを通した光と陰が、この白い壁に映しだされることになります。
いったいどんな陰影が生み出されるのか、想像するだけでワクワクします。
でもこれはまだ、わたしの中の妄想でしかありません。
わたしは、高円寺の家を建てるにあたって、設計士さんに何も注文をしなかったと、申し上げてきました。
で、今回、はじめて松井事務所にこの「格子をはめ込みたい」という希望を切り出したのです。
わたしの素人考えですから、玄人がどう答えるのかわかりません。
緊張する一瞬。
すると松井さんは、「おもしろい。やりましょう」と言ってくださったのです。
はなしはトントン拍子にすすみ、
それで、格子の設置は7月に決まりました。
その光と陰を楽しむ内覧会を開催しようということが、新たに提案されたのです。
今回の内覧会にお越しになったみなさん、
そして木組みの家をまだご覧になっていないみなさま、
浄土寺格子の効果を楽しむために、あらためてわが家で内覧会を実施いたします。
西日建築の醍醐味をみなさまと共に味わいたいと思います。
ぜひご来場ください。
第一話、第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話、第八話、第九話、第十話
「高円寺の家」はたくさんの挑戦がありました。
狭小地で広い空間づくり。
木組みの準耐火建築。
どこからでも見える庭。
全室をエアコン一台でまかなう省エネ。
太陽光発電による木組みのスマートハウス。
そして西日を利用した採光計画です。
Kさんのご提案は、この家のデザインとも合致したものでした。
ホールの格子戸は、浄土寺のイメージもとに、家の雰囲気にあわせて格子の隙間を大きくしたデザインです。
今度は西日を楽しむために、細かく美しい格子をつくります。
次回のお住まい内覧会を、どうぞご期待ください。
2013年05月30日 Thu
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第12話です。
一週間に1回の更新でお送りしています。
「高円寺の家」施主
第十二話
「防災としての木組み そして、フケが出なくなった」
この回は、防災としての「木組み」をレポートしたいと思います。
その前にわたしのもうひとつの身体的変化を報告します。
わたしの永年の悩みは、冬場になると頭皮からフケ出ることでした。
たぶん、身体が乾燥してしまうからなのでしょう。
対策として洗髪のあとに頭皮に保湿のオイルを塗り、フケを防御するのが毎年のならわしでした。
しかし、この冬はそのオイルの出番がありませんでした。
フケが出なかったのです。
家に備わる調湿性能のお陰で、身体が乾燥しなかったものと思われます。
日本の気候の特徴は、冬場の低温・乾燥、夏の高温・多湿です。
冬は乾燥するから余計に低温が身にしみるし、夏になると多湿のために高温がより激しく感じるのがわが国の気候風土といわれています。
夏の同じ気温でも、乾燥しているハワイと湿気のある東京では快適さが違うというのは、よく聞かれる話です。
それなら、湿度を調整することが出来れば、快適な住生活ができることになります。
昔のひとはそう考えたのかもしれません。そうやって試行をくり返しながら日本家屋は姿を整えていったのでしょう。
わたしは去年12月にこの家に入居すると同時に、デジタル式の湿度計を購入しました。しかし、気温には馴染みがあるけれど、湿度計は見慣れない。
ネットで調べると、「40%~60%」の範囲なら生活するのに快適な湿度とあります。
以来、起床すると同時に湿度計を見るのがならわしとなりました。
この冬、外がどんなに乾燥しても、室内は常に40%が確保されていました。
それでわたしの身体がむやみに乾燥しないで済んだのです。
無垢の木と漆喰の壁によって守られたのかもしれません。
湿度が保たれていると、同じ「気温5度」でも体感温度がやっぱり違うのです。
第1話でレポートしたように、それで暖房器具を使わないでも暮らすことができました。
フケが出なかった、というのはその副次効果だったのかもしれません。
わが家にはありませんが、畳にも湿度を調整する機能があるといわれています。
知れば知るほど、日本家屋が持つ智慧の奥深さに驚かされます。
わたしは、前々回のレポートで室内の空気の清浄感を言いました。
そして、今回は身体におよぼす保湿作用に気づいたのです。
もしかすると、この家に暮らし続けることは、身体の美容にとても良い影響をおよぼすのではないかと思ってしまいます。
これから高温多湿の夏場になります。
酷暑といわれる季節の中で、この家が、住んでいるわたしの身体にいったいどんな影響をおよぼすのか、今から楽しみです。
さて、今日のテーマは「防災としての木組み」です。
昔から言われている「怖いもの」。
「地震・かみなり・火事・おやじ」。
怖いものの筆頭にあげられているのが、「地震」です。
いくら日本の家屋が「湿度調整」機能を持っていたとて、この「地震」に対する手立てにぬかりがあっては、もともこもありません。
ところが、この「木組みの家」は、地震に対しては自信があったのです。
「籠を編んだものとして建物をイメージとしてください」と、最初に、この家の設計をお願いする時に、松井事務所から説明を受けました。
なるほど、籠を編んだものだったら、地震でどんな揺れがきても平ちゃらです。
「木に金具でつないだ建物が大きな揺れにあったとしたら……。木よりも金具が強くて、木材を壊れしてしまいます。
しかし、木だけで組んで貫を入れた場合、揺れがきてもお互いにがっしりとスクラムを堅くするだけで、影響は少ないのですよ」。
ここに、松井建築設計事務所が、あえて「木組みの家」と標榜するだけの秘密があったのです。
一番、わかりやすいのは、第3話でご紹介した、「蔵のギャラリー・結花」の証言です。
「結花」というのは、所沢の駅前開発で解体を余儀なくされた薬種問屋の見世蔵を、増田さんという建築士が惜しんで、松戸市に移築したものです。
ここで娘さんが喫茶店を開いています。その店名が「結花(ゆい)」。
前回、「170年」と申しましたが、正確には築130年の歴史があるといわれているものです。
木組みの家の元祖。
わが家の「入魂(たまいれ)」をしてくれた甥が、今年の初めに、この2階でライブをしたので、出かけてきました。
その本番前に、3.11の地震の話が出たのです。
「あの時、揺れはあったけれど、棚のコップひとつ落ちなかった」と増田氏の夫人から衝撃的なお話をお伺いしました。
どうしてこれが衝撃的なのか。
当時、地震にあった人たちの証言は、住まいは倒壊こそしなかったものの、揺れの大きさで食器棚にあった器がみんな落ちてしまった、というものが多かった。
増田夫人のお話をわたしの隣で聞いていたのは、わたしの家の設計にも関わった赤川さんという建築士なのですが、
この方は、自宅マンションに骨董品を飾っておいて、それがみんな落下して壊れてしまった、と述懐しています。
「結花」は1階で喫茶店を経営しています。
写真でおわかりの通り、壁の上のほうにまで棚をつくって食器類を並べています。これがあの揺れで「ひとつも落ちなかった」というのが、やはりわたしには衝撃的にきこえたのでした。
畏るべし、「木組みの家」。
日本は自然災害の多い国です。
地震、高温多湿、低温乾燥。
くり返しになりますが、これらに耐えるために長年月をかけて工夫されてきたのが日本家屋の特徴だったのではないかと、わたしは素人ながら考えるのです。
その建築様式が、今は業界の主流から外れているというのも、なんとも惜しい気がします。
ただ、弱点はあるのですね。
「怖いもの」の三番目にある火事に弱いということです。
考えてみれば、日本家屋は燃えやすい材料で構成されています。
木→柱、床、天井、木戸、構造材
紙→襖(ふすま)、障子(しょうじ)
草→畳(たたみ)
泥→漆喰(しっくい)
石造りの欧米人にはとても想像できないでしょうが、日本の家屋はこうした天然素材で構成されているのです。
そのぶん、火には弱い。
「火事は江戸の華」なんて言って、江戸っ子は強がっていました。
でも、いつまでも木造建築が火事に弱いわけではありません。
現代の智慧だって導入されているのです。
「もえしろ設計」という火事に強い建て方があるらしいのです。その説明は、巻末で松井事務所からしていただきましよう。
耐火について
ここでわたしから言えるのは、地域的なことがらです。
この家が建つ「高円寺」は東京都から「新防火地域」に指定された場所です。
住宅密集地に燃えやすい建物を建てない、というのがこの新防火地域の考え方のようです。
でも、その中で木組みの家は許可された。
これは木造であっても燃えにくいと、お国から判定された結果なのだと思われます。
火事に対応できるのならば、
木組みの建築は、湿度調整にすぐれ、地震に耐えて、火事にも強いという
日本の気候風土にもっとも適した工法なのではないかと、わたしには思えるのです。
第一話、第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話、第八話、第九話、第十話、第十一話
