髙円寺の家 オーナー連載「木組みの家に住んで」

2016年06月07日 Tue

連載【木組みの家に住んで】
第十九話
「変わらずに生き残るためには、変わらなくてはならない」

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「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第19話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十九話
変わらずに生き残るためには、変わらなくてはならない
〜床下をふさいでおきた小さな波紋〜

三年前(2013年)にこの家を設計するにあたり松井事務所がある試みをしていたというのは、
ずっと後で知ったことでした。
それは床下を開放せずにコンクリートで閉じたことです。

これまでの連載でご紹介したとおり、
高円寺の家のエアコンは半地下に設置して床下にも暖冷気がまわるような設計がされています。
ですので、温熱を逃がさないためにも床下の基礎コンクリートを密閉するのはごく自然なことだとわたしには思えました。
しかし、そのことが伝統を守って家を建てている同業者からは「松井は伝統を捨てたのか」という心配の声があがる原因になったというのです。
いったい何があったのでしょうか。

 

高円寺の家上棟式

基礎と土台が密閉されています

パソコンで調べてみると、建築の工法は大きくわけて3つが考えられます。

①西洋の考え方が入ってくる明治以前の伝統構法
②1960年代、戦災の復興のためにはじまった在来工法
③1970年代、高度成長期に導入された2×4工法

現在の施工例は伝統構法が1%。ほぼ②、③が全体を占めているといわれています。
松井事務所に苦言を呈したのは業界全体からではありません。
伝統に携わる人たちからだったのでした。

伝統構法による「足元」というのはいったいどんなものだったのでしょう。
昔からの建て方で、「石場建て」というものがあります。
昔はコンクリートがありませんでしたから、土の上にそのまま家を建てます。
それでは接地する柱が土の湿気で腐ってしまうので、接地面だけに石を埋めてその上に柱を立てた。

それが「石場建て」というもののようです。
柱はその石に置いてあるだけ。
神社仏閣の多くはそういう足元のつくりになっているといいます。
「置いてあるだけで、よく地震のときにひっくり返らないものだ」と素人は考えますが、
知れば知るほど先人の知恵のすごさにおどろかされます。

伝統的な構法では足元近くの柱と柱の間を「足固め」ががっちりとつなぎ合わせます。
中間部は「貫」が柱同士を支えます。そして上層部は「梁」が渡されて建物の骨組みが完成されます。
その建造物を竹で編まれたザルと想像していただくと想像しやすいかもしれません。

ザルを伏せて地面に置く状態。これが伝統構法の建物です。
それからが「石場建て」が本領発揮します。
足元は石の上に柱を載せただけですから接地していても地面と建物は正確には分離しています。
ですから地震がきたとしても、地面は大きく揺れますが建物はさほど影響は受けないのです。

すごいですね。先人による免震構造というものかもしれません。
そうやって地震大国であるにかかわらず神社仏閣が損なわれず何百年も遺ってきたのでしょう。

石場建て

石場建て

石場建てにすれば床下は外にむかって開放されます。地面の湿気を通気させるためです。

貫の施工

5つの要素のうちの「貫」の施工

現在はコンクリート基礎の上に土台木を寝かせて、そこに柱を立てて縛りつけるのが主流らしいので、石場建てがどれだけ採用されているのかわたしには知ることができません。
ただ、その名残で「床下は開放する」ということが伝統でのしきたりなっているのかもしれません。

ここで、伝統に基づいた構法とはどういうものか、
素人ながらエキスを5点にしぼってまとめてみたいと思います。

①柱組み(軸組)であること。
②接合部は手刻みで金具は使わないこと(耐震)
③柱と柱は「貫(ぬき)」で支えること(耐震)
④足元の柱同士は「足固め」をして、がっちり固めること(耐震)
そして、最後の
⑤に床下は開放(通風)するというのがあったようなのです。

台風や地震、高温多湿、低温乾燥など過酷な自然環境にさらされる日本の建築物は、
永年月にわたり修正され完成度を増して現在の伝統構法に行きついた歴史があります。
5点があわさっての伝統構法。
もしそのひとつでも欠くことがあれば、「伝統を捨てたもの」と周囲の目に映ったのだと思われます。
それが声になって現れてしまったのかもしれません。

足固め貫フラットベット

「足固め」の建て方

伝統に携わる方たちが松井事務所の床下に異議を唱えたのは、もうひとつ理由があったのではないかとわたしは推測しているのです。
それは、松井事務所が高円寺の床下を閉じて温熱を追求したことが影響しているのかもしれないということです。
素人にはわからなかったことなのですが、古くからの建築をおしすすめている方たちの中には「家のつくりようは夏をもって旨とすべし」という言葉を好んで使うことがあるとお聞きしたことがあります。
徒然草に記述される言葉です。そこには冬の寒さは耐えられるけれど、夏の暑さは耐えられない、ということが書かれています。

日本は四季がはっきりしていて夏はフィリピンのような熱帯の暑さ、そして冬は北欧の寒さに見舞われます。
先人の大工はこの季節のどちらに照準を合わせて家造りをしたらよいのか、きっと頭を悩ませたものと思われます。当時の技術を考慮すれば両立は不可能です。
それで、吉田兼好のこの言葉を指針としたのかもしれません。

そうしてみると日本の家屋は夏向きにつくられていることに気づかされます。夏の強い日差しを避けるための深い軒、風の流れですぐに外せるような障子や襖。欄間は部屋上部にこもった熱気を逃がすための仕掛けであるとお聞きしたことがあります。

そういえば「日本の家は夏、涼しいが冬は寒い」というのはわたしの母がよく言っていたことです。そういう昔からの流れに現代の温熱を導入してわが道をいったのが松井事務所の仕掛けだった。

それに対し伝統的な家を建てる方たちには、夏を旨とするというのに、温熱を求めるのはけしからんということが心のどこかにあったのかもしれません。そういう声の出ることがわかっていて、あえて松井事務所が床下を閉じるに至った理由をお聞きしなくてはなりません。

近年における住宅建築の大きな流れとして、「高断熱」「高気密」が追求されていることがあるといいます。
エネルギーの消費を少なくしようという狙いがあるのでしょうね。それが国の掲げる目標です。

床下断熱の2種類

床下断熱の2種類

専門的になりますが床の断熱について大きく分けて2種類があるといいます。

①床断熱(床に断熱材を入れて家を包む)
→床を境に床下と家がわかれる。この場合、床下に通風口を設けて外気を入れる。

②基礎断熱(コンクリート基礎に断熱材を敷いて、基礎から家を包む方法)
→床下は閉じる。外気は遮断され床下と室内が一体になる構造。通気孔が部屋に設けられ床下の空気と対流させる。

松井事務所では、高円寺の施工に当たって②の基礎断熱を採用しました。床下を閉鎖して、温熱を床下も含めて利用しようとしたのです。
見た目だけかもしれませんが、床断熱を選んで床下に通風口を設けたならこうした異議は出なかったかもしれません。しかし、基礎断熱は通風口を完全に閉じてしまわなくてはなりません。
それが伝統的な建て方をしている方たちの不興を買ったののでしょう。

設計だけでなく後進の育成をされて伝統構法や木組みの家づくりの重要なポジションを占めている松井事務所は、このような「伝統を受け継ぐ」ということからもっと自由な立ち位置にいたのでしょうか。
お話を伺うと代表の松井さんにはひとつの信念があることがわかってきます。

それは、伝統はただ守るだけでは衰退してしまうというものでした。
良いものを受け継ぎながら常にチャレンジして新しい命を吹きこまないと伝統そのものが死んでしまうというのが、その基になるお考えだったのです。

1963年に日本で上映された「山猫」というイタリア映画で登場人物が印象深いセリフを言っています。
それは、「変わらずに生き残るためには、変わらなくてはならない」というものです。
逆説的でわかりにくい物言いですが、伝統の継承として言いかえれば
「(伝統というのは)たゆまず改良しながら完成された今日があるのだから、これからも更新し続けることが生き残る道だ」と読み解くことは可能かもしれません。
これは伝統構法を愛する松井代表の考え方にとても似通っているようにもみえます。
伝統を継承する者として、変わらなく生き残るためにはどうしたら良いのでしょう。

イタリア映画のセリフにならえば松井事務所が床下を閉じて温熱を追求したのは、
「(伝統構法が)変わらずに生き残るためには、変わらなくてはならない」という側面があったかもしれないことだったのです。

これまでは、伝統を守ろうと頑張っている方たちのご事情と松井事務所の立ち位置を述べてまいりました。
次に温熱がどんなものかを見ていきたいと思います。
建築基準法がどんどん変遷して、現在では「高断熱」と「高気密」が住宅建築の重要なテーマとしてあります。
しかし、気密と断熱を追求すればするほど、室の内と外に温度差が生じ→床下で結露が生まれやすくなるという問題点があることがわかってきました。いくら室内で快適な温度環境にあっても、その結果、床下が湿気っていればゆくゆくは家の土台が腐る原因となってしまいます。

そういう方策も立てなくてはなりません。
そのひとつの観察が工学院大学の研究室から提起されたのです。
昨年(15年)の春、松井事務所からわたしに連絡がはいりました。
大学の研究室が床下の結露のデータを取りたいといってきたというのです。高円寺の家が選択されてモデルになった。
観察する家屋は、床断熱(床下外部の開口あり)の3軒と基礎断熱(床下を閉じた)の高円寺1軒です。
松井事務所として、床下を閉じることで温熱をいかす自信があっても床下の結露についてはデータがあったわけではありません。
ですから、この研究はとても興味のあるテーマだったのです。

中島研究室による床下結露調査

中島研究室による床下結露調査

研究室では室内、室外、床下の三カ所に湿度計と温度計を置いて計測し、その差異から床下の結露点を割り出す方法が取られました。
結露点をこえれば、床下が湿気っているということになります。今は便利になりましたから、計測機器を設置すれば研究室に居ながらにしてデータが収集できるのです。

