2025年02月10日 Mon
日本の近代建築の父と言われ多くの建築家に多大な影響を与えた「前川國男」の単行本が届きました。
東大建築学科を卒業と同時に「コルビジェ」のもとに入所した前川國男の一代記です。
両方合わせると1000ページを超えますが、しっかり読みたいと思います!
生前に一度お話をさせていただきました。印象深い思い出です。
これから「人間にとって建築とは何か」を問い続けた「前川イズム」に浸ります!
至福のときです!
2025年02月05日 Wed
「大宮の平屋」
大宮駅から1キロほど東の敷地に大きな平屋の家が建ちます。
農家の広い敷地には森のように木々が生えていますが、その中の一本の樹の下に48坪の平屋を計画中です。
ご家族はお母さまと息子さん家族。みなさん成人しているので個室を広くとりました。
大きな屋根のゆったりとした間取りになりました。南に正対した連続窓の開口部のがきれいです。
2月8日に地鎮祭が行われます。これからが楽しみな家です。
2025年02月03日 Mon
2025年01月31日 Fri
わたくしごとですが、本日「古希」の日を迎えました。
30歳で独立して40年、ここまでやれてこれたのはひとえに皆様のご支援の賜物だと思います。
おかげさまで健康で晴れ晴れした気分です。仕事も順調でまだまだ意欲的です。
これからも引き続きよろしくお付き合いください。
2025年1月31日
松井郁夫
2025年01月17日 Fri
阪神大震災から1ヶ月後に現地に立ちました。震災の直後では復旧活動の妨げになると考えたのです。
折しも「日本ナショナルトラスト」の調査員に選ばれました。
大阪のホテルから現地に通い被災状況をつぶさに見て回りました。
その時の報告はニューズレターに印刷して各方面に届けました。いまほどメールが一般的ではなかったと思います。
ドキュメンタリーのような生々しい報告は、受け取った人の印象に強く残ったようです。
当時神戸で救済活動をしているまちづくりコープの小林さんや重村先生を訪ねました。
主に古い街を中心に歩きました。そこで気づいたことがあります。
古民家や土蔵の被害が少ないのです。
周りが潰れた家々の中で大きく傾いてはいても、倒壊していないのです。これには驚きました。
古い建物は変形しながら潰れる手前で踏ん張っているのです。
つぶさに見ると「貫」が倒壊を止めていることがわかりました。
もちろん新しい建物も多く倒壊をこらえていました。
朝日新聞の夕刊に「プレファブは残った!」という記事がでてしばらくプレファブ住宅が地震に強いと注目を集めました。
そこで「貫」を見直しそれからは新築するときには耐震構造に「貫」を採用することにしました。
後に国土交通省が伝統家屋の耐震実大実験をしたときにも試験体の設計を任されたときにも「貫」を採用しました。
「貫」は「めり込み」に強く「継ぎ手・仕口」は「摩擦」によって力を「減衰」することがわかりました。
むしろ「筋違」は梁を突き上げて柱を折ってしまうのです。
また足元はフリーのほうが建物を壊さないこともわかりました。
「阪神大震災」よって様々な知見が得られましたが、現在の建築基準法にはあまり反映されていません。
永田町が80年続いた法規を変えたがらないのです。
しかし「貫」は構造材として見直されても良い材料だと思います。
2025年01月17日 Fri
30年前の今日のこの日を忘れない!
阪神大震災はわたしの設計人生を変えてしまいました。
当時40歳だったわたしは、それまで建物の見栄えをばかりを気にしてデザイン優先の設計をしていました。
それなりに名前も売れていましたが、衝撃的な被災状況を目の当たりにして慌てて神戸に向かいました。
この目で確かめないとどうしていいのか答えが出せなかったのです。
「日本ナショナルトラスト」の調査団に加えてもらいまだ粉塵の舞う現地にたったときは一ヶ月が過ぎていました。それでも悲惨な光景に言葉を失いました。
地震で亡くなった人は6434人、そのうち建物や家具の下敷きになって命を失ったのは約5000人。
当時、建物の設計を生業にしている自分は責任を感じて、この日から「丈夫な家づくり」をしなければならないと強く思いました。
ちょうど「建築知識」という雑誌に「木の家づくり」について原稿を書き始めたばかりでしたから、急いでテーマを「耐震」に切り替えたことを覚えています。
雑誌ではその後2年にわたって「丈夫な骨組と成長する間取り」を連載しました。
わたくしはもともとデザイン科出身のため構造についてはアイデアがなく、共著の建築学科出身の小林一元さんや宮腰喜彦さんの力を借りて毎月書き続けました。
「誌上ワークショップ」として読者ともコラボレーシュを重ねて多くご意見をいただき、最終回には建築知識の会議室で全国の読者を集めて「公開ワークショップ」を行い項目ごとに仕様を決めました。
その成果をまとめたのが「木造住宅 【私家版】仕様書・架構編」(写真添付)です。おかげさまで、当時から30年間のロングセラーです。
その間「3.11」で「東北」が揺れたり昨年の元旦には「能登」が揺れて、いまさらながらに日本が地震国であることを痛感させられています。
これまでの多くの犠牲者に哀悼の意を表して、今日のこの日を一つの契機と考えて「地震に強い木造住宅」の設計にさらに精進してゆく覚悟です。