「松井事務所」より
「木組みの準耐火建築物」である「高円寺の家」は、
通常の木造住宅よりも、火災に対してずっと強くできています。
先ず、構造をつくる柱や梁が太くなっています。
火事で燃えた時に、構造材の表面が45分間燃えつづけても、
燃えていない部分で、建物を支えることができる太さで設計しています。
これを「燃えしろ設計」といいます。
また「Jパネル」という杉の無垢板を三枚重ねたパネルを使うことで、
屋根や2階の床も、普通の建物よりも火事に強くなっています。
内部仕上げの漆喰は「不燃材料」として建築基準法でも定められていますので燃えません。
外壁はモルタルを20ミリ塗った上に、無垢板を張ることで、さらに防火性能を向上しています。
本格的な木組みの家の準耐火建築物として、林野庁、東京都からも職員の方が見学にお見えになりました。
日本住宅新聞、日本木材新聞、新建ハウジング、林政ニュースにも掲載され業界でも話題になっています。
防火規制の厳しい都会の住宅密集地でも、無垢の木をふんだんに使った木組みの家を建てることができます。
2013年05月30日 Thu
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナー、Kさんによる連載エッセイです。
「高円寺の家」施主
第十三話
「設計した人たちが『自分も住みたい』といった家」
今回でこの連載も最終回をむかえます。
テーマ別にして書かせていただいたので、どうしてもそこから漏れてしまうものがあります。
それで、今回は、漏れてしまった3つのことを述べさせていただきます。
最初のひとつめは、「木組みの家の電気使用の事情」です。
25年5月の電気料金の支払いは、差し引き「200円」でした。
何とも刺激的なタイトル。
これには事情があります。
この家を建てるときに、ソーラーパネルを設置する契約をしました。
どうやら、このパネルは、屋根全部ではなくて、南側の屋根にのみつけるらしいのです。
わが家は狭小で、南側の屋根は少しのスペースしかありません。
ですから、パネルは最小限のものを設置するしかありませんでした。
まだ、ソーラーパネルが未経験の方にご説明します。
パネルをつけることが決まったら、電気メーターがふたつ設置されることになります。
「買電」→電力会社から買う電気
「売電」→パネルの発電で電力会社に売る電気
毎月、東京電力の検針員の方が、2つのメーターを計ってくれます。
「買電」の方は、わたしはひとり住まいだし、昼間は仕事にでていますから、夜間のみの使用。それほどの消費量ではありません。
月で平均すると4000円程度の請求を受けます。(60アンペア契約)
問題は「売電」の方です。これはお日様の角度、日照時間に影響を受けます。
半年間のデータを示せば、
2月 1800円
4月 2500円
5月 3500円
の売り上げになったことに。
5月、6月は夏至にちかくなって、いちばん売り上げの良い時期になっているとお考えください。その上で、25年5月における、わが家の電力使用量の実態をお知らせします。
「買電」 3700円
「売電」 3500円
差し引けば、電力会社への支払いは「200円」ということになるのです。これからお日様の角度もかわって、だんだんと発電量は落ちていくものと予想されますが、ピーク時の電力事情はこうだったのです。
わたしはこれまでの12回の連載で、「木組みの家」という伝統的な工法について申し上げてきました。
でもソーラーパネルというのは現代的な機能です。「木組み」という昔ながらのやり方を踏襲しながら、そこに新しいものを導入して住宅の性能をあげていくというのは、とても現代的な伝統文化の採り入れ方だとわたしには思えるのです。
そして、ふたつ目の漏れです。
それは、どうして連載をしてまで、わたしが木組みの家を宣伝してきたのか、ということです。連載は13話つづきました。これだけでも、ただ事ではありません。
その上に、わが家での内覧会は今年8月に予定しているものを含めると完成から半年間に3度開催することになっています。まるでわたしの家は松井事務所のモデルルームの様相。連載といい、モデルルームといい、「親戚でもないのに、どうして、そんなにまでするの?」という声が聞こえてきそうです。
答はたったひとつしかありません。
わたしが「木組みの家」という伝統工法に惚れてしまったからなのです。
「こんな素敵な家をみんなに見ていただきたい」というのが、わたしの根本にあるのです。
だから、文章にしてお伝えしようとするのだし、内覧会をして実際に見ていただきたいと思ってしまう。
5月の内覧会のときには、わたしはわたしで手製のポスターを作って、玄関先に張り出したりしました。
近所の人、みなさんにこの家を見て貰いたいのです。
おもしろいのですよ。
松井事務所でわたしの家の設計を担当した方は3人なのですが、わたしが連載を書き続けた結果、この人たち全員が口々に「わたしも木組みの家に住みたい」といい始めたのです。専門家がそう口に出すようになったら、こちらのものです。
でも、設計はしているけど、実際のご自分たちは「普通」の住居にお住まいだったのですね。
木組みの家を建てるには、今、流行の新建材の建物よりちょっと高額な予算が必要となります。だから、ご自分たちは住んでいなかった。
これは逆に言えば、松井事務所が良心的な報酬でお仕事をしていたという証明にもなると受け止めることができます。
わたしには、建築の基礎知識がありません。
これまで読んでいただいた連載は、その素人が実際に家に住んで得た感想を述べたものにすぎません。
この点については、松井事務所から何の制限もなく自由に書かせていただきました。
わたしに何か間違った見解があったとすれば、巻末に松井事務所から専門的な意見がはいるという、音楽でいうと、まるでセッションをするような楽しい連載でした。
これまでわたしは、この家の持つ特異な条件をあげて、設計上で、その工夫を見てきました。
1、 狭小な立地
2、 南側に建物がある
3、 西側に窓を設定した
などです。
でもこれまでに上げていない、もっとも大きな特異点があるのです。
それはこの家が「ファミリー向け」につくられてのではなく、「おひとり様用」に建てられたということだったのです。
12年前に妻を亡くし、ひとり娘は独立して、わたしはひとり住まいです。
これから日本の社会は高齢化社会に突入して、このような「おひとり様用」住宅の需要が増すのではないかと、わたしは個人的に推測しております。
この家がこれから時代におけるモデルケースになるのではないかと、思ったりしています。
それなら人生の最後に、このような贅沢な住まいに囲まれてお暮らしになるのが良いのではないかと思ってしまうのです。
最後に、屋根裏部屋の様子をお伝えして、この連載を閉じたいと思います。
2階の寝室は「あらわし」といって、梁がむき出しだとお伝えしました。天井がないのです。
しゃれた言葉であらわしていますが、極端にいえば「屋根裏部屋」と同じなのです。
屋根裏部屋といえば、夏の暑い盛りには、ムッとする熱気に満ちているのが普通です。
この原稿を書いているのが、5月30日です。
春先から不安定だった気温は、5月20日以降、高めに推移し始めたことをご想像ください。
初夏になり始めたのです。
気候的には、℃25度が「夏日」とされています。
5月20日以降、その夏日がつづき始めたのです。
わたしの帰宅は、午後5時。
西の大窓には遮光カーテンをおろし、1階の全部の窓には防犯のために雨戸を閉じた状態の中で帰宅するのです。
5月の午後5時はまだあかるい。帰宅するとすぐに、すべての窓を開け放ち、換気扇を回すのがわたしの仕事となっています。密閉した部屋の熱気は、数分もたたず外に排出されます。
それで、2階の「屋根裏部屋」はどうかということです。
案に相違して、「熱気」はこもっていません。
これは、外壁の熱排出の仕組みに関係があるようなのです。
家にこもった熱が外壁を通して屋根に放出される工夫。
だから室内には熱気がこもらなかったのです。
これは伝統工法にはなかった機能です。こうして伝統は、新しいものを受け入れながら深化していくのです。
その仕組みは松井事務所から説明をしていただくことにして、連載のバトンをわたしから松井事務所にお渡ししたいと思います。
みなさまのご清聴に感謝いたします。
第一話、第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話、第八話、第九話、第十話、第十一話、第十二話
「松井事務所」より
「木組みの家に住んでみた感想文を、少しずつお送りします」
と、Kさんにご提案いただいてから、週に1話分づつ送られてくるレポートが楽しみでした。
あるときは光の様子を、あるときは細部のつくりを、あるときは体の変化を通じて、
木組みの家をじっくりと観察し、たのしみながら暮らしている様子が、等身大の文章で伝わってきました。