調査は湿気が多くなる春夏が過ぎて、乾燥期を迎える秋冬も続けられてそしてとうとう一年間のデータがそろいました。
その結果、高円寺の床下は一度も結露点を越えることがなかったと明かになったのです。

 

つまり、床下を閉じても湿気が少なかったということが、はれて証明されたことになります。
良かったですね。温熱と結露予防が両立できたのです。

でも、床下に口を開かなくてどうして好成績をおさめたのでしょう? そのことが疑問に残ります。
ふたつの床断熱の仕方にはそれぞれ特長のあることが研究でわかってきました。
先にも申しあげたとおり住宅を高気密、高断熱にすると室の内と外に温度差が生じて結露が生じやすくなるということがあるらしいのです。

  • 床断熱→床から上は温かいと床下との温度差が出て、結露の環境になってしまう。床下に外部空気の取り入れ口を設けても、結露に至る可能性があると観測された。とくに梅雨期は、開口から外の湿った空気を取り込んで結露する危険性が指摘された。
  • 基礎断熱→床下と部屋との一体断熱。床下空気と室内空気の循環で結露防止に効果あり。ただし、部屋の環境が悪ければ、そのまま床下の環境悪化を招くとの指摘。

今回の観測において例証をあげることはできませんが、高円寺の基礎断熱工法が床下結露の発生の可能性が少ないということにおいて他3軒の床断熱工法にくらべて圧倒的な好成績をおさめました。
ただそれがそのまま床断熱にくらべて基礎断熱の優位性をあらわしているのではないような気がします。
木組みの家と基礎断熱の相性が良かったのだろうと思えるのです。
先にも述べさせていただいたように、基礎断熱工法の床下は室内空気と循環しています。
つまり床下は室内の環境と一体なのです。

松井事務所の家づくりは、石場建てこそしていないものの、構造物は伝統構法に則って構成されています。
その結果、漆喰壁や無垢の木材の調湿機能で、夏場の多湿、冬場の乾燥期においても室内は10%程度の湿度改善がされています。
その室内の快適さがそのまま床下に反映されているものだと、今回の研究結果で気づかされたことです。

高円寺の家は床下こそ開放されてこそいませんが、伝統的な家づくりの良さを充分に継承してさらに発展をとげているものと、わたしには思えるのでした。

 

 

<第二十話につづく>
連載「木組みの家に住んで」まとめページはこちら

 

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「松井事務所」より

高円寺の家の床下は結露しません

高円寺の家の床下は結露しません。

Kさん、いつもありがとうございます。
プロ顔負けの専門家になってきましたね……!(笑)

住宅の世界では、伝統構法と温熱の問題が叫ばれていますが、
松井事務所の立場ははっきりしていて「伝統は進化しつづける」というものです。
地球温暖化による気温・気候が変動、高度に複雑化した現代の暮らしの中で、
”快適な日本の民家”とは何なのでしょうか。

例えば、家のはじまりである竪穴式住居では、土の上に座って、一年中囲炉裏を焚いて生活していました。
土が熱を蓄え、冬には地熱が遅れて戻ってくるので、ゴザを敷いた室内は温かかったといいます。
その後、石場建てになり、床が出来ます。床の下は外ですから、もちろん冬は足元が凍てつくように寒かったのですが、温度差がありませんから、結露もありません。

時は流れ、明治維新と太平洋戦争を経て、今では石場建ての代わりに基礎コンクリートが敷かれ、床下には断熱材が設置されています。
昔の石場建てにはなかったものです。ベタ基礎で囲われた床下に流れこんだ湿気が、断熱材の入れ方次第で結露を呼ぶことが、今回の中島研究室の調査で分かりました。
時代が変遷し、新たな構法の登場と共に、新たな問題も出てきたのです。

「高円寺の家」は、貫+足固めによる木組に、”高断熱高気密”というほどではありませんが、
エアコン一台で心地よく過ごしてもらえる温熱環境になっています。床下を閉じたことで、結露のない快適な環境が得られました。

松井事務所の設計する建物は、いつでも先人の叡智と、自然素材に助けられています。
それを継承していくために、その時代その時代の問題を乗り越えながら、伝統を進化させつづけることが、大切だと思うのです。
そして、それを融合させるのは、古民家の用と美に学ぶことだと考えています。

<松井郁夫>

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第一話「木組みの家の暖房事情」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんが、エッセイを送ってくださいました。 
今日から、連載をはじめます。

Kさんは60歳でこの家を建てられ、お一人でお住まいになっています。

無垢の木と漆喰の木組みの家の生活は、どのような暮らしなのでしょうか。
日々のお住まいの様子をお楽しみください。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第一話
木組みの家の暖房事情

木組みの家「高円寺の家」外観

外観の全景です

今冬の寒さはとても厳しいといわれています。

野菜が育たなくてスーパーで高騰しているくらいです。
おまけに東京では成人の日の大雪。

 

新しいわが家は畳がなくすべての床が板敷の設計です。

その板敷と寒さには思い出がありました。

わたしが40年前に入学した高校では、柔道と剣道の選択授業があったのです。わたしの選んだのは「剣道」クラス。

この剣道が寒かった。
防具をつけて板敷の体育館で素足にならなくてはいけません。
冬場はこれがつらい。

床板が冷たくて、凍える思いがするのです。

先生がくるまでは、ちゃんと立っていられなくて、震えながら「かかと」だけで立っていたおぼえがあります。
みると他の同級生も同じような格好になっていた。

ですから「板敷は寒い」というのがその頃からのわたしの印象だったのです。

今回、家を建てるにあたって、床はすべて檜(ひのき)の板敷になると聞かされていました。

床下暖房を設置するとは聞いていましたが、「板敷の寒さの」印象がよみがえってきます。
いったい、どんな住環境になるのでしょう?

 

木組みの家「高円寺の家」ダイニング

床は桧、壁は漆喰です

引っ越し日は、昨年のクリスマスでした。

実際に住んでみないとどれだけの寒さかわかりませんでしたから、 旧家から4畳半のカーペット1枚と10畳用のファンヒーターを持ち込んで寒さ対策に備えたのでした。

寒さがつらければ、すぐこれを取り出すつもりです。

暮らしてわかったことは、室内が寒くないのです。
板敷も冷たくない。

専門家に聞くと、
「床が檜(ひのき)なら冷たくないでしょ」と言われました。
床材につかう木の種類で、冷たさが違うらしいのです。

 

 

前に住んでいたのは、終戦後すぐに建てられた木造モルタルの家だったのですが、冬のさかりには頭が冷えて暖房なしではいられなかった。
でも、新しい家では、そういう厳しさを感じなくてすむのです。

それは床の材質のほかに、壁が昔ながらの「漆喰(しっくい)」
だということに秘密があったようなのです。

室内の湿度の違い。

「同じ30度の気温でも、日本の夏とハワイでは感じる暑さが違う」とは、よくいわれます。
湿度によって体感温度が異なるという。

夏は湿度が低いほうが涼しい。
ということは冬に乾燥(湿度が低い)すると、寒さはより厳しいことになります。

湿度からみてみれば、日本の夏は多湿なので
「厳しく」暑く、冬は乾燥していて「厳しく」寒いのですね。

木組みの家は、壁が漆喰です。

たとえ外気が乾燥していても、室内では壁が呼吸をしていて適度な湿り気を排出してくれます。

だから低温でも寒さを感じなかったのでしょう。

暮らして1ヶ月ですが、暖房をほとんどかけていません。
そのかわり、ウールの帽子をかむり、綿入れを着て、厚手のソックスをはいて一日をすごしています。

 

木組みの家「高円寺の家」暖房器具

アミアミに暖房器具がかくれています

 引っ越しして2日目の12月26日にこの家の設計をしてくださった松井さんから

「どうですか。寒くはないですか」というお電話をいただきました。

わたしは暖房をつけずに住んでいることを話して、持ち込んだファンヒーターのことなどをお伝えしました。

すると松井さんは、
「煤のつく石油ストーブをたくのは壁によくないですよ」とおっしゃったのです。

炎をたくとどうしても室内の空気がよごれて、それを吸った白壁が、長年月をかけて黒ずんでしまう、とのことでした。

ほんとうに壁は呼吸をしているのですね。

 

<第二話につづく>

 

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「松井事務所」より

Kさん、エッセイありがとうございます。
「高円寺の家」は無垢の木と漆喰の調温湿効果によって、室内の温度と湿度が安定しているので、一度温まると冷えにくいのでしょうね。また、乾燥した時期に湿気を放出してくれると、体感温度は良いかもしれません。
床置エアコン一台で全室が空調できる工夫を施した、省エネルギーの木組みの家ですが、エアコンはあまりつけていらっしゃらないようですね。この冬の寒さは、大丈夫でしょうか?