2025年1月17日 松井郁夫
2025年01月10日 Fri
本日の建て方は雪のため中止です。明日は棟が上がりませんが、予定通り上棟式を執り行います。
2025年01月08日 Wed
建て方二日目
高床が組まれましたが、この後雪になりました。
2025年01月06日 Mon
2025年 事務所開設40年、民藝運動100年の節目に「いつか古民家になる家づくり」を実践し続けたいと思います。
2025年01月01日 Wed
2025年 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
2024年12月29日 Sun
正月のお休みは12月28日から1月5日までいただきます。
2025年は1月7日の「上荻の家」のキッチンの打ち合わせから始まります。北沢産業のショールム見学からです。
1月11日は延期になっていた「天橋立の平屋家」の上棟式です。
18日19日は「木組みのデザインゼミナール」最終日の講評会があります。
年明け早々からスタートダッシュしますので来年も引き続きよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。
2024年 松井郁夫・拝
2024年12月27日 Fri
今年は正月に能登地震が起きて不穏な始まりでしたが、余すところ数日となりました。
当事務所は今日で仕事仕舞いです。今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします。
写真は、能登の災害復旧に向かう飛行機の中から見たアルプスです。
寒い冬に向い、一刻も早く復旧のお役に立ちたいと思います。
良いお年をお迎えください。
2024年12月25日 Wed
「民芸調」という言葉をよく耳にした時代がありました。
「家具」や「室内装飾」に使われた言葉で「民藝運動」の盛んだった頃の流行りでした。
「民藝運動」は大正末期から昭和初期までに柳宗悦、河合寛次郎、濱田庄司らによって始められた工芸品の再評価運動です。
それまで見過ごされてきた日常の生活器具類に美的価値を認めようと「用の美」を唱え、「雑器」と呼ばれる名も無い工芸品に光を当て、イギリスの「アーツ・アンド・クラフト運動」と比較されました。
あまり意識されていませんでしたが「民芸」「民具」「民家」の3つの「民」の運動を先導したのは「民家」です。
「民家」はあまりにも身近にあったので話題にされなかったのです。
しかし、いま「民家」は日本建築の源流として見直されてきています。
現代の「古民家ブーム」が正にそのことを証明しています。
「民藝運動と建築」(2010年12月6日・淡交社初版発行)
2024年12月21日 Sat
設計を始める時に心がけていることがあります。「心構え」とでも言うのでしょうか?
まずは「奇をてらわないこと」つまり「変わったこと」や「目立つようなこと」はしないということです。
言い換えると「あたりまえをつくる」ことです。
「あたりまえ」は定義が難しいですが、人々が普通に感じることから逸脱しないことです。
とはいえ「美しい」はつくります。過度にならない程度のさりげない「美しい」です。
それでも「美しくつくる」ことを目標にするのではなく「きれい」をつくる形や色を選ぶのです。
さり気なく「きれい」がでるように仕組むことに喜びを感じています。
また、わたしの事務所ではどんな場合も全て自然素材でつくります。
主に無垢の木が素材です。
無垢の木の良さは言うまでもありませんが、その素材を活かすように心がけています。
常に素材が生き生きと輝き「きれい」を創ることを考えています。
そのような設計は「吉村順三」さんから学びました。
2024年12月21日 Sat
建築家として多くの作品を残された「谷口吉生」さんがお亡くなりになられた。
直接の面識はありませんが、正統なモダニストであったと思います。
上野の「法隆寺宝物館」は設計に行き詰まると訪れては新たな気持ちになれる、わたしにとっては「原点」です。
三代続く建築家の家系でこの世界では「サラブレッド」で、ニューヨクの近代美術館の新館完成時の挨拶では流暢な英語でジュークを交えて話されていた。
直角と直線を活かしたデザインは無駄のない端正な建物であったし、出来上がった空間は「崇高」な雰囲気さえ漂わせていた。
洒脱でハンサムで、わたしの大好きな建築家の一人であり憧れの人でした。
87歳の生涯は多くの後輩に影響力を与えたと思います。
御冥福をお祈りいたします…合掌…
2024年12月17日 Tue
元旦に起きた「能登地震」の現況を報告いたします。
震災から約一年経った12月13日・14日に能登の被災地を訪ねました。
NPO法人都市計画家協会の被災地調査のお手伝いで、災害の復興を業務にしている「地域計画連合」の代表江田隆二さんと一緒に今後の復興計画のための下調査です。
一日目は輪島市の黒島地区に入りました。黒島地区は能登半島唯一の重要伝統的建物群保存地域です。
TVで放映されていた道路に倒れかかった7階建てのビルも道路にはみ出した部分は解体されていました。火災で焼けてしまった朝市の通りも解体されて更地になっていました。
それでもあちこちに倒壊したままの建物がまだ点在しています。