設計の意図まで汲んでいただき、つくり手としてとても光栄です。
ただ、紺屋の白袴は、致し方ありません。設計事務所ってそんなものですよ。
ともかくも、全13回の連載、お疲れ様でした。毎回の楽しいお話ありがとうござました。
これから「高円寺の家」は西側の窓に浄土寺格子を取り付けます。
西日を楽しむ家の内覧会を開催する予定です。詳細が決まり次第、当サイトでお申込みを募集いたします。
前回ゴールデンウィークで参加できなかった方も、ご期待ください。
最後に、外壁と屋根の熱排出について、解説いたします。
松井事務所のつくる建物の、外壁と屋根の中には、空気の通り道がつくってあります。これは、壁の中で結露が起きないためと外から熱気を室内に入れないための「通気工法」という工夫です。
空気は、外壁の下から屋根の上に排気されるようになっています。屋根が太陽で熱されると、屋根の中の空気は上に昇り、頂上に開けられた排気口から出て行き、その分、地面に近い壁の下の冷たい空気を吸って、壁と屋根の内部に、空気の流れをつくるのです。
この空気の流れが、屋根の断熱性能を向上させているので、夏でも2階が暑くないのだと思います。
これから夏を迎えますが、温熱環境にも工夫を凝らした木組みの家をたのしみながら、長く大切に住んでください。いつでもレポートをお待ちしています。
2013年05月29日 Wed
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第14話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。
「高円寺の家」施主
第十四話
越し屋根と地窓のある風景 家に守られて暮らす
前回までの「木組みの家に住んで」の連載は、夏日(25℃)の頃で終了してしまいました。あれから30℃以上の真夏日があって、35℃以上の猛暑日がつづいたのです。
昨年(13年)のあの猛暑を、木組みの家で、どう、くぐり抜けてきたのか、今日は、そのことをお伝えしたいと思います。
とりあえずは、あの夏がどれだけ暑かったのかを、ふり返ります。
8月12日、高知県の四万十市では41℃を記録。これは体温より高いと評判になりました。東京都心の夜の最低気温が30.4℃までしか下がらない日がありました。これは過去138年間でもっとも高い最低気温だった…。ことほどさように、世間では、昼も夜も記録だらけの暑さがつづきました。
わが家のエアコン事情をご説明すると、階下の食堂に据え置き型のエアコンが一台、そなえられているだけです。寝室は2階にありますから、就寝中にエアコンをつけてもベッドまで冷気は届きません。
結論から先に申し上げますと、あの猛烈な酷暑の中でエアコンのスイッチを入れたのは3日間だけでした。
風がそよとも動かない曇りの日。気温だけでなく、湿度が高かった日が3日間あったのですが、その時だけエアコンのお世話になりました。そして、それにも増す熱帯夜を、こちらは一度もエアコンに頼らずに過ごすことができたのです。
昼にしても夜にせよ、どうしてそんなことが可能だったのか。
室内に自然の涼風が入ってくる仕掛けが、この家にはあったからなのです。
松井郁夫建築設計事務所にわが家の設計をお願いしたときに、4つのセットが提案されました。
それは、
1. 南部屋の吹き抜け
2. 地窓
3. 天井のインテリアファンの設置
4. 越し屋根(腰屋根)
の4点です。
なんと、これが仕掛けとなって、夏場の室内に涼風がもたらされたのです。
わたしは窓について、この家に住むまで勘違いしていたことが2つありました。
それは、窓というのは人間の腰より上に設置されるものだと思っていたこと。
写真でおわかりいただけると思いますが、わが家の食堂には低い位置の窓があります。これが、「地窓(じまど)」というものなのだ、そうです。普通の位置に窓はあるのですよ。食堂テーブルの向こう側が、普通に見られるのと同じ窓です。その他に地窓も用意されている。これに意味があったのです。
もうひとつ、わたしが思い違いしていたのは、窓を開けると室内の風は水平に動いていくのだと考えていたことです。
たとえば、東側の窓から風が入って、西窓に抜けていくというような…。
ところが、暑い夏場では、風は水平に動くのではなかった。
熱せられた空気は上昇気流になって、下から上に流れていく。
これは、この家に住んだ新たな発見でした。
4点セットの
最後に「越し屋根」をあげました。
越し屋根とは、屋根の部分に取り付けられた空気の吐き出し口です。
わが家の越屋根は、リモコンで開閉ができます。
地窓を開ける。越し屋根も開口する。
それだけで空気が抜けていくルートができあがる。
夏場では熱せられた空気が上に行こうとしますから、越し屋根を開ければ、そこから室内の熱気が逃げ出します。
それに伴い、地窓からより冷えた風を引っぱりこむ。
こういう循環によって、わが家にそよ風をもたらしてくれたのです。
風を2階から天井に通り抜けさせるためには、地窓のある部屋は「吹き抜け」になっていなくてはいけません。
そして、吹き抜け天井に設置されたインテリアファンがゆっくり回って、上昇気流をさらに支援する。
この4者の仕掛けが相まって、室内に風がおきるので、エアコンなしの夜を過ごすことができたのです。
日本は高温多湿の気候をかかえている、とこの連載でわたしは幾度か申し上げてきました。
エアコンなど器具がなかった昔の日本家屋はどうだったのでしょう? と、ふと思います。
昔の日本家屋は、部屋と部屋を仕切る上部に「欄間」という開口部をつくって高温を逃がす工夫がされたと、先日、松井さんからお伺いしました。
暑い空気は上にこもる。
そのこもった熱気を逃がす工夫で、住みやい家屋にするという古人の智慧には、あらためて驚かされます。
わたしは現在の家に住みはじめて1年半(14年春現在)が経過します。
先日、建築専門誌の記者から、「住んだ感想はどうか」とインタビューされたので、
わたしは次の4点をあげました。
(1) 家の持つ調湿機能で、暑さ寒さが緩和されている。(エアコンをあまり使わないで済む)
(2) 調湿のお陰で、肌の保湿が保たれるようになった。
(3) 木肌の吸着作用により、室内でほこりが立たない。結果、襟の汚れが少なくなった。(身体の汚れが少ない)
(4) 地窓、越し屋根の働きで、熱帯夜でもそよ風の中で就寝できる。
その結果、この家に住むようになって、『自分が家に守られて暮らしている』という実感を持つようになった、とおこたえしたのでした。
Kさん、久しぶりの原稿をありがとうございます。
竣工して1年と3ヶ月、暮しそのものを味わっていただいてなによりです。
夏にエアコンを頼らずに過ごすために、松井事務所は通風も設計をしています。
高円寺の家は、空気の温度差を利用して、下から上へ流れるほんの少しの「ゆらぎ」が、快適な室内環境を生みます。温度差換気です。無風のときでも、空気が流れていくので、熱帯夜でも過ごしやすい寝室です。
今年も、執筆者であるKさんのお宅を拝見する「お住まい内覧会」を企画しています。
木組の家を体験してみませんか?
詳細は、後日当HPで告知いたします。どうぞお楽しみに。
2013年05月29日 Wed
いま、わたしたちが建設現場で見かける住宅は、ほんとうに日本の家といえるのだろうか? 現在建てられている工業化住宅は、日本の大工職人たちが、長い歴史を経て継承してきた家とはかけ離れている。
事務所の裏で、建売住宅が4棟建ちはじめたと思ったら、あっという間に出来てしまった。最近の家は完成が早い。完成すると、外も内も木は見えない。外壁は窯業系パネル。室内はビニールクロス。これで一丁上がり。単純で分かりやすいが、いったいどれくらいのつくり手の想いがあるのかわからないほど簡便にできている。
一応、木材が骨組みの時に見えたのだから木造住宅だ。しかし、出来上がった家は、どこの国の建物なのかわからない。このような家が都会だけでなく日本全国同じように建ち、同じ風景になってきている。今や気候風土に関係なく、住まい手の望みともいえない無国籍な家々が日本中を席巻している。
これからの日本の家はどこに向かうのか? 日本の町並みや風景はこのままでいいのか? 優れた職人技術を生かすことはできないか?
かつての民家のような、気候風土に根ざした美しい日本の家をつくろう。 秩序と調和のある町並みをつくろう。
さらに建物の工法に話を移すと、なお混沌とした課題があることが分かる。
例えば、現在普通に建っている木造住宅の胴差しは、明治以前にはなかったと聞いたら実務者は驚くだろう。胴差しは、明治期に二階建ての校舎や庁舎を建てる折りに必要になった部材であり、江戸期の民家の二階建てには使用されてこなかったことがわかっている。
筋交いも明治以降の部材である。もともと筋交いは、三角形不定の理から生まれたトラス構造であり風対策であったという。それが壁量規定の流れの中で耐力壁に移行した。風は上から吹くが、地震は下から揺れる。だから柱が石の上に載っていて、足元が止めつけてなかったのではないか?