燃費の良さを計るために、1年を通して温熱環境がわかる、温湿度計を置かせてもらっています。
シーズン毎にデータを公開します。夏のレポートも楽しみですね。

木組みの家「高円寺の家」お庭づくり「高円寺の家」では、庭づくりがはじまりました。
斜めに流れるイメージで石を置いていきます。塀は竹でつくりました。
家づくりのご依頼のとき、建主さんからひとつだけいただいたご要望は「庭を眺めて暮らしたい」というものでした。
家の中からは、どこからでもお庭を臨めるようになっています。
5月の「お住まい内覧会」をご期待ください。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第二話「60歳の誕生プレゼント」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイです。

Kさんは60歳でこの家を建てられ、お一人でお住まいになっています。
無垢の木と漆喰の木組みの家の生活は、どのような暮らしなのでしょうか。
日々のお住まいの様子をお楽しみください。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第二話
60歳の誕生プレゼント

 

木組みの家「高円寺の家」棟上げ

木組みの家の棟上げ

わたしだけの「おひとり様用」の家を建てることになって、6月初め(12年)に着工、昨日(7月14日)に棟上げ式をしました。
建築というのは、この「棟上げ」が節目になるそうですね。
梅雨のはしりに着工していますから、お天気しだいで、工期の遅れもあることだったのです。

あらかじめ、棟上げ式は7月14日と設定されていましたから、それが予定通りにできるかどうか気をもむ日々でした。

木組みの家「高円寺の家」上棟式の直会の様子です

上棟式の直会の様子です

ところが東京は予想外の空(から)梅雨で、雨が降るとしても深夜か土日に集中したのです。工事現場の影響は少なくてすみました。
去年(11年)の秋に話が持ち上がって、その半年後の棟上げでした。

新宿から中央線に乗り、ほどなく行った駅ちかくに現地があります。 駅をおりると、そこはシャッター商店街とは無縁な地域で、お店のにぎわいが2キロも3キロも続きます。その喧騒からちょっとはずれる小道をはいると、建築現場があります。

たった20坪の小さな敷地です。

木組みの家「高円寺の家」1:50模型

自宅の1:50模型

住宅が密集していますから、お日様を入れるために、庭もつくらなくてはなりません。
したがって1階10坪、2階10坪の狭小なスペース。

1階は玄関、台所、食事室、居間、トイレ、風呂場の間取りで手いっぱい。

寝室と書斎は2階にという設定です。

それでも、わたしひとりで住むにはもったいないようなつくりとなっています。

 

 

5年前(07年)。わたしが55歳のときに直腸がんを患いました。 たまたま発見が早かったので命を取りとめましたが、その時に死んでもおかしくはなかったと今でも思っています。

2年前。わたしが58歳のとき、同居・介護していた義母を見送りました。義母という先頭を走っていたランナーがいなくなり、わたしがトップにおどり出た瞬間です。 次に死の順番をむかえるのは、このわたしになるのです。

若い時には、自分の生が無限にあると信じていたのに、今は死をみつめる自分がいるようになりました。
「何か希望をもたせてくれ」とひとり娘と話し合ったのが、住まいをつくることになったきっかけでした。 「先になにか希望がないと、人はすぐに死んでしまうから」と。
それで、 今年の60歳の還暦の時に、長生きのプレゼントとして、住まいが娘からもたらされたのでした。

7月棟上げ式。
12月のクリスマス前の引き渡し。
ですから、新年(13年)は新しい住まいで迎えることができそうです。

11月28日には伝統芸能の舞台をしている朗(甥)が来てくれて、新しいお家で舞を奉納してくれます。

還暦を迎えて、目標ができた。

あと5年、現職をまっとうし、 その後は末永く娘の仕事をサポートするのです。

娘が「新しい住まいをつくろう」と心に希望の灯をともしてくれたおかげで、わたしの中では生きる意欲がわいてきたのです。

 

<第三話につづく>
第一話はこちらです

 

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木組みの家「高円寺の家」建方

「高円寺の家」の上棟式です

「松井事務所」より

第2話は上棟のあとすぐに執筆された文章です。
上棟式は近頃では見かけなくなりましたが、構造が出来上がる建前のときに建物の無事を祈願して行われる祭祀です。

丁寧に手刻みした材料を豪快に組んで行く建前は、木組みの家の醍醐味です。

上棟式のあとは、建主さんが職人さんを労う「直会」を行っていただきました。

庭づくりも現在進行中です。3月中に植栽が行われます。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第三話「注文は出さない」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第三話です。

Kさんは60歳でこの家を建てられ、お一人でお住まいになっています。
無垢の木と漆喰の木組みの家の生活は、どのような暮らしなのでしょうか。
日々のお住まいの様子をお楽しみください。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第三話
注文は出さない

自然界では生殖が終わると、死を迎えるのがならわしだとあります。

自分のDNAを子孫に残すと、その役割を終えるのでしょう。

わたしは12年5月に還暦を迎えました。
60歳の折り返し点に来てみて、わたしは
「あと15年か」
と思ってしまいました。
15年たてば、わたしも75歳です。それだけ生きれば充分です。

しかし、限りがあっても15年はあまりにも短い……。

お友達の家。「小竹の家」外観写真です

松井事務所設計のお友達の家。「小竹の家」2009年竣工

ひとり娘のお友だちが家を建てた。
新築祝いに娘が招かれて行ってみたら、「とても良かったよ」と言うのです。
「建てたいと思っているなら、その家を見てごらん」と連れて行かれたのが去年(11年)の秋のことでした。
行ってみてびっくり。ひと目見てすぐに気に入ってしまいました。

木組みの家「小竹の家」内観写真

「小竹の家」の内部二階

木をふんだんに使ったぜいたくなつくり。
カベは新建材のボードではなく、呼吸をしている漆喰(しっくい)です。

「こんな家に住んでみたいな……」と天井を見回していたら、かたわらに立った娘が「お願いしようか」と言ったのです。
そのひと言だけで、わたしの75歳までの想定寿命がいっきに85歳までのびてしまいました。

去年(11年)の暮れに、お友だちから紹介された設計事務所に行って、設計の依頼をしました。
それから図を引いて、半年後の6月(12年)はじめに着工でした。

おどろいたことに、去年(11年)の娘の選挙で、ウグイス嬢をつとめてくださったのが、設計士さんの娘さんだということがわかったことです。
わたしの娘は練馬区で区議会議員をさせていただいているのです。

車酔いになったウグイス嬢にわたしが「耳を引っぱって良いですか」と訊いて娘ににらまれたのです。
あのお嬢さんが設計士さんの娘さんだった。

 

敷地は20坪の小さな土地ですが、いったいどんな建物としてわたしの前に現れるのか、わくわくして待っています。

7月14日(12年)の上棟式。
これは、建築主が職人さんたちの労をねぎらう場でもあるらしいのです。

親戚側はわたしとわたしの兄と娘の3人。現場のみなさんは14人の参加でした。

兄を設計士さんに紹介。
木組みの家を手がけていると聞いて、兄は、「増田一眞さんをご存じですか?」と設計士さんに尋ねたのです。

「結花」外観写真

「結花」外観。170年前のお蔵を移築した全景

増田さんというのは、毎年1月、わたしの甥の主宰する和力という伝統芸能をする団体が、ライブをする松戸市矢切の「結花(ゆい)」のご主人のお名前です。
1級建築士で伝統的な家の建て方を研究されているその世界では「大御所」といわれている方だそうです。

埼玉県の所沢という駅前開発を視察にいったとき、170年前にたてられた薬種問屋の建物がとり壊されることを知って悲しみ、その建物を矢切に移築したのが、現在の「結花」 なのです。

「結花」の室内。梁が太い

「結花」の室内。梁が太い

3月11日の震災のときにもビクともしなかった、木組みのお蔵でした。
「増田先生? 知っていますとも。矢切に移築する時も電気工事の配線の設計を図面をお手伝いさせてもらっています」と設計士さん。
こんな所にも意外な「縁」がひろがっていくのでした。

 

 

 

木組みの家「高円寺の家」1:50白模型

腰屋根

わたしの敷地は住宅密集地ですから、南側に建物があります。
ですから、中庭をつくって日を入れなくてはなりません。

紙モデルを掲示しましたが、L字型の建物になっています。

わたしは設計士さんに 「風呂場の浴槽につかりながら、ライトアップした中庭を眺めてみたい」 とひとつだけ注文を出しました。
左側が風呂場です。そこに小窓が切られてありますね。そこから庭を見ます。

木組みの家「高円寺の家」建方です

木組みの家の建方です

そんな贅沢な注文が通ってしまいました。
出来上がったら、いったいどんな形になるのか、すごく楽しみです。

 

木組みの家「高円寺の家」建方です

一本づつ組んでいきます

「上棟式はぜったい見ておいた方が良いよ」
と娘のお友だちに強く勧められて、今日にのぞみました。

何が起きるのかと思ったら、基礎しかなかった場所に柱が立ち、梁をまたがせ、家の骨組みが次々にできあがっていくのです。

職人さんたちに食べてもらう寿司の大皿、オードブル、冷えたビール、持ち帰っていただく弁当も宅配便で建築現場に届きました。 朝方に強い雨がふりましたが、今はあがって夏の強い日差し。お弁当屋さんも、「気温が高いので早めにお召し上がりになってください」と言い置いていきました。

しかし、工事は予定時間の午後3時を過ぎても、なかなか終わる気配はありません。料理も寿司ですから、温まるのが心配。ビールもあったかくなっちゃう。 そういうことを考えはじめるとわたしの頭は落ち着かなくなってくるのです。

「ほらほら、日差しもなくなって風が出てきたから、お料理も楽になっているよ」
と娘に慰められて、気持ちを持ち直します。

予定時間を1時間過ぎた午後4時に棟上げが完成。 屋根の骨組みまでできました。

棟梁と建築主が四方の柱にお神酒と、塩、お米をまいて神様にお祈りをします。
上棟式は神事だったのですね。

そしてみなさんと顔合わせをして並べられた料理の前で乾杯です。

建築主が挨拶をしなくてはなりません。
娘に頼んだら「人前で挨拶するのはイヤだ」と断られたので、仕方がないのでわたしが前に立ちます。
「人前に立ちたくないって、あなた……」議員を商売にしているくせに何を言っているんだか。

くつろぎながら飲んでいると、となりに座った建築士設計士さんが、「Kさんは建築にあたって何も注文しなかったのが良いですね」とおっしゃったのです。……だから 、やっている方もやりやすくて、力をいれてやっていると。

ありゃ、「風呂場の浴槽につかりながら、ライトアップした中庭を眺めてみたい」というのは注文のしたうちに入っていないようなのです。

高い買い物だから、いろいろなことをいう人がいるらしい。気持ちはわからないでもないですが。
設計士さんたちは専門家ですから、その注文に添おうとするのでしょうが、やりにくいのかもしれません。