現地での宿泊は古民家を改修した民宿でした。
二日目は地元の人達との「住宅相談」や「古民家に住む」をテーマに意見交換会に参加しました。
被災した住宅の「耐震補強」や寒さを克服する「温熱改修」方法についてお話させていただきました。
今後は被災した高齢者の方々のために「サービス付き共同住宅」の提案をすることになりそうです。
しばらく能登通いが続くと思います。
2024年12月03日 Tue
今年の師走は、例年になくスケジュールがいっぱいです。
まず、今週の7日から広島の「鞆の浦」で「作事組全国協議会」の総会が始まります。
「作事組」は京町家の保存利活用の活動をしている会ですが、全国版の「作全総」は京都だけでなく金沢や姫路の町家の再生を実践している会です。
松井は亡くなった学芸出版の社長だった京極さんに頼まれて監事を担当させていただいています。
総会では「各地の事例報告」に始まり「技術の交流会」を通して全国の実践者を増やそうと学習します。
8日(日)と9日(月)の事例発表にはわたくしも「古民家の温熱改修技術」についてお話します。
ご存知のように「鞆の浦」は宮崎駿監督のアニメ「崖の上のポニョ」の舞台で有名です。静かな港町ですが1983年には港に巨大な橋をかける開発計画が巻き起こりましたが、全国規模の市民運動で阻止できました。
狭い間口の家々が立ち並ぶ風情ある町並みも近年空き家が増えています。今回はその「空き家問題」に取り組む集まりです。
鞆の浦の次の日は広島の設計者や工務店の小さな勉強会を爆心地の隣の「折鶴タワー」で行います。
一旦東京に戻って12日からは「能登の震災被害調査」に輪島市「黒島地区」に行くことになりました。
輪島市内の「黒島地区」は漆塗りを成業にする職人さんたちの住む古民家が立ち並ぶ「重要伝統的建物群保存地区」です。
能登ではボランティアで古い町並みの復興・継承のお手伝いをします。まずは職人さんや工務店の確保です。
地元の設計者と力を合わせて何ができるか探りたいと思います。
クリスマスの25日は「天橋立の平屋」の建前が決まりました。宮津という丹後半島の北端の町で、海に近いため津波の心配があるので「高床式」の「木組の家」を計画しました。床下が「せがい造り」のダイナミックな木組です。現在、建主さんに建前見学会をお願いしているところです。決まりましたらみなさんにお知らせします。
年末に全国各地をいったり来たりする目の回るようこそな忙しさですが、来年の完成に向けて張り合いのある年の瀬になりました。嬉しい限りです。
2024年11月30日 Sat
ブログ | プロジェクトレポート | 小金井の家
3年前に建てた建主さんから当事務所と工務店の現場担当者に嬉しいお便りが届きました。
玄関先の樹も大きくなり落ち着いてきました。大事に住まわれている様子を見ることが出来て設計者冥利に尽きます。
許可をいただいたので転載させていただきます。ありがとうございました。
尚ベランダはひび割れではなく塗装の剥がれでしたのでリタッチすることにしました。
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松井様
小村様
2024年11月28日 Thu
ちょっと気が早いですが、冬休みの日程を考えてみました。
クリスマスの12月25日に「天橋立の家」の上棟式が決まったので、慌ただしい年末になりそうですが、例年通り12月28日(土)から1月5日(日)まで休ませていただきます。
とは言っても休み中もメールは毎日見ていますし、連絡は取れます。いつでもメールください。
松井郁夫・拝
2024年11月28日 Thu
名刺に「建築家何某」と刷っている方がいますが、ちょっと待ってほしい。
「建築家」って人が決めることで自分から言うことではないと思います。
一般的には公的資格である「建築士」と名乗ることがいいと思います。
「~家」とは「その道を極めようとしている人」のことを世間が認めてくれて 初めて「~家」と言えるのだと思います。
だから「建築家」と呼ばれるには「建築の道を極めようとしている人」ではなければいけないでしょう。
一般的には技術者としての「設計士」と言ってもいいかもしれません。また単に構造の計算ができるだけの人の場合も「構造家」とは名乗ることはおこがましいでしょう。
「なにかを極める」ことって、そんなに生易しいものではないと思います。生業の範囲を超えて「社会性」も持たなければいけないし、世の中に「訴求力」を与える「理念」も必須だと思うのです。そのことで「社会的責任」も生じるし。世の中を有るべき方向に導く「先導力」を持つことも必要だと思います。
なんだか世の中がゆるくなって、曖昧になってきたことで「職能」も簡単に言えることが多いですよね。
最近読み始めた「建築の前夜・前川國男論」松隈洋著・みすず書房を読みながらそんなことを思い始めました。
40年前に一晩で一気に読んだ「一建築家の信条・前川國男」宮内嘉久編も衝撃的でしたが、この本で生前の前川先生を思い出して久ぶりに、自分自身の肝に銘じております。ちなみに私の師事した大工棟梁「小川行夫」は前川先生と懇意にしておりました。一度お会いした時のことは、以前のブログ「小川行夫のことを話そう①」にも書いております。
2016年みすず書房刊
1981年晶文社刊
プロジェクトレポート