そのような経緯の中、衰退した貫や足固めは、地震国日本の粘り強い家をつくる知恵と工夫の部材であったはずだ。
いまもむかしも大切な部材であるが、現状では使われなくなってしまっている。本来ならば大きな変形にも耐え復元力を持つ貫は、なくしてはならない部材だ。むしろ胴差しはないほうが、地震時には建物はゆったりと揺れ、柱は折れないかもしれない。足元は、ずれた方が安全だ。
現在の日本の家づくりは、架構から構法まで和と洋が折衷されている。いま、整理しなければならないのは、木の特性を生かした構法や性能である。いまこそ採り入れるべき、災害や気候風土に対する優れた性能の知恵や工夫は、すでに日本の古民家と伝統的な木組みの中にある。
古民家や伝統の木組みをノスタルジーとして語るのではなく、この国の家の未来をつくる「新たな仕組み」として採り入れるべきだ。
2013年05月29日 Wed
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第15話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。
「高円寺の家」施主
第十五話
外になくても起きる風(見学会の秘密)
14年4月29日の祝日、わが家で4回目の「お住まい見学会」が催されました。
完成後1年半で4回目の開催。 これはちょっと多めです。
でも、これがなかなか刺激的でおもしろいのです。
これまでの連載でわたしは、「身体の汚れが少なくなった」、「冬場に頭髪からフケが出なくなった」、「熱帯夜でもエアコンなしで寝られている」などを報告してきました。
わたしは素人ですから身体の変化を感じ取ることはできても、それがどういう理由でもたされたのかがわかりません。
まして、松井事務所はセールストークで、あらかじめ「木組みの家に住むと、こんなことがありますよ」なんて言ってきません。ですから、自分では説明がつかない中で、でも何だか住み心地が良いなと思って暮らしてきたのです。
内覧会になると、見学者は当然、住み手のわたしに「(住んで)どうですか?」訊いてきますね。
わたしは「何か知らないけれど、洋服の襟汚れが少なくなったような気がします。たぶん身体があまり汚れなくなったのかもしれません」と答えます。 それだけしかわかりませんから。
すると、となりに立っている松井さんが、解説を入れてくれるのです。
「無垢の木は湿気を帯びているので、家に入ってきた埃(ほこり)をそれで吸着してしまう特長があります」 と断言する。 「だから部屋の中で埃が舞っていない」と。
「へぇー、そうだったの」とわたしは見学者への説明をやめて、ひとしきり感心してしまうのです。
自分が普段から何気なく感じていたものが、このお住まい見学会で究明されることが多い。 それが楽しいのです。
今回のエッセイでは、見学会でわたしが何を聴いて、そのどこに驚いてきたのかを、みなさんにご報告したいと思っています。
「あの東の窓から朝日が差しこんでいますね。」と松井さんが指さします。
「普通の家でしたら、光に照らされて細かい埃(ほこり)が静かに、限りなく落ちていくのが見えるはずです。 でも、この家では、朝日に透かしても、埃はぜんぜん見えません。 これは部屋の中で埃が舞っていないからです」と言うのです。
「なるほど。それで、この家にいると、何かわからない清浄な空気感があるのですね」とわたしは身を乗り出して納得してしまう。
1年半前の新築完成の時、 「新しい家には空気清浄機を」と思い立って、機器を買い求めて寝室に設置しました。
ですが、月に1度の内部掃除をしても、フィルターにゴミが溜まらない。 「埃を集めない役立たずの空気清浄機」と思って、すぐに粗大ゴミに出してしまいました。
でも今日、 松井さんの解説をお聴きして、あれは機械の性能の問題ではなかったのだと、気づいたのです。
部屋に埃が立っていなかったのでした。
今回の内覧会で発見したのは、もう少しあります。
わたしは連載の第一回目で、「板敷きの寒さの経験」を述べています。 高校時代、剣道の練習で立った体育館の板敷きの冷たさ。 その経験をもとに、「新家の板敷き」を想像してしまったのです。
その時、松井さんから伺ったのは、「檜(ひのき)や杉だったら冷たくありません」というものでした。 それで、わたしは初めて木の種類によって感じる温度に違いがあるのだということを知ったのです。
今回でふた冬を越しましたが、なるほど檜の板敷きは冷たくありません。 2年とも暖房はほとんど使わずに春が来てしまいました。
でも、木の種類で感じる温度が違うことがわかっても、それがどうしてなのかは、まだわたしの中では理解できていません。
それが、今回の内覧会で新しい発言を耳にしたのです。
「木には針葉樹と広葉樹の2種類があります。針葉樹である檜や杉には内部で空気を通す『導管』がたくさんあって、それが羽毛の布団のように空気の層をつくって木肌を温かく感じさせるようなのですよ」と松井さんがおっしゃったのです。
木の種類とは、そういうことを指していたのか。
わたしが見学会を終えてから、すぐに「針葉樹」と「広葉樹」を検索して調べたのはいうまでもありません。
「広葉樹」を調べると、その中に樫の木があります。 昔、お巡りさんの警棒にも使われた、堅い木です。 これは、密度があって、松井さんがおっしゃった「導管」が、少ないものと予想されます。 だから、こちらの肌目は冷たいのかもしれません。
そうすると、どうして「針葉樹」には導管がたくさんあって、「広葉樹」には少ないの? と、わたしには新たな疑問がわいてくるのです。
針葉樹は比較的、寒い地方や山の高度に分布していることが知られています。 反対に広葉樹は、温かい所に分布している。
これだけで推測すれば、寒い所で育つ檜や杉は、自分の内部に空気の層をたくさん取り込んで寒さをしのぐ働きをもっているのだろうか。 それはまるで、寒い地方の水鳥から取れる羽毛が温かいのと同じなのかもしれません。 後日、松井さんにわたしの説を尋ねたところ、 「それはわかりません」とお答えになりました。 考えてみれば、松井さんは設計士さんで、植物学者ではなかったのです。
ともかく、わたしの家の板敷きがどうして冷たくないのかが、こうしてわかったのでした。
今回の見学会で、もうひとつ気づかされたことがありました。
前回(14回目)の連載で、わたしは「地窓、吹き抜け、越屋根」の3セット効果で真夏の熱帯夜をエアコンなしでしのいだ、とレポートしました。
それは、専門的な知識もわからずに気づいたままを書いたのです。
松井事務所の解説で、「温度差換気」という専門用語があるのをあとで知りました。
扇風機やエアコンで人工的に風を起こさなくとも、窓の配置だけで自然に風をおこしてしまうという古来の智慧です。
これが「温度差換気」という現代的言辞であらわされているのでしょう。
このことも、わたしなりの解説で見学者の質問に答えました。
(1)越屋根を開けることで、上部にこもった熱気が外に吹き出し、それにしたがい地窓から冷気を連れ込んでくれる。
(2)地窓と越屋根の高低差が大きければ大きいほど、室内におこる風のうねりが大きくなるようだ。
「そうやって、エアコンなしでも室内には風が起きるようなのですよ」と説明したのです。
すると横から松井さんが、 「外に風が無くてもね」と、小さく申し添えたのです。
え! と、それを聴いてわたしはとても驚いたのです。
そうなのです。東京の熱帯夜は風なんか吹いていない。 なのに、家の中に風がおきている――。
この対比。 わたしの言いたかったのはこれなのです。
専門家って、すごいですよね。 言葉をすこし足しただけで、説明が聴く者の胸にわかりやすく迫ってきます。
「しかも、越屋根からは一方的に熱気が排出されているわけではありません。少しだけですが、屋根に這っていた冷気が、越屋根を通して入り込んでくることが実験でわかってきているのです。 出る風があれば入ってくる冷気もある。 すなわち、小さな対流が部屋の中で起きていることになります。 それがそこに住む人間に心地よさをもたらしているのかもしれません」。
こうやって、わたしの好奇心を満足させて、4回目のお住まい見学会は終了しました。
見学者をお見送りした後で、すこし雑談。
その軽い話の中で、わたしは松井さんから彼による驚くべきデザインの秘密を聞かされたのです。