ひとつを崩せば、全体のバランスがくずれるということもあるのかもしれません。

わたしは、最初から何の注文もありませんでした。

 

「結花」の2階で「和力」のライブ

「結花」の2階で「和力」のライブ

実は、朗(甥・伝統芸能の舞台俳優)にも同じことがあったことに気づきました。

朗は今年(12年)の11月、娘の地元・練馬では4度目の舞台として招きました。
その勧進元のわたしとしては、本当は、やってもらいたい演目があるのです。

秩父夜祭りに「秩父 屋台囃子」というのがあります。
これを朗がやるととても良いのです。
豪壮で、ひとりで太鼓を打つのですが、とてもひとりだとは思えない太鼓の響きなのです。

でも「やって」とわたしは注文を出しません。
ですから、わたしは05年の松戸公演から朗の「秩父屋台囃子」を見ていません。

もうひとつ。

福島県いわき市に伝わる「ぢゃんがら念仏踊り」も見てみたいのです。
いわき市の青年団は念仏踊りの連を組んで、
新盆を迎えた家々を回るのが伝統となっているらしいようです。
着流し姿で笠をかぶり、腰前に太鼓をすえて、踊りながらそれを叩きます。

朗がやると、これが幽玄でとっても良いのです。
でも、わたしは「やって」と言いません。

こちらからは注文を出さず、彼がやりたいことだけをやってくれれば、それで良いのです。
それは、わたしが朗の芸を尊敬しているので、こちらが何かを注文するのは失礼だと思うからなのかもしれません。

わたしは去年の秋に娘のお友だちの家を拝見したときから、
この家の建築に携わった方たちに尊敬の念をいだいています。

ですから、建築にあたって、わたしは何も注文を出さなかったのだと思います。

 

 

<第四話につづく>
第一話第二話

 

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木組みの家「高円寺の家」お庭の塀は竹

庭の塀は竹、石は六方石で、流れるようなデザインです

「松井事務所」より

信頼して家づくりを任せていただき、ありがとうございました。存分に力を発揮できました。庭づくりも進行中です。現代的な石組と竹垣が響きあうように考えました。

Kさんから、竹の塀が緑から黄色がかってきて味が出てきたとご報告がありました。

これから樹木を植えます。どんな庭になるのか?

5月の「お住まい内覧会」をどうぞご期待ください。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第四話「18歳も若返った」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第四話です。

Kさんは60歳でこの家を建てられ、お一人でお住まいになっています。
無垢の木と漆喰の木組みの家の生活は、どのような暮らしなのでしょうか。
日々のお住まいの様子をお楽しみください。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第四話
18歳も若返った

今日で、木組みの家に入居して1ヶ月(13年1月)が経ちました。
新しい家を維持するために忙しく、パソコンに向かわないうちに夜が更けてしまう毎日です。

「新しい家ができたら、犬か猫を飼ったら」と、ひとり住まいの淋しさを心配した娘から提案されています。
犬は飼い主の顔をぢっと見ているし、 猫はこちらとは関係なく動き回ります。
「でも家で生き物を飼うと、檜の床や杉の柱が爪で痛むから」とわたしは二の足をふんでいます。 生き物より家のほうが、かわいいんです。

毎日、仕事を終えると、
「さぁ、早く帰って、家のお掃除をしなくちゃ」
とわくわくしながら帰って行く毎日です。小さな建坪の家ですが、けっこう広くて、やることはたくさんあります。

娘の提案には、ちょっと心が動かないこともないのです。
わたしがいつか飼いたいと思っているのは、「黒い猫」。
でも、世話はたいへんだし、家に爪を立てられるのを覚悟しなくてはならないので、たぶん実現しないでしょう。

木組みの家「高円寺の家」玄関の猫の人形

玄関のKikiと、娘のつくった猫

近所の本屋さんに寄ったら、「魔女の宅急便」にでているKikiが売っていたので購入。これで飼っているつもりになりましょう。

引っ越しするために旧家を片付けていたら、娘の小学校時代の工作がでてきたのです。鼻は欠けているし、右手も先はない。 
でも、様子がよく出ているので、わたしの「お気に入り」になりました。

 

木組みの家「高円寺の家」洗面所

洗面所。タニタの体重計です

居間から風呂場の脱衣所を見た所です。正面が洗面所。

見えませんが左に浴室、右にトイレがあります。
真っ正面の下に黒い四角のもの。これがタニタの体重計です。
「新しい浴室には、新しい体重計が必要」とタニタを求めました。

いまの体重計はすごいんですね。 体重だけでなくて、他のデータもでてくる。 そのなかに「体内年齢」というものがあります。

体重計に乗っておどろいた。
わたしの体内年齢は「43歳」だったのです。
ことし61歳になりますから、実質年齢より体内は18歳も若かったのです。
おどろきました。
女性のみなさん、たいへんですよ。 わたしのように食生活を変えて希望が芽生えると、身体が若返る可能性がある。

わたしは1年前に、家を新築する話が出て、同じころに食生活の大改善をしたのでした。
今は、外食はしないし、昼食はお弁当を持っていく毎日です。 お肉もほとんど口にしていません。

体内年齢が若いといわれても まだすぐに疲れるし、トボトボと歩いているから、そんなに若さを感じない。

でも、体内は若い。 この若さが、いつか外面にも表れてくるのかしら。

そんなことになるといいですね。
楽しみ。

 

 

<第五話につづく>
第一話第二話第三話

 

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木組みの家「高円寺の家」のテーブルと椅子「松井事務所」より

高円寺の家のダイニングに椅子が届きました。
椅子は「木工房ようび」さんのクレーチェアーを購入しました。桧のフレームとペーパーの座面が素朴でいい感じです。木組みの家と桧の床材ににぴったりです。

「お住まい内覧会」は5月のはじめを予定しています。
近く当サイトでご案内致します。
ぜひ木組みの家と、庭と、椅子とテーブルを直接ご覧になってください。

木組みの家「高円寺の家」の椅子

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第五話「家には知らない生きものが棲んでいる」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第五話です。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第五話
家には知らない生きものが棲んでいる

解体前の古民家

解体前の古民家

年末(12年)にラジオを聴いていたら、 タレントの中村メイコさんが、家について話していました。
「引っ越しをしようと決めたとたん、家が傷みだすということが昔から言われてきた……」

人が住まなくなると家が傷む、または朽ちる、ということはよくはなしに聞いていました。
それは、人が住まなくなると、窓を開けて風を入れたりしなくなって、それで傷みやすいと思われていたのです。

 

でもメイコさんの言っているのは、違います。
窓を開けて風をいれる、というのとかかわりなく、思いがなくなると、家が傷みだすとおっしゃっているのです。

住み手の心が切れると、家に棲んでいた「何か」が去ってしまうことを言っているのかもしれません。
わたしの身近でも、ほんとうにあったことなので、メイコさんの言葉をきいて驚いてしまったのです。

わたしが以前、住んでいた家は大田区の蒲田というところにありました。
終戦直後に、わたしの義母と義理の祖父母が建てたものです。
木造モルタル。 築は60年になっています。

12年前にわたしの妻が亡くなりました。
祖父母を看取り、義母を見送って、わたしの娘は独立。
ひとり残されたわたしは娘と相談をして、引っ越しを決心したのが11年の末だったのです。
法定相続人になったわたしの娘は、地震がきたときの被害をおそれて、この家の解体を決意したのでした。

松井設計事務所に移転先の設計をお願いして、引っ越しの準備をはじめたのが12年のはじめでした。
そこから、蒲田の住まいに変化がはじまったのでした。

最初におこったのは、いままで使っていた電子レンジのスイッチが反応しなくなったことです。

灯油を買いにいこうと、ポリタンクを自転車にのせてペダルを漕ごうとしたら、ペダルが空回りして走り出せません。
チェーンがダメになった。

縁側にウッドデッキ風に板が貼っているのですが、その板がはずれて足をのせられなくなってしまった。

勝手口の天井の板がはがれて垂れ下がってしまった。

家だけではなく、それに付属する自転車、電子レンジまでが動かなくなってしまいました。

そういうことが引っ越しするまでの1年間にゆっくりと起こったのです。
少しずつ建物が朽ちはじめた。

家を統治していたなにか得体の知れないものが、引っ越しを決意したときに立ち去ってしまったのでしょうか。
だから家全体のタガがゆるんで、あらゆるものに故障が発生したのかもしれません。

今までの常識では、 「住まなくなると家は傷む」というものでしたが、 現にわたしは住んでいるのに、傷みはじめていたのです。

古民家の解体現場

解体中の古民家の内部

だから、中村メイコさんの言葉をきいて、わたしは膝を打ったのでした。

昔々、日本では、目に見えるものが「ある」といわれ、目に見えないものも「ある」とされました。
両方「ある」のです。

わたしは若いときに、東洋医学を学んだことがあります。

その医学の根本では、「生体をつかさどっているのは気血の流通にある」といいます。
「血」は見えるものだからわかるのですが、「気」のほうは見えないから、生徒には理解しがたい。
でも、見えるものと、見えないものが人体を支配している、と東洋医学ではいうのです。
しかも、「気血」といって、「血気」とは言わない。 見えないもののほうが優位なのです。

この考え方から、建物をみていきましょう。
「朽ちる」という言葉があります。くさって落ちるという意味です。
「腐る」といういい方もあります。現状の状態を保てなくて崩れていく状態をいうのでしょう。
建物を意味するものと違いますが、「穢れ(けがれ)」という言葉もあります。