たぶんそれは、企業秘密。 松井さんの許可をいただきましたら、 次号にレポートさせていただきたいと思っています。
「松井事務所」より
Kさん、今回も内覧会を開催させていただきありがとうございました。
家について、もっとタネ明かしが必要だったようで…。文章を書く方は探究心が違いますね。
耐震の工夫などは、かなりの時間お話をさせていただていたのですが、木組の家の快適さの理由やデザインのことは、それほど説明しなかったかもしれません。松井事務所は本質的には職人気質ですので……。デザインのお話も、どうぞよろしくお願い致します。
それに、民家の知恵は、最近になって科学で解明され、やっと説明できるようになったことも数多くあるのです。
例えば、文中の「温度差換気」ところで出てきた、越屋根から熱気が排出されるのと同時に、冷気も入るという話もそうです。
住宅技術評論家の南雄三さんの新刊「通風トレーニング」では『上方一面開放熱対流型換気』と呼ばれています。
この日は、南雄三さんにもにお越しいただきました。一緒に、越屋根の下に立って手をかざし、ゆるやかに冷気が降りてくるの体感しました。計算によると高さ80センチの窓があると、より効果的だそうです。
このように昔から町家でも使われていた技術が、現代で解説できるようになってきたのです。
これからも科学が発展していくと、木組の家の良さを、もっと解説できるようになると思います。たのしみですね。
また、南雄三さんと松井は5月20日に対談しますので、こちらもぜひどうぞ。
<匠>
2013年05月28日 Tue
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第15話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。
「高円寺の家」施主
第十六話
デザインでも住みやすさを演出
松井郁夫事務所では、後継者を育てるために専門家対象の「木組みゼミ」を不定期で開いています。
設計士さんと言えば、構造計算が主の理系の資格だと思いがちですが、このゼミではデザインの重要性も説いているようです。それもそのはず、松井さんは難関の東京藝大を現役で合格した方ですから、そもそも建築士さんというよりも絵描きさんに近いのだと思われます。
木組みの家というのは、骨組みがしっかりしていて、その上に自然素材で作りあげられています。それだけでも住み心地が良いのですが、今回はデザインを重視してより住まいのレベルをあげる、というお話です。
とりあえず、ひとつだけ専門的なお話をさせていただきます。
家の壁には大別して「大壁」と「真壁(しんかべ)」の2種類があるということをお知りおきください。
大壁というのは今、流行りの2×4住宅に見られる壁です。囲いだけで柱がないので、壁一面にクロスを貼ったものです。これが「大壁」。
それに対し「真壁」というのは、柱で建てた家にある壁で、日本間によく見られる壁です。柱を前面に押し立て、壁は脇役になるのかもしれません。
その2種類を頭に置き、高円寺の家をふり返ってみます。
この家は木組みの家ですから、柱がふんだんに使われています。木組みというのは、柱と梁の架構で作られているのを総称としていうのだそうです。
ですから自慢の柱を前面に押し出して「真壁」にしても良かったのです。でも、絵心のある松井さんは、あえて高円寺でそういう手法を取らなかった。
これが今回の注目点です。
「柱を前面に立てたらお寺や神社のようになってうるさいでしょ」と松井さん。
それで、高円寺の家は縦線の柱を壁に隠して「大壁」にしてしまった。
横線の梁は建築用語で「あらわし」といって天井を貼らずに見せるというデザイン。縦線は隠して、横線は見せるというコンセプトだったのです。
それでどうなったかというと、壁は「大壁」にしてモダン、そして上を見上げれば梁が「あらわし」でむき出しになっている。
ひと言でいうと、高円寺の家は「和風モダン」という作りになった。
梁は通常よりひと回り太い素材を使っていますので、住まう者にとって豪勢な印象を与えます。
そして真っ白に塗られた大壁作りの漆喰。
よく見るとここにデザインの秘密があったのです。
大壁といっても、柱のすべてを隠しているわけではない。少しだけ片りんを見せる。
それは文章で表現するのは難しいので、写真での説明をご覧ください。
「太い梁があるのにそれを支えている柱が全然、見えないと、そこに居る人は不安を感じる」という心理が人にはあるらしいのです。
それで、柱はちょっと見せる。ここが支えているから安心して、とでも言うのでしょうか。
さりげなくそれが施されているので、住んでいて潜在意識に不安を感じることはありません。
こういう技法に私は感心してしまうのです。
この細部のこだわりは誰でも出来るものでは、きっとないのでしょう。絵心のある松井さんのセンスに依るところが大きいのだと思われます。
このデザインの良さも、木組みの家の居心地の良さ→住みやすさにつながっているのでしょう。
高名な住宅評論家の方が高円寺の家を見に来られたことがあります。先生はソファーに腰かけながら、「どの家もだいたい破綻が見られるものだが、この家についてはそれがない」としみじみおっしゃっていたのが印象に残ります。
木組みの家は、無垢の木や漆喰の性能のお陰でそれだけでも住みやすさを感じます。その上にデザインでもなんだかわからない効果で住む人間に安寧を与えるのです。
高円寺の見学会にお越しになることがあれば、デザインもご注目いただけると、この家の住みやすさの秘密がわかってきていただけると思います。
「松井事務所」より
Kさんの不定期連載ということで、久々の原稿をありがとうございました。
真壁でありながら、モダンで軽やかにみせるデザインを心がけています。
さり気なく見せるために時間かけて推敲するのですが、あとからご説明しないと、建主さんにも伝わりませんよね。
でも、住んでいて「なんとなく心地良いな……」というのは、さり気ないデザインの力なのです。
ある建築家は、「建物を見た帰り道に、思い出しながら”あの家はあの部分が良かった”というより”どこかわからないけどなんだか良かった”」というほうが、いい家なのだ」と言いました。そういう家になるように、日々考えています。
<匠>
2013年05月28日 Tue
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第17話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。
「高円寺の家」施主
第十七話
私たちが住んでいるのは復興住宅だったのか
「よく16話まで話が続きますね」と、この連載をお読みになった方から言われることがあります。私は文筆のプロではありません。なのに、どうしてこんなに書けるのか? というのは私にもわからない。でも、「キーワード」が頭の中に浮かぶと、それに続いて文章がスラスラ出てきてしまうことはあります。
さて、今回のキーワードは2つあります。
ひとつ目は、お住まい見学会のことです。
高円寺の家は、3ヶ月に一回のペースで松井郁夫事務所による「お住まい見学会」を実施しています。かなり頻繁です。でも、見学会にはたくさんの方が興味津々でお見えになります。そんなある時、松井事務所が懇意にしているハウスメーカーの方から電話があったのだそうです。
「HPでよく見学会の告知をされていますが、見に来られるお客様はいらっしゃるのですか?」という問い合わせでした。「毎回、賑わっていますよ」とスタッフが答えると、「こちらは、見学会をしても見にくる方はいません」と先方は言ったのだそうです。
木組みの家は見学者が引きもきらないのに、どうしてハウスメーカーのモデルルームは見にくる人が少ないのか?
これが今回のキーワードです。
そしてもう一つ。
最近のことですが、松井事務所が30年前に設計して建てた木組みの家が売りに出され、結構よい値段がついて売却成立したというニュースが入ってきたのです。
これについてはちょっと詳しくお伝えします。車の値段は6年で査定ゼロになるのはよく知られていますが、木造住宅は20年経つとゼロになると言われています。上物の価値はナシで土地の値段だけが残るというのがこれまでの常識です。
なのに、松井さんが設計した木組みの家は30年たっても価値が損なわれないということは一体どういうことなのでしょう?