3つの言葉が意味するのは、生きている美しさを維持できずに崩れ去った様をあらわしている。

われわれは漢字でごまかされていますが、この言葉には共通の意味があるのです。 
それは「気」がいなくなった状態を示しているのです。

「朽ちる」は、ひらがなにすると「くちる」。「く」はか行の変化で「気」なんですね。
「気 落ちる」→「きおちる」→「くおちる」→「くちる」→「朽ちる」

おなじように
「気 去る」→「き さる」→「くさる」→「腐る」

そして
「気 枯れ」→「き かれ」→「けがれ」→「穢れ」

となるのです。
3つもそろうと偶然ではありません。
ことばのもつ背後に、「気」がいなくなってしまっている様を表現しているのです。

「気 落ちる」
「気 去る」
「気 枯れる」

たぶん、ここでたびたび使っていた「崩れる」という言葉も、「気 ずれる」状態のことを指しているのかもしれません。
なにか我々には見えない「気」というものがいなくなってしまうと、生き物は崩れ去っていくのではないか、と昔は考えられていたのでしょうね。

その観点から考えると、中村メイコさんのいった「引っ越しを決めたときから、家は傷みはじめる」という発言も納得がされます。

引っ越しをしようと心にうかべたときに、その家を支配していた「気」が去っていったのかもしれません。
そして、そのときに、わたしの家も傷みはじめた。
見えないその「気」というのは、昔は「神様」と思われていたのでしょう。

その後、ご一新(維新)により、「見えないものも『存在する』というのは不合理だ」ということになって、 見えない「気」は駆逐されるようになったと聞いています。

維新後にはいってきた西洋合理主義は 「見えるものは『ある』。 見えないものは『ない』」 ということで貫かれています。
わかりやすいですね。だから、明治の人はこれを合理主義といったのでしょう。

もっと具体的に東西の違いを見ていきますと、
年齢の数え方に、東洋的な「かぞえ年齢」と西洋の「満年齢」をあげるとわかりやすいと思います。

西洋は見えるものだけが「ある」とします。
胎児が生まれ落ちた瞬間から、年齢をカウントしはじめます。ですから生まれ落ちた1年後が「満1歳」

お腹の中にいて見えなくても、赤ちゃんは存在するのに、 西洋の考え方では、「見えないから存在しない」となるのでしょう。

木組みの家「高円寺の家」獅子

みえない生きものが家を守ってくれています

ところが東洋は見えないものも、「ある」とします。お腹にいてまだ人間として見えない状態のときから赤ちゃんの年齢をかぞえはじめます。 だから、生まれ落ちた瞬間が1歳。 これが「かぞえ年齢」の考え方なのです。

いったい、どちらが合理的なもののとらえ方なのか。

西洋の考え方でしたら、「引っ越しを決めたときから家が傷みだした」といっても「それは迷信だろう」のひと言で片づけられてしまうだけなのでしょうね。

 

でもわたしは、あらゆるものの背後には必ず「気」というものが棲んでいて、それが家を守ってくれている
という見方に1票を投じたいと思っているのです。

 

<第六話につづく>
第一話第二話第三話第四話

 

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「松井事務所」より

 

木組みの家「高円寺の家」庭

庭が完成しました

入魂の儀は、どの家にも毎回行いたい儀式ですね。
古民家を解体していると、その家の人格のようなものが感じられます。
家に魂が宿るということは、あると思います。

庭にもその家に住む人の気持ちを込めてつくりたいと思います。
先日、庭が完成しました。心をこめてつくりました。

5月5日(日)6日(月振替休日)の内覧会へのお越しをお待ちしております。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第六話「たまいれの儀」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第六話です。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第六話
たまいれの儀

木組みの家「高円寺の家」たまいれの儀衣装

「和力」のK朗(あきら)とK磊也(らいや)

わたしの甥は長野県に住んでいて、伝統芸能の舞台を仕事としています。
和力(わりき)というユニットで海外交流基金のご招聘で、毎年、海外で伝統芸能を披露したりもしています。獅子舞など、神事とする「おめでた芸」を多く身につけています。家が完成したら、その家に神様を迎え入れる儀式をこの甥っ子にしてもらおうと企てたのです。
今回は、昨年11月28日に行われた「たまいれの儀」のお話をしようと思います。
わたしの新しい自宅に「魂(たましい)」を入れてもらう儀式でした。

 

 

 

 

木組みの家「高円寺の家」地鎮祭

着工前の地鎮祭

仏壇を新しく買うと、お坊さんを呼びお経をあげてもらいます。
仏壇に仏様をお呼びするのですね。そういう儀式は家を建てる時にもあります。
地鎮祭→ 神主を呼んで、お祓いをしてもらいます。
建前(上棟式)→土地の四方に塩、お酒などをまいて、お清めをします。
こういうものはみんな神事です。でも家が出来上がっても、なにもしません。 工務店からカギを渡されて、それで「引き渡し」→完了です。

伝統芸能をしている甥のK朗(あきら)に聞いても、 「完成時に獅子舞くらいはした経験がありますが、本格的な『たまいれの儀』というのは今回が初めてです」 とのことでした。さて、どんなことが行われるのでしょうか。

午前10時30分 演技者が現場に到着
11時30分 見学者が現場に到着
12時00分 「たまいれの儀」開始
13時30分 会場を移して飲食

というのが、この日のスケジュールです。見学者は工事関係者、建て主の親族の10人、演技者は2人という布陣です。演技がはじまる前に、参加者は、家の中を見学。

敷地20坪。そのうち1階の建坪が10坪。2階も10坪の狭小な条件。
家の設計をしたのは松井郁夫という方なのですが、図面のお手伝いをしてくれたのは赤川真理さんという若い女性の1級建築士さんでした。

赤川さんは、facebookで「今まで(私が手がけたなか)で、いちばん小さい家なんだよ。でもアイデアが凝縮されている」とつぶやいています。「そんなかわいいいお家、見に行きたい」と読者の反応。

しかし、今日の見学者からは、「そんな狭さを感じさせない作りになっている」と驚きの声があがっています。設計士さんは鼻が高いことでしょう。「今日は曇りなのに、どうして家の中がこんなに明るいの?」ともらす人もいます。南側に大きな建物があるのに、家の中は外より明るい。 きっと、光を取り入れるのも計算のうちなのでしょう。

儀式は12時ちょうどからはじまりました。
「火伏せの舞」の衣裳に身を包んだ朗と磊也(らいや)がみなさんの前に現れます。

木組みの家「高円寺の家」たまいれの儀1

玄関先で割箸を井桁に組みます

まず、見学者を玄関前に誘導。
玄関前に割り箸を井桁に組んだものがあります。これを燃やして神様を呼ぶのだそうです。

その前にお清め。 建て主が敷地の四方にお塩、洗米、お酒をまいて、まわりを清めます。 こういうのを「結界(けっかい)をつくる」というと、以前、朗に聞いたことがあります。 境界線をつくって、神様におりてくる目印をみせるのです。

終わると、衣裳に身を包んだ朗が割り箸に火をつけて、それを踏みつけます。火伏せなのです。

木組みの家「高円寺の家」たまいれの儀2

玄関で権現舞。

大きな獅子頭を持ってふたりの「権現舞」が玄関先で繰り広げられます。あぜんと見守る見学者たち

そのまま、ふたりは玄関をはいり左側の食事室へ。

木組みの家「高円寺の家」たまいれの儀

朗の囃子で舞う磊也(朗の息子)

朗のお囃子で、磊也(朗の息子)の鶏舞。

鶏というのは夜明けをつれてくるものとして縁起が良いといわれています。

そして朗の火伏せの舞。
火伏せは火よけいわれて台所の神様ともいわれている。

木組みの家「高円寺の家」食事室で火伏せの舞

食事室で火伏せの舞

これをしっかりやったあとで、ふたりは階段をのぼって、寝室へ。
パソコンルームは覗かずに、そのまま階下におります。

居間の正面舞台で、磊也の鶏舞。
朗の口上。
そして磊也の口上があって、息もつかせずに「たまいれの儀」が終了しました。

その間、近所の子ども連れのお母さんたちが2組、太鼓の音にひかれて、中庭の観客席に参加していました。

獅子頭に導かれて、お客様は玄関前に集合。

木組みの家「高円寺の家」たまいれの儀、無病息災

無病息災のを願って獅子が参列者を噛みます

見学者ひとりひとりの頭を噛んで、「無病息災」の祈り。

飛び入り参加のお母さんたちは、ご自分の頭は噛まれましたが、連れの子どもたち(5~6歳)は獅子を怖がって後ずさりです。

「ただいま、新しい家に神様を呼んでいただいています」
とわたしがお母様に説明すると、
「○○ちゃん、神様を呼んでるんだって、良かったね」と歓声をあげます。

獅子と参加者全員が玄関先で集合写真。

これで、すべての儀式は終わりました。
わずか40分の儀式でしたが瞬く間に終わった印象です。

「火伏せの儀式ですから、火を使う台所、いつもいることになる食事室で重点的に舞いました。
それといる時間の多い寝室ですね。」と、あとで朗の解説。
それで書斎は素通りだったのか。

立ち会った工務店の社長が興奮して、「こういう儀式はとても良いので、家を作ろうとする人たちにオプションでいれたらどうですか」と設計士の先生に耳打ちしていました。

設計士の先生、工務店の社長が列席していて、「こういう儀式を見るのは、初めてだ」と口を揃えて、おっしゃっていました。 業界で初めてなんでしょうね。 
設計事務所のご長男は、「感動して涙が出てきそうでした」とおっしゃっていました。

こうやってわたしの新しい家に神様が宿ってくださいました。

 

<第七話につづく>
第一話第二話第三話第四話第五話

 

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木組みの家「高円寺の家」たまいれの儀集合写真「松井事務所」より

 すばらしいたまいれの儀式でした。「和力」K朗さん、磊也さん、照公さん、どうもありがとうございました。

”ケとハレ”の区別が薄くなっている現代で、こうしたハレの儀式の大切さを改めて感じました。

5月5日(日)6日(月振替休日)の内覧会へのお越しをお待ちしております。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第七話「家の狭さをどう広く見せるか」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第七話です。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第七話
家の狭さをどう広く見せるか

木組みの家「高円寺の家」寝室

寝室から廊下をのぞむ。床も天井も板が縦に張られている

わたしの家にはふたつの制約があります。
ひとつは、敷地が19坪しかないことがあります。
そして、ふたつめは南側に2階建てのアパートが建っているので、中庭をつくって光をいれなくてはならないという条件がありました。

中庭にスペースが取られるので、じっさいの建坪は1階10坪、2階10坪しか設定できない。
しかし、中庭をつくっても、冬場、光が射しこむのは2階のベランダ側のみです。

この狭さと、光のはいり具合は、設計上でどういう工夫がされているのかを、住んでみて発見したことがあります。今回は、狭さをどう感じさせないかの発見を、素人ながら述べたいと思います。

これから4回ほどは、建物にまつわる物語ではなくて、5月の内覧会に実際にお越しになる方のご参考にしていただくために掲載いたします。
また、直接、お越しにならない方にも写真をごらんになってお楽しみいただければさいわいです。

 

この家は敷地の制約から長方の形になっています。
玄関が小さい辺で、そこから風呂場にいたる形が長くなっているのです。

住んでみて気がついたのは、床板が、長いほうに向かって張られていることでした。

洋服で言われるのは、横縞の模様は太って見えるし、縦縞はスマートに感じるということがあります。
床板を縦方向に張ることによって、部屋を視覚的に広くてスマートな印象を与えるのです。
こうした貼り方は、建築業界では常識的なことなのでしょうが、素人見ではおどろきの工夫だったのです。

空間的には、天井が高く設定されています。

圧迫感がないので、これからも「広い」という印象がもたれます。
2階の寝室は天井がなく、屋根を支える梁がむきだしであらわれています。
8畳くらいしかない寝室なのですが、とても開放感のあるスペースとなっています。

 

木組みの家「高円寺の家」寝室上のガラス

天井のガラスを通して廊下の垂木が見通せる

写真でみておわかりの通り、寝室と廊下をへだてる鴨居にあたるところがガラスで見渡せるようになっています。
寝室にいながら廊下の梁をながめることができます。
こうしたことも、寝室を視覚的に広く感じる仕掛けになっているのだろうと思われるのです。

5月の内覧会にお出かけになるようでしたら、2階のこのガラス仕切りをご覧になってください。
この家の見どころのひとつです。

 

木組みの家「高円寺の家」書斎

パソコンルームの天井。低くて落ち着いて居ることができる

寝室を出て、廊下を渡るとパソコンルームです。
ここは天井板を貼って、狭い印象を持たせています。
ですから、ここで長時間パソコンをしていても落ち着いていることができるのです。

広くみせるために基本は上を高くし、パソコンルームだけは低い天井。こうしたメリハリの良さが住みやすい環境になっているのだと思われます。

 

木組みの家「高円寺の家」階段

柱一個分広いといわれた階段の幅スペース

 

先日、家屋調査士さんに出来上がった家を測ってもらったのですが、2階にあがる階段の幅スペースが通常の家より「柱一個分、広く取られている」と教えていただきました。わたしにはほかの家と比較する手立てがなかったのですが、専門家によれば、そうだったのです。

狭い建坪なのに、あえて階段スペースは広く取っている。

木組みの家「高円寺の家」二階トイレ

階段正面2階トイレ。便器の両脇が広く取られています

 

 階段をあがると真正面が2階のトイレです。階段の延長線上にトイレがありますから、このトイレも階段の幅と同じに作られています。

ですから、やっぱりトイレは広い。
「ふつう、便器うしろの両脇はスペースがありませんが、この家のトイレは手が入れるだけの余裕がありますね」と調査士さん。
階段の幅スペースのゆとり。2階トイレの広さ。
狭いという制約がありながら、何気ないところにほどこすスペースの贅沢が、住まいをより豊かなものにしているのかな、と感じております。

木組みの家「高円寺の家」リビング

狭いけど居間。左手のカーテン越しが庭

1階の部屋は、東側に台所と食事室、西側に浴室とトイレがあります。

両者の間にあるのが「居間」とされているものです。
居間といっても長方形の場所で、廊下に毛が生えたような狭いスペースです。

木組みの家「高円寺の家」居間から庭を

居間から庭をのぞむ。ウッドデッキ居間を広く感じさせる

 

 

 

この狭い居間を広く感じさせるスペースが設計士さんから提案されました。
庭側にウッドデッキを設置することです。

 

 

木組みの家「高円寺の家」居間デッキ

木製の戸は全て壁に引きこまれます

 

 

 

この開放感は、庭と居間を仕切っていたガラス戸が、すべて戸袋に収納されているからでもあります。

 

 

 

 

木組みの家「高円寺の家」庭から

庭からみた居間

 

 

このようにして、せまい敷地を大きくみせる工夫が見てとれました。

 

 

 

さて次回は、南側に建物がありながら、光をどう採りいれて室内を明るくしているのか、という工夫を感じてみようと思います。

 

 

 

<第八話につづく>
第一話第二話第三話第四話第五話第六話

 

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木組みの家「高円寺の家」生花と庭

お伺いすると、いつも花を生けてらっしゃいます

「松井事務所」より

 東日本大震災のあと、松井事務所が事務局を務めるワークショップ「き」組では、
「日本を、住む。」
という意見広告を出しました。
ただ漫然と「日本に住む」のではなく、
「住む」ということを、もう一度意識し、深く感じて、考える必要があるのではないか、という意味です。

Kさんの文章からは、Kさんが「家を、住んで」いらっしゃるのがよく伝わってきます。
つくり手の工夫を理解していただけて、とても光栄です。ありがとうございました。

「高円寺の家」では5月5日(日)6日(月振替休日)にお住まい内覧会を開催します。
小さな家でも広く感じる工夫を、ぜひ体感してください。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第八話「光の採り入れ方。浴槽につかりながら庭を見る」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第八話です。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第八話
光の採り入れ方。浴槽につかりながら庭を見る

木組みの家「高円寺の家」越し屋根

越し屋根

さて今回は光の採り入れ方です。

これまで幾度となく申し上げましたが、わたしの家は南側にアパートが建っていて光が入りにくい立地となっています。
南側に中庭をほどこして光が入るように設計されています。

写真は、朝、目覚めたときの天井の風景です。
ベッドの真上で光があふれています。

木組みの家「高円寺の家」ハイサイドライト南側の屋根に小さな小窓がしつらえてあり、リモコンで開けることもできます。

寝室を出て、パソコンルームにいたる廊下。この上部にも開閉式の窓があります。

ここは通常はベランダですが、空中庭園として芝が貼られています。

洗濯物は外に干さず、すべて乾燥機で処理する考え方になっています。
欧米式なんですね。

木組みの家「高円寺の家」屋上庭園そのぶん、芝は贅沢。

 

 

 

そして、この家の特徴は、全室から庭が見えるところです。

 

木組みの家「高円寺の家」居間から庭を臨む

 居間から庭をのぞむ。

 

木組みの家「高円寺の家」食事室から庭を眺める

 

 

 

 

 

食事室から庭をながめる。

 

木組みの家「高円寺の家」寝室からの光景

 

 

 

 

 

寝室からの光景。

 

木組みの家「高円寺の家」浴室木組みの家「高円寺の家」浴室から

 

 

 

 

浴槽につかりながら、庭をながめることが出来ます。
風呂場は、この家の目玉です。

 

木組みの家「高円寺の家」玄関に小窓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  玄関に小窓をつけていただいたので、あかるい。

 

木組みの家「高円寺の家」雪見の地窓

地窓

 

 

 

 

 

食事室の南側。雪見の窓というのでしょうか。

障子を開けると、窓があり、それが開きます。

 

木組みの家「高円寺の家」階段下のあかり

地窓

 

 

 

 

北側、階段下の明かり取り。

 

木組みの家「高円寺の家」吹抜け西側

 

 

 

 

圧巻は、食事室の上部に大きく設置された、はめ殺しのガラス窓です。
これは西側ですが、家で唯一、大空が見える位置です。
この窓の効果で、食事室が大きく見えます。

青空を見ながら朝の食事。

夏場は西日が当たるかもしれませんが、それも経験してみなくてはわかりません。

木組みの家「高円寺の家」食事室のあかり

 

食事室。

東側の窓から朝日が差し込みます。
今朝は卵かけご飯でした。

 

 

 

 

 

<第九話につづく>
第一話第二話第三話第四話第五話第六話第七話

 

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木組みの家「高円寺の家」SketchUp日影検討

「高円寺の家」 の日影検討

「松井事務所」より

 Kさんのお宅は、南側にアパートが隣接しているため、採光は一番の課題でした。

3Dで日影を検討し、冬はたっぷりと光を入れ、夏は直射日光を入れないよう、窓の開け方を工夫しました。

さらに、白い漆喰壁が光を運び、家中を明るくします。

お住まい内覧会では、狭小地でも明るい木組みの家を、ぜひご体感ください。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第九話「隠して奥ゆかしさを演出」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第九話です。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第九話
隠して奥ゆかしさを演出

木組みの家「高円寺の家」浄土寺格子の玄関戸

浄土寺格子風の戸

家の中でわたしのお気に入りとしてあげたいのは、玄関と居間を仕切る戸です。

重厚なつくりで、この戸のために家全体が引き締まってみえます。

戸の名称は「浄土寺(じょうどじ)格子をイメージしたもの」といいます。
普通の格子は京都の町家に見られるような縦の格子戸なのですが、これはマス目です。

浄土寺

兵庫県「浄土寺」

 

浄土寺というのは、兵庫県にある、快慶作の阿弥陀如来像が安置されているので有名な古刹です。

昔は寺社建築に富が注がれたので、今の世にも伝統的な技法として残っているのかもしれません。

木組みの家「高円寺の家」庭

この竹の囲いが、建仁寺垣です

 

 

 

 