私は戦後すぐの生まれで、戦災の復興の中で育ちました。
時の政府は焼け野原になった土地に復興住宅を建てるのが急務だった時代です。
やがてくる経済の高度成長。
その結果、土地の価値はうなぎ上りですが、家の価値はないという時代が永くつづきます。極端なはなしですが、土地付きの家を買ってそこに一日でも住めば家の価値は半減するといわれたのです。20年で査定ゼロどころか、一日住めば値段が半減してしまう家。それが家というものの資産価値だったのです。
それに対して、30年たっても値段がついて売れる木組みの家とは、いったい何なのでしょうか。
今回は、その興味深いテーマにふれたいと思っています。
この答えをさぐるためには、建築基準法の移りかわりを知るとわかりやすくなります。建築基準法を調べると、災害があるたびに見直されていくのに気づかされます。
古くは関東大震災
そして、戦災後
阪神淡路大震災
東北大震災。
つまり、建築基準法は災害のたびに見直されて改正されていくのです。
そして今日の着目点は、戦災後の改正です。
木組みの家は「伝統構法」の作りといわれています。柱・梁による古来からの伝統的な家作り。
しかし、木組みにするためには継手・仕口などの大工手間がかかります。おまけに柱材、梁材などの材料がふんだんに必要とされます。焼け野原になった国土を前にして悠長なことをしていられないと、国は思ったのでしょうね。
そこで建築基準法を改正して、簡易な家を作れるよう奨励した。それが、「在来工法」という建て方だったのです。「在来」と名乗っていますから昔からあるような錯覚に陥りがちですが、戦後に出た工法です。
伝統構法とはどう違うのでしょう。
在来工法の大きな特徴は、筋交い(斜め材)を施すことでした。。日本の古来の建て方は柱、梁などの垂直、平行の架構で、斜めに材をいれるという考え方はなかったのです。
斜め材で柱同士を支えてそこに壁板を貼る。柱を立てた軸組なのですが、壁板で補強するのが「在来工法」といわれるものなのです。
後に現れる壁板だけで作られる2×4工法と伝統構法の折衷だと考えれば良いのでしょう。
在来工法の利点は何か
そして時代は移ります。
70年代半ばに、もっと簡便な2×4工法が北米から取り入れられました。住宅の工場生産が可能になり工期も大幅に短縮されるに至ったのです。
国の統計によると、平成26年の木造戸建ての着工件数は49万戸。
そのうち在来工法で建てられたものが99%、伝統構法は1%という数字が示されています。住宅の現状を知るうえでは重要な指標です。
専門的になりましたが、もう一度、木組みの家を考えてみます。
木組みの基本は、わかりやすくいえば「架構」にあります。柱と梁の骨組みのことです。これをまず大切にしようという建て方です。これに対し在来工法や2×4住宅は戦災からの復興のために考えだされた住宅です。その延長線上に今、私たちが生きているといえます。
一方、私たちは戦災後に高度経済成長を経験してきました。
経済的に豊かになって住宅機器の豪華さに目を奪われています。それで現在ではもう復興住宅から脱したような錯覚に陥りがちです。しかし、日本古来の「架構」から現在の住宅事情をみれば、私たちはまだ復興住宅に住んでいるのだということに思い至るのです。
そのことを念頭に置いてモデルルームの話に戻りましょう。どうして木組みの家には見学者が多くて、ハウスメーカーの建物には少ないのか?それは、ハウスメーカーの建物が復興住宅の延長なので、人は住の魅力を感じないからと、考えられないでしょうか。
どうして、木組みの家は30年たっても価値が減じないのに、普通の家はすぐに値段がなくなってしまうのか。これも箱でしかない復興住宅だから価値が見いだせないのではないかと考えれば、納得がいくのです。
<第十八話につづく>
連載「木組みの家に住んで」まとめページはこちら
「松井事務所」より
「貫」は、中国から伝わり、地震大国日本で受け継がれてきた耐震技術の叡智です。
日本の住宅は、簡便化の流れの中で「貫」が失われていきましたが、永く安心して住める家を考えていくと、「貫」はやめていけないというのが松井事務所の考えです。
いい家をつくっていけば、時が経っても価値が認められるというのは、励みになりますね。
それと、建物が上棟するといつも思うのですが、架構に斜め材が無く、縦と横だけで構成されていると、綺麗だと思いませんか? <匠>
2013年05月28日 Tue
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第18話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。
「高円寺の家」施主
第十八話
父と兄ががっしりスクラムを組み、妹たちはつないだ手をはなさない
松井さんにお願いをして高円寺の家を建ていただくまで、わたしは建築について何も知りませんでした。
それが戦後の建築史などを語ったり(17話)して、生意気このうえないことになっています。
どうぞ素人の戯言だとお見逃しください。
先日、おこなわれた高円寺の「お住まい見学会」(15年4月)にわざわざ山口県から来られた方がいらっしゃいました。
リフォーム会社にお勤めで、社長が木組みの家を気に入って、会社から派遣されたのだといいます。
山口に帰ったら見学会と家の様子を社員や社長にレポートしなくてはいけないと、写真をたくさん撮っていました。
彼は、「写真をいくら見せても、私がいくらプレゼンしても説明できないことがあります。それは、この家の居心地よさなのです」と漠然とした居心地のよさを、口では伝えきれないもどかしさをおっしゃるのです。
私もこの連載を通して、自分の身体が汚れなくなった、冬に乾燥しない、
熱帯夜でも涼風のなかで就寝できている、などと家の利点を挙げてきましたが、
いちばん肝心なことが表現できないでいるのに気づきました。
それは、山口の方と同じで、この家の居心地の良さをどうしても言葉で表せないでいるのです。
もう、実際に来てもらって感じていただくしかありません。
そして、見学した方たちが一様に口にするのがその居心地の良さだったりするのです。
今回はがんばって、木組みの家の居心地について究明してみたいと思います。
今回の見学会で耳をひいたのは松井さんが説明していた次の言葉です。
「建物はいつも小さく動いているのですよ」ということ。
私はそれをお聞きするまで建物というのは地面から屹立して微動だにしないものだと思っていました。
でも考えてみれば、風が吹いたり気圧の変化などの気象条件もあります。地殻の動きだって考えられます。
それに合わせて家が小さく動いているのは、言われてみれば当たり前のことでした。
庭の木立でさえ風に吹かれて小さくそよいでいます。家がそういうことに影響されないことはあり得ません。
ただ、建物には、鎧のように固めて環境に負けないように作るのと、
自然と調和するように建てられるものと2種類があるらしい。
そのことを少し詳しく見ていきたいと思います。
西洋の建物は「剛」の設計
日本家屋は「柔」の建物
というのはよく比較されることです。
「柔」が支配的であった日本の建築様式も明治維新の西洋化により、「剛」の考えが取り入れられてきました。その結果、建物を地面に縛り、ボルトで締め付けて自然災害に負けないような設計が主流になってきたようなのです。それは「剛」の方が構造計算として数値化しやすいからのようでした。
西洋の考えは数値化がすべてです。一方、日本の伝統というのは形に残しにくい文化で成り立っています。
昔の大工には設計図がなく口伝で技術を継承してきました。
楽譜はなく、口唱歌(くちしょうが)で伝えられる伝統楽器。
シナリオ台本を用いず口伝で全体化する舞台芸術。
そして、数値化できないような日本家屋の柔構造。
前回、お示しした在来工法の筋交いを例にとります。
筋交いをしてそこに何寸の釘を何本打ち付けると、それで構造計算ができるらしいのです。
さらに壁板を貼ればもっと強度が増し数値化ができる。素人的に考えると、つまり構造計算とは建物を強固にする計算式なのかもしれません。
でも、災害はいつも想定外の力で襲ってきます。
いくらボルトで締め付けても、大きな揺れがあったら木材は金属に負けて砕かれてしまいます。
木材を金具で固定して強固にするからこそ、それがかえって脆い原因をつくるともいえるのです。
松井さんが木組みの家を志したきっかけは95年の阪神淡路大震災の現地調査だったとお聞きしています。
先年の東日本大震災で大きかったのは津波の被害でした。
大正時代の関東大震災では火災だったと記録にあります。
そして、松井さんが調査した阪神淡路大震災では、建物の倒壊による圧死が多かったというのです。
住む人を守るはずの家が、そうではなかったのですから建築家としてはショックだったと思います。
以来、松井さんは木組みの家に取りかかるようになった。
さて在来工法の筋交いを例に出しましたので、伝統構法の「貫(ぬき)」はどうなっているのかを検証したいと思います。
これが居心地の良さを解明する今回のテーマです。
「貫は木組みの家では不遇です」これは松井さんの口癖です。貫は、とても大切な役割をしているのに、家が完成してしまうと漆喰壁にかくれて見えなくなってしまう。
木組みの家で前面に姿を見せる「柱」や「梁」が主役だとしたら、「貫」はそれを脇で支える黒子なのかもしれません。
貫とは名前の通り、柱と柱の間を貫き通しています。柱同士に手をつないで支えている様子を思い浮かべてみてください。貫は柱同士を支えますが、それはがっちりと固めているわけではありません。
柱が動けば一緒に動く。
まさしく柔構造。
その貫の上に漆喰などの泥壁が塗られます。
大きな地震で揺れれば壁はぼろぼろになる。
ボードや合板壁をがっしりと金物で打ち付けた剛建築から比べれば一見しても弱々しそうです。
ですから日本家屋は強固な建物を求めるための構造計算が成り立たちにくい時代が永くつづいたようです。
柔構造なので数値化できないといった方がわかりやすいのかもしれません。
それでは想定外の地震があればどうなるのか?
大きな揺れがあっても木で組まれた柱と梁です。
がっしりとスクラムを組んで揺れを吸収しようとします。
そして、貫は何があってもつないだ手を決してはなそうとはしない。
柱と梁が父と兄に例えるなら、貫は妹たちなのかもしれません。
さて、今回のテーマである、木組みの家の居心地の良さについてです。
大きな地震に遭遇するのはまれなのですが、家は小さな気象現象によっていつも揺れている。
それに負けないようボルトで締め付け、壁を金具で固めて頑強にした「鎧」のような建物が一方であります。
その鎧の空間にいることが果たして心地よいのかということです。
木組みの家は、自然の環境を吸収しながら小さく揺れている。
それは組まれた柱や梁のお陰だし、一見ひ弱そうな漆喰壁の効果もあるのでしょう。
それを陰で支える貫の存在も関与している。
この柔構造こそが住む者に居心地のよさを与えているのではないかと、私は思っています。
完成して今はもう見えないけれど壁の中でつないでいる手に、わたしはいつも感謝して暮らしているのです。
<第十九話につづく>
連載「木組みの家に住んで」まとめページはこちら
「松井事務所」より
「安心できる」という心地よさは、家にとって、とても大切なことだと考えています。
木組みの家の安心のひとつには、地震があっても倒れないということがあり、建主さんにはいつも「大きな地震が来たら、家が一番安全なので、外に飛び出さないでくださいね」と言っています。
でも、安心できる居心地の良さをつくるためには、地震で倒壊しないだけでなく、ほかにもいろいろな知恵と工夫があって、それはありがたいことに、この連載でたくさん触れていただいています。性能も意匠も、「総合的」にデザインすることで、居心地の良い家になるのだと思います。<匠>
2013年05月24日 Fri
ブログ | プロジェクトレポート | 高円寺の家
太陽光発電の設置と、省エネの工夫をした「高円寺の家」。
5月の電気料金は3,700円で、売電分3,500円を差し引くと200円だったそうです。
これからの時代に向けた
「燃費の良い木組みの家」です。
2013年05月23日 Thu
最近、小さな家のご相談を受けるようになりました。
そこで、狭小地でも建てられる「小さな木組みの家」を、
お求めやすいパッケージプランでご用意いたしました。
永く住める丈夫な木組みの骨組みは、将来の増改築も可能です。
本格的な木組みの家が、この価格で実現できるのは、ワークショップ「き」組みだけです。
地震に強く、省エネで燃費が良く、快適な住み心地で、
いつまでも飽きのこないデザインの木組みの家をつくりませんか?
2013年05月17日 Fri
日本住宅新聞に「高円寺の家」が特集されました。
”伝統構法・真壁・板張り外壁でも、準耐火建築を実現”と題し、大きく取り上げられています。
「構造材を太くする燃えしろ設計や外壁の工夫によって、準耐火建築物でありながら真壁仕様・板張り仕上げの外壁を実現。モルタルやサイディングの建物が並ぶ中で圧倒的な存在感を放つその住宅は、防耐火性と木材の利用という、一見相反するかのような条件を高いレベルで両立させている(中略)木造による準耐火建築物の可能性を最大限に引き出している事例だといえるだろう。」(記事より抜粋)
エアコン一台で全室の空調をまかなっている省エネの工夫や、太い材の「木組みの家」ながらモダンに仕上げている点なども評価された記事になっています。
2013年05月16日 Thu
ブログ | プロジェクトレポート | 南房総の古民家再生
解体工事が進むにつれて、床下や屋根裏の骨組みが見えてきました。
明治40年の建物は、実に丈夫な骨組でできています。
特に、床下と屋根を支える木組みが丈夫です。
床下の足固めには、太いボルトを使っていました。
このころになると、大きな金物が手に入ったのでしょう。
足固めは、松材の8寸板で土台併用です。
土台は腐朽が少なかったのですが、足固めの松材はほとんど取り替えました。
また、床下の湿気で結露したボルトは、木の栓に取り替えました。
足固めは、桧の4寸角をクサビ締めしました。金物を避ける作り方です。
クサビ締めの足固めは、奄美大島のヒキモンづくりに学びました。
建物が動いても壊れない、丈夫な床下をつくります。
日本の伝統構法が息づいていたころの古民家ですから、木組の知恵と工夫でで改修しました。
「限界耐力設計法」という構造の解析のおかげで、伝統構法の建物に適した再生が可能になりました。
基礎石の上に建物を載せたままで、構造補強ができるのです。
丈夫な骨が出来上がり、これからいよいよ断熱改修と心地よい仕上げの始まりです。
2013年05月14日 Tue
松井事務所の取り組みをニューズレターにし、建て主さんに最新情報をお送りして、今年でちょうど20年になります。
1994年春の1号から2013年冬の最新号54号まで、不定期の発行ですが、みなさまに好評を得ています。
もとはといえば、年賀状のやり取りの際に、これまでの建て主さんから「いまはどんな建物をつくってますか?」と聞かれたのがきっかけでした。そこで、建物のメンテナンスの相談をお受けしようと考えて、ニューズレターを思いつきました。建て主さんとのコミュニケーションを計ることが目的です。
Communication Network for Live (コミュニケーション・ネットワーク・フォー・ライフ) 通称 COMINET LIVE (コミネット・ライブ)と呼んでいます。
毎回の誌面に、その時期に動いている事務所の取り組みのことや、考えていることなどをつらつらと書き始め、あっという間に20年経ちました。
10年ひと昔といいますが、20年の間にはいろんなことがありました。その時々の仕事の話題は、こちらの気持ちを伝えるメッセージにもなっています。改修やメンテナンスのご相談もお受けしております。
20年間で、最も大きな事件は、1995年の阪神淡路大震災でした。
建物の下敷きになって亡くなった6434名の命を考えると、わたしたちのつくる建物は、大地震に対してどうあるべきか、重い課題を突き付けられました。
その後の実務に、これほど影響した出来事はありませんでした。それからずっと地震に強い家づくりを目指して、今日まで来たといっても過言ではありません。
この地震を契機に、地震国である日本が、湿度の高い気候風土であるがゆえに「開放的かつ耐震的」な家づくりを望まれるという、相反する命題に取り組んできました。
「これからの木造住宅を考える会」を立ち上げ、勉強会を重ね、地震に強い木組みの家づくり図鑑「木造住宅【私家版】仕様書」を共同執筆し、伝統構法の復権を唱えてきました。2007年より、国土交通省の伝統構法の見直しの委員会には、実務者として参画してまいりました。
耐震的かつ快適な日常を送ることができる家は、これからどうあるべきか?お客様からお仕事をいただくたびに、努力を重ね、丈夫な骨組と快適な室内空間をつくっております。
毎回のコミネット・ライブの通信が届くことで、ご無沙汰している方にご連絡差し上げても、すぐに会話が弾み、おかげさまで建て主様との交流を計ることができています。
最近では、東日本大地震後のエネルギーの問題に対応すべく、温熱環境の設計に取り組み、さらに快適な家づくりを目指して情報を発信してゆくつもりでおります。
松井事務所では、これからも建て主さんのそばでお役に立ちたいと願っております。どうぞ、ニューズレターをよろしくお願い申し上げます。
2013年04月26日 Fri
ゴールデンウィークの5月5日(日)6日(振替休日)に開催される「高円寺の家」お住まい内覧会のご案内が、新建ハウジング(2013年4月20日号)に掲載されました。
住宅密集地の防火規制が厳しい地域ながら、内装も外観も無垢の木をふんだんにつかった「準耐火建築」の木組みの家として、注目を集めています。
お申込みは、まだまだ受付中です。
木組みのお住まいをお考えの方は、ぜひこちらからお申込みください。
現場地図をお送りします。
みなさまのお越しをお待ちしています。
2013年03月29日 Fri
25日に横浜で行われた「造り手net」で講演をしてきました。
【今なぜ木組みのなのか?】と題して、木組みの家とは何か、木組みの家の現状、木組みの家の目指すものを、スライドをまじえてお話しました。
「高円寺の家」を例に「木組みの準耐火建築」というお話もさせていただきました。
2013年03月27日 Wed
「所沢の家2」のお住まいの見学会は盛況でした。 お子さんがたくさんお見えになり、無垢の木の感触や吹抜からの眺めを楽しんでいただけました。 ご協力いただいた建主さんに、改めて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。
次回のお住まい見学会はゴールデンウィークの5月5日(日)と5月6日(月、振替休日)に 「高円寺の家」で開催されます。 詳細は後日、当サイトで掲載いたします。木組みの家の暮らしをぜひ体感されてください。