今回、庭の造成をお願いしたのですが、ここにもお寺の名前がありました。
「建仁寺垣」。
建仁寺とは、これも京都にある、座禅で有名な所です。
このお寺が最初に組んだといわれているのが「建仁寺垣」といわれているそうです。

 

 

 

 

伝統を味わっていただいたあとに、今日は、設計上の「仕掛け」を探検したいと思います。

最初に取り上げたいのは「浴室」です。

十和田石と檜で構成された風呂場。
十和田石というのは軽石のもっと密度のある石だと想像してください。
これが通常のタイルに相当する部分に貼られています。
軽石に近いですから、流されるお湯の浸透がはやい。ですから浴槽がむれることがありません。

実は、わたしはお風呂に入ることが苦手だったのです。
室内がむれるために息苦しくなってしまい、すぐに飛び出てしまうのが習慣だったのです。
ユニットバスはとくに苦しい。

木組みの家「高円寺の家」浴室石貼

下が十和田石。上が檜の構です

しかし、この家の浴室は、十和田石の効果があって息が楽です。
浴槽近くの小窓を空ければ、涼風がはいってきて、庭を眺めながら露天風呂気分にもなります。
何時間でも浴槽に浸かっていることができます。

家が完成した時に、木材関係の新聞社に取材を受けました。
「檜の風呂は、手間がかかるでしょう?」と。
昔の檜風呂はたしかに手間がかかったかもしれません。
お風呂の後には、よく流して乾かしておかないと浴槽がぬるぬるになってしまうからです。

わが家の檜風呂は、写真の通り、浴槽は現代的な素材、シャワーで直接お湯のあたる部分は十和田石でカバーがされています。
檜は上部に設置して、檜風呂の気分を味わうためだけにあります。

十和田石と檜までの高さがじつに絶妙で、シャワーを浴びても、お湯が檜までにはかかりくいようになっています。
いろいろな計算から、この高さが見きわめられたのかもしれません。
ですから、浴室掃除をするときには、檜にほとんど手はかからないのです。

木組みの家「高円寺の家」洗濯機置き場2

浴室のガラス越しから見たトイレ

次に、洗濯機置き場をご紹介します。
風呂場を出ると、左に洗面所、真向かいはトイレです。右は引き戸で閉じられています。

 

木組みの家「高円寺の家」洗濯機置き場

左を開けると洗濯機、右を開けると居間です

 

 

 

 

右の引き戸を開けると、居間への開口部に通じます。
左の引き戸を開けると、洗濯機があらわれる。

ここはちょうど2階にいく階段下にあたります。
引き戸を設定して、洗濯機が見えないようにされているのが工夫です。

木組みの家「高円寺の家」エアコン仕掛け2

食事室の床置きエアコン

 

 

 

 

工夫ついでに、エアコンの設置。

食事室、据え置き型のエアコン。
上部吹き出し口と下部からも温冷風が出ます。下の吹き出しは床下を伝わり、床暖房、床冷房の働きをします。

 

木組みの家「高円寺の家」エアコン仕掛け1

格子に隠れてもリモコンが効きます

 

 

普段は、カバーがかけられてみえなくなっています。

この状態からリモコンでスイッチがはいります。

機器が隠れたので見た目がスマートです。

木組みの家「高円寺の家」階段手摺仕掛け3

階段の手摺にも工夫があります

木組みの家「高円寺の家」階段手摺仕掛け2

角材でなく、細工を施して繊細にみせる

 

 

 

 

 

木組みの家ということで、むき出しの太い梁や柱が出ているのがわが家の特徴です。
それでいてこのように武骨と感じさせない、工夫が見てとれます。

見ていただきたいのは階段の手すり。

 

 

 

 

太い素材をそのままに手すりとして置くのではなく、
細工をして繊細に仕上げています。

木組みの家「高円寺の家」二階廊下

階段と廊下を分ける格子

木組みの家「高円寺の家」階段手摺仕掛け1

軽やかに見せる工夫です

 

 

 

 

 

 

こちらは2階の廊下と階段を仕切る枠です。

 

 

 

 

 

 

こちらも、木を武骨に組んでしまうのではなく、
上部の渡しと下部の足の接合部に細かい技術がほどこされています。
上からでは見えません。
下からのぞき込むとわかるのが、なんとも奥ゆかしい。

 

木組みの家「高円寺の家」階段の仕掛

 

さて最後は、目の錯覚を利用した仕掛けをご紹介します。

写真は居間から2階の階段をのぞんだところです。

檜の階段です。
1段目にご注目ください。ここだけは檜をまるまる使っています。
向こうの壁に手前の壁をあわせれば、本当はこの檜の断面は見えないことになります。

でも、わざわざ手前の壁を後ろに下げて、1段目の檜が見えるようにしてあります。

階段は12段あるのですが、1段目にどーんと檜を見せることによって、まるで12段全部に、まるまる檜を使っているよう印象を持たせています。

実際には12段すべてに使っていたら高額になって、予算がいくらあっても足りなくなってしまいます。
1段だけ見せて、まるで他にも使っているような想像をさせてしまうというのが、この階段の仕掛けだったのです。

 

目の錯覚を利用して贅沢を楽しむ。

建築って本当におもしろいですね。

 

 

 

 <第十話につづく>

第一話第二話第三話第四話第五話第六話第七話第八話

 

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木組みの家「高円寺の家」寝室の垂木スリットガラス

寝室の垂木の間は、空間を吹抜につなげるガラスです

「松井事務所」より

 ”重いものは軽く、軽いものは重くみせる”
建築にはトリックような仕掛けがあります。そのことで空間が軽やかになり素材感が引き立ちます。さりげなく施されているので、住んでいてもなかなか気づかないものですが、創意の意図まで汲んでいただき光栄です。

木組みの家「高円寺の家」浴室天井目地

浴室天井の目地は、湯気を切り、天井を浮いたようにみせます

もうひとつタネ明かしをすると、寝室にも垂木と垂木の間にスリットを入れています。
ここから黄金色の西日が漏れてくるはずです。寝室の閉塞感を取り除く工夫です。

お住まい内覧会はまだまだ募集中です。木組みの家の居心地と、ディティールの工夫を併せて、ぜひご覧ください。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第十話「居ながらにして森林浴」という贅沢

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第十話です。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十話
「居ながらにして森林浴」という贅沢

 

この回は、木組みの家の「空気感」と「音楽事情」をレポートします。

この家に住んで4カ月がたちますが、
わたしの身体に小さな変化がおきていることに気がつきました。
毎日、生活をしていて、体の汚れが少なくなっているのです。とくに着ているシャツの襟(えり)汚れがあまり目立たなくなった。

わたしは、「どうしてだろう」とずっと思っていました。

木組みの家「高円寺の家」食事室床

床は桧の無垢板です

するとある日、設計士さんに、「木の床は適度な湿り気があるので、落ちてきた塵を吸着してしまうのですよ」と教えられたのです。
「床にとらえられた塵は舞わないので、掃除は床だけを拭けばよい」と。
木の家に住むと、室内の空気が清浄な印象があったのですが、木の床に秘密があったのです。
塵が舞っていなかった。

わたしは、一日の半分はこの家で過ごしています。
床の効果により、塵が室内で飛散しないので、それでわたしの身体の汚れが少なくなったのだと知りました。

花粉症の例を見れば、もっとわかりやすいかもしれません。

わたしがこの世に生を受けて(昭和27年)、物心ついたときに日本は高度経済成長をはじめます。
戦災で疲弊した国土が、経済成長とともに復興していくのです。

経済の成長はいろいろな変化を日本にもたらしました。
そのときなぜか、わたしは地面の移り変わりを見ていたのです。

わたしが小さい時には雨が降るとぬかるみになるような土の地面ばかりだったのに、それは、見る間にアスファルトで覆い尽くされていきました。
道路を国土の隅々まで舗装していった歴史が、わたしが目にした高度成長だったのです。

その結果どうなったのか。

たしか昭和45年ころに「花粉症」というアレルギーがあらわれてきました。
高度成長が始まったといわれる昭和33年から12年後のことです。

地面が土だった時代には、花粉は落ちてそこに吸収されてそれでおしまいでした。
しかし、アスファルトはそういう機能を持ち合わせてはいません。
一旦、アスファルトに落ちた花粉は行き場を失い、風が吹けば、それが舞い上がる。
飛んで落ちてくるものだけでなく、一旦落ちたものが再び舞いあがって、2重、3重に花粉に囲まれているのが現在の塵の事情なのではないかと思われるのです。
その花粉群にヒトが反応して花粉症になった……。
素人なりに、そう推測されます。

 

木組みの家「高円寺の家」ボーズのスピーカー

テレビの横にボウズ社制のiPhoneスピーカー

前出の設計士さんの言葉をここに合わせるとおもしろい。
「木の床は適度な湿り気があって、落ちてきた塵を吸着する」

木の床は、昔の「土の地面」に匹敵するものだったのです。

現在の住宅は、
鉄筋コンクリートのマンション
新建材のツーバイフォー住宅
が主流になっています。

これらは難燃性ということでは画期的だったのでしょうが、
アスファルトと同じで、室内の塵を吸着する働きをもっていません。
室内に落ちた塵が、ヒトが移動するたびに風が起こって舞いあがる―。
すると、
「空気清浄機」が売れはじめます。
舞っている塵を吸い込んでもらうのです。
その機械を使うこと自体、室内の空気が汚れているということになるのでしょうね。

木の家には空気清浄機は必要ありません。
わが家では2階の軒裏(のきうら)が「あらわし」で施されています。
「あらわし」というのは建築用語で、ふつうは隠してしまう所をあえて露出してしまう工法をいうらしいのです。2階に天井を設けずに梁を露出させてしまうのが、それなのでしょう。
天井で隠してしまうなら、節だらけの梁でもOKということになります。
でも、目に見せてしまうのだから、材料も吟味されなくてはなりません。

 