2013年03月22日 Fri
木組みの家づくりをマスターしたい全国の実務者の方に向けた「木組のデザイン」ゼミナールでは、2013年度の受講生を募集中です。
今年は改正省エネ法に対応した温熱講座を設けました。
講師には、岐阜県立森林文化アカデミー講師の辻充孝先生お招きしています。
受講生限定で「省エネ法に対応したエクセルの計算サポートプログラム」を差し上げます。
5回連続講義のスケジュールは以下のとおりです。
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2013年度「木組のデザイン」ゼミナール実践コーススケジュール
5月11日(土) 講師:辻充孝先生
【温熱講座第1回】熱貫流率U値をマスター
性能評価の整理整頓
外皮平均熱貫流率UA値の手計算実習
熱損失係数Q値のおさらい 断熱と健康
6月8日(土) 講師:辻充孝先生
【温熱講座第2回】日射取得率η値と結露計算をマスター
外皮平均日射取得率ηA値の手計算実習
外皮性能の演習課題 気密性能の効果
結露の知識と危険度判定の手計算実習
7月13日(土) 講師:辻充孝先生
【温熱講座第3回】一次エネルギー計算をマスター
環境家計簿を用いた実績データの把握
エネルギーを考慮した設計事例紹介
一次エネルギー消費量算定プログラム
実践に活かすエネルギー計算
11月9日(土)講師:樫原健一先生
【限界耐力設計法講座】
伝統構法のための限界耐力設計法
12月7日(土) 講師:滝口泰弘先生
【GoogleSketchUp講座】
実務で使えるSketchUp入門講座
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お申込書はこちらになります。みなさまのご参加をお待ちしております。
2013年03月19日 Tue
2013年度 第10期「木組のデザインゼミナール」受講生を募集します
丈夫で快適な、燃費の良い木組の家づくりを身につけたい方に
いま、日本の家づくりは大きな節目を迎えています。戦後68年つづいた簡便な在来軸組住宅の時代から、丈夫で長寿命の架構を持つ省エネルギー住宅へ変わろうとしています。 そこで見直されてくるのが、日本の気候風土に合った伝統の木組です。さらに、省エネルギー基準をクリアする性能の住宅を造るための手法です。
本講座では、伝統構法による日本の家づくりを、職人がこれまで培ってきた木を組む技術に学び、さらに美しい日本の風景を取り戻すために美術の習得を目指します。 今年度は、岐阜森林文化アカデミー講師・辻充孝先生による、木組の家の温熱環境と改正省エネ法への対応が身につく講座も準備いたしました。 架構を知りつくした「き」組による、快適で燃費の良い木組の家づくりを身につけませんか?
対象は、木組の家づくりを学びたい設計者および施工者です。 本講座の特色は、美しいデザインと耐震的な構造のバランスの取れた木組を学べる点にあります。 美術大学出身のメンバーが美術講座を、国土交通省による伝統構法の見直し委員会に参画する「木造住宅【私家版】仕様書」執筆メンバーが木組講座を指導します。 美術と技術の二方向から美しい木組の架構と温熱環境の構築の手法を学びます。 知識だけでなく、実際に手を動かしてデッサンや軸組模型をつくることで、しっかりと実践力を身に着けることができます。
ワークショップ「き」組の家づくりが「平成20年度 長期優良住宅先導的モデル事業」の採択を受けたことを契機に、全コースとも「長期優良住宅」に対応するプログラム構成となっています。 講座は「入門コース」と「上級コース」と「実践コース」の3講座制です。 実際の建物の架構を実践するコースも、サポート体制として用意しました。受講生による実践事例も増えています。
わたしたちは、伝統的な大工技術と国土保全につながる木材の循環の仕組みから、省エネルギーにつながる日本の家づくりを考えます。 日本の優れた木組の仕組みを、みなさんと共に未来へつなげていきたいと思います。 全国の皆様のご参加をお待ちしております。
ワークショップ「き」組 代表理事 松井郁夫
(おかげさまで今年度の木組ゼミは満員となりました。
実践コース「温熱講座」は来年度も予定しています。
受講生募集は来年1月頃から開始致します。ぜひお申込みください。)
■ 入門コース: 美術講座と木組の理念
■ 上級コース: 私家版メンバーによる木組講座
■ 実践コース: 現場研修、温熱講座、より実践的な木組講座
■ 開講日:4月~8月、9月~1月 基本的に月1回 (入門・上級コースは日曜日、実践コースは土曜日)
※実践コースの木組の家の見学会は、現場の進行状況により日程が変更される可能性がございます。あらかじめご了承ください
■ 時間:10:00~17:00 全5回(詳細は別紙スケジュールを参照)
一泊研修(植林ツアーまたは伐採ツアー、自力建設補助+スケッチ旅行:費用別途) 詳細後日
■ 費用:入門コース・上級コース 受講料8万円(1講座1万6千円×5回)+入学金1万5千円(お申込み時)
実践コース 受講料5万円
■ 場所:一般社団法人ワークショップ「き」組事務局内(東京都中野区江原町1-46-12-102)
※受講生多数の場合は会場を変更することがありますのであらかじめご了承ください。
■ 講師: 美術講座:松井郁夫、松井奈穂、松井匠
木組講座:現場講座:私家版研究会メンバー・松井郁夫、宮越喜彦、小林一元 温熱講座:辻充孝(岐阜森林文化アカデミー講師)
■ 講座内容
美術講座 「美術を身につける」 家づくりにかかわる基礎的な美術の実技を行い、プロポーションや色彩感覚を養う。 デザインの基本となるスケッチや色面構成、立体造形を学ぶ。
木組講座 「木組を学ぶ」 初めて木の家を学ぶ人や改めて木組の家を学びたい人のための、実習。 木組の家づくりにかかわる、実施構造図から模型までの木組を学ぶ。 私家版研究会メンバーによる課題と講評。
実践講座
「温熱講座」 省エネルギー法改正に基づく温熱対応の手法を学ぶ。
「現場研修」 実務に役立つ詳細設計や監理を、現場の実際を見て学ぶ。
「実践木組講座」 木組の積算や申請業務などを学び、実務に即活用できる木組の講座。
実際に計画中の建物を私家版メンバーが添削する「スペシャルプログラム」(別途料金)も用意しました。 今すぐ建てる家を木組でつくりたいとお考えの実務者にオススメです。
10年目を迎え、温熱講座が加わったことで、これまでで最も充実した内容となっています。 全国から奮ってのご参加をお待ちしております。
(おかげさまで今年度の木組ゼミは満員となりました。
実践コース「温熱講座」は来年度も予定しています。
受講生募集は来年1月頃から開始致します。ぜひお申込みください。)
■ 申し込み: 所定の申し込み用紙に必要事項を 手書きで 記入の上、下記に郵送する。
〒165-0023 東京都中野区江原町1-46-12-203 一般社団法人ワークショップ「き」組事務局 「木組のデザイン」ゼミナール 係
■ 問い合わせ: 一般社団法人ワークショップ「き」組事務局 (松井郁夫建築設計事務所内)
TEL 03-3951-0703 FAX 03-5996-1370
E-MAIL info@kigumi.jp
2013年03月19日 Tue
「日本の民家1955年展」開催期間中に、撮影者二川幸夫氏が他界されました。3月5日80歳でした。
二川氏の建築写真の原点ともいわれる展覧会の会期中のことだけに、一層、印象深く感じます。ご冥福をお祈りいたします。
だれも民家に見向きもしなかった時代に、全国を奔走し、わたしたちに美しい日本の民家の存在を知らしめた功績は大きいと思います。
展覧会場で気づくのは、美しい日本の風景に溶け込む民家を見るにつけ、本来日本の家づくりは、民家から学ぶべきであったということです。
この展覧会を見て、失われゆく民家などと、感傷にひたるよりも、家づくりを目指すわたしたちが忘れてはならないのは、日本の家づくりは日本の民家から考える、ということではないでしょうか。
これまで日本の家づくりが民家に学ぶことなく、伝統構法の設計法が、確立されてこなかったことを反省すべきだと思います。
伝統構法の知恵は民家の中にあります。伝統民家はこれからも継承してゆく構法でなければならないのです。なぜならば、日本の文化を継承することは日本人にしかできないからです。
1955年から58年、まだまだ美しい民家は残っています。この財産を守り、さらにみらいに向けて新しい民家をつくりだすことを肝に銘じたいと思います。
展示会は3月24日まで、パナソニック汐留ミュージアムにて
(写真は、古書店で買った二川幸夫氏撮影・日本の民家全10冊)
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