木組みの家「高円寺の家」屋根野地板

「あらわし」の2階軒裏

上を見上げると楽しい。当たり前ですが、一本一本の木目がすべて違うのです。自然が織りなす美しい文様で見ていて飽きがきません。

前回、わたしは、「隠して奥ゆかしさを演出」とレポートしましたが、逆に、本来、隠すべき所をあえて「あらわし」てしまうというのも、この家のおもしろい見所です。

そういうわけで、わたしは上も下もムクの木に囲まれて暮らしています。
家全体をおおう「木霊(こだま)」の力によって、空気の清浄感がもたらされているのかもしれません。
ですから、わが家では空気清浄機が必要ないのです。

第1話でお話ししたように、除湿機も、加湿器もいりません。
漆喰の壁と無垢の木が呼吸をしてしぜんに湿度を調節してくれます。
現代の建築物のように、別の機器で補完しなくとも、「木組みの家」自体に湿度調整の働きはつまっていたのです。

去年の12月にわが家が完成。

入居前にベッドを購入しました。
業者さんがやってきて2階の寝室で組み立てをはじめます。
その方は作業の手を休め、
「木の香りがすごい。これでは家に居ながら森林浴ですね」とおっしゃったのです。
わたしはあとになって、木の香だけでなく、室内に漂う空気の清浄感が、この方をして「居ながらにして森林浴」と言わしめたのだろうと感じました。

もうひとつの木組みの音楽事情。

「建て主さんは音楽が好きですか?」と設計士さんに訊ねられたことがあります。
わたしにとって音を楽しむ生活は、これまで想像もしていないことでした。
「木組みは音楽と共鳴して、良い音がでるのですよ」と設計士さん。「吹き抜けにステレオ機器を置くと、素晴らしい音響になると聞いています」。

 

木組みの家「高円寺の家」食事室の吹抜け

食事室の吹抜け

狭いわが家ですが、6畳くらいの食事室が吹き抜け構造になっています。
ここで「ポン」と柏手を打つと、とてもよく響きます。
「うーん、音楽か?」そんなことを提案されれば、「どんなだろう」と、うずうずしてしまいます。
それで、わたしはボウズのステレオ装置を購入することにしました。

ステレオだったら、昔からボウズに憧れがあったのです。

CDステレオだと、盤の入れ替えが面倒。
それでわたしが選んだのは、携帯電話のiPhoneを挿せばそれを通じてスピーカーから音の流れるボウズのステレオだったのでした。
近くのレンタル屋さんで大量のCDを借りて、iPhoneに入れ込みました。それを「シャッフル」機能で再生しますから、どんな曲が流れてくるかわからない。

音は設計士さんのおっしゃった通り、吹き抜けの食事室で軽やかに響いています。

JAZZ演奏をバックに食堂内の照明を落とします。その上で庭のライトアップをすれば、もうそこはナイトレストラン気分に早替わりです。

来る5月6日は、わが家の内覧会です。

この日は、ご出席のみなさまを、室内の清浄な空気感と、低く流れるJAZZの調べでお迎えしたいと思っております。

 

 

 <第十一話につづく>

第一話第二話第三話第四話第五話第六話第七話第八話第九話

 

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木の拡大写真

無垢の木の拡大写真

 

「松井事務所」より

 木は呼吸する素材です。手で触るとすべすべした無垢の木の触り心地ですが、拡大するとスポンジのように穴が開いており、表面にはたくさんの凹凸があります。ここに埃や花粉は吸着され、歩いても舞い上がることはありません。

また、周囲の温湿度環境によって、常に収縮を繰り返していますので、「呼吸」しているように部屋を調湿してくれます。

その無垢の木の性能を活かすため、塗料も厳選しています。ウレタンのように塗膜を貼るものではなく、含浸性で体に害のない自然素材のものを採用しました。

木組みの家の居心地の良さを、ぜひ内覧会でご体感ください。

2013年05月30日 Thu

「高円寺の家」お住まい内覧会は盛況でした

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(今週の連載「木組みの家に住んで」は、内覧会のお知らせに代えさせていただきました。
第11話は来週の掲載予定です。)

木組みの家「高円寺の家」お住まい内覧会の様子1

ゴールデンウィークに行われた「高円寺の家」お住まい内覧会は、たくさんの方にご来場いただき大盛況でした。

お天気にも恵まれました。引き込みのテラス戸を全開にすると、1階から2階まで風が通りぬけ、漆喰が光を反射して、家中が明るくなりました。
木組みの家「高円寺の家」お住まい内覧会の様子2ご来場のみなさまは声を揃えて「19坪とは思えない。広く感じる」とおっしゃっていました。
部屋を広くみせる、スタンダードでさりげないデザインが、とても好評でした。
ご来場のみなさまに改めて御礼申し上げます。

木組みの家「高円寺の家」お住まい内覧会の様子3木組みの家「高円寺の家」お住まい内覧会の様子3この機会をつくってくださったKさん、ありがとうございました。
次回、「高円寺の家」夏の内覧会では
今度は西側の窓に浄土寺格子を入れて、西日を楽しむ内覧会になる予定です。

Kさんと「高円寺の家」の永いお付き合いに、お供したいと思います。ありがとうございました。

 

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第十一話
「タブーを破って西日建築。わが家も浄土寺の後光気分」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第11話です。
一週間に1回の更新でお送りしています。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十一話
「タブーを破って西日建築。わが家も浄土寺の後光気分」

 

松井事務所に「木組みの家に住んだ感想を書きたい」と掲載を持ちかけたのはわたしの方だったのです。
松井さん側としては、わたしの書くものがどんなレベルの文章なのかわかりませんから、当初は慎重な姿勢を見せていました。

建築には素人ですが、お陰さまでどうにか破綻なく11話まで進めることができました。
「13話まで」とわたしが設定した連載も、これを含めてあと3話を残すのみとなりました。

第9話の中で、玄関と居間を仕切る格子戸のお話をしました。
「浄土寺格子をイメージしたもの」とあったのですが、「浄土寺格子」とはわたしには初めて耳にする言葉だったのです。

 

木組みの家「高円寺の家」格子戸

玄関と居間を仕切る格子戸

ネットで「浄土寺格子」を検索してわかったのは一般的な建築として、西には窓を設けてはならないというタブーの存在があるということでした。

そして、西日建築の傑作として浄土寺があげられていたのです。
そういえば、昔から、「西に窓をあけると、泥棒が入る」という言い伝えがあったことが思い出されます。
これは、「夜に爪を切ると、親の死に目に会えない」という俗諺(ぞくげん)と同じで、行為をたしなめるものとしてあったのかもしれません。

わたしがこれを知って驚いたのは、わが家では食事室の西側に大きな窓を開けていたからです。それは一般的にタブーだったのです。

わが家の立地は、南側に2階建てのアパートがあり、東側は通りに面しています。
ですから、明かりを採る窓は、西にしかなかったのだろうと思われます。

 

木組みの家「高円寺の家」西側大窓

食事室の上の大窓。西側に設置されています

家の完成は12月。
わたしは、まだ冬、春しか住んでいませんので、夏の西日がどれだけ猛威をふるうのか、まだ経験していません。
設計事務所の施工では、ガラスを熱線が通しにくいものにしたり、遮光のブラインドを設置したりと西日の対策は万全です。

 

西側に設置された浄土寺の格子

西側に設置された浄土寺の格子

 

兵庫県にある浄土寺浄土堂には、快慶の作といわれる阿弥陀如来像が安置されています。

像は東側に向かって立っており、背後(西側)には格子が配された光の採り入れがあるようです。

西側の窓です。ここに、「浄土寺の格子」が出てきます。

 

阿弥陀如来像のイメージ写真。浄土寺格子から漏れた光が床に反射した効果

阿弥陀如来像のイメージ写真。浄土寺格子から漏れた光が床に反射した効果

強い西日がこの格子を通して射しこみ、お堂の朱色の床に光が反射して、像の背後を照らし出します。まるで阿弥陀如来像に後光がさしているような効果をもたらすものだと、いわれています。

寺の関係者は、「夏至で、太陽が一番高く位置するときが、この浄土堂の見ごろだ」とおっしゃっています。

お日様が一番、真上のときが格子を通して床を照らしやすいのでしょうね。

 

 

 

浄土寺の格子はもっとキメの細かい格子で、格子の中にまた小さな格子が入っていると、わが家の設計士さんにお聞きしました。
「そうすると光がより散らばりやすいと考えられたのでしょう」と。

浄土寺では、西日は怖れるものではなくて、待望されるものとしてあったのです。
ここに浄土寺が西日建築の傑作といわれる所以があるのかもしれません。

仏像には興味がなかったのですが、建物と一体となって演出された阿弥陀如来像は、一生に一度は見てみたいものとしてわたしの前に出現してきました。
これもみんな「浄土寺格子」という語彙にふれたおかげです。
しかし、兵庫県はわたしにとっては、あまりにも遠い場所で、いつ実現できるかわかりません。

 

それで、よい考えが浮かんだのです。

それは、わが家も、せっかくタブーを破って西日建築にしていただいたのですから、西の大窓に浄土寺格子をはめ込んでもらえないか、という妙案だったのです。
そうすれば、わざわざ兵庫県に出向かなくても、わが家が「浄土寺気分」です。

熱線を通さないガラスを採用した。
遮光カーテンの設置。
と西日を怖れる施工をしていただきましたが、積極的に西日を楽しむことができれば、もっと楽しくなります。

わが家の食事室は、真っ白な漆喰の壁で囲まれています。

木組みの家「高円寺の家」食事室の漆喰壁

食事室東側の漆喰。ここに格子の影が映ることになります

西側の大窓に「浄土寺格子」がはめ込まれれば、それを通した光と陰が、この白い壁に映しだされることになります。

いったいどんな陰影が生み出されるのか、想像するだけでワクワクします。
でもこれはまだ、わたしの中の妄想でしかありません。

わたしは、高円寺の家を建てるにあたって、設計士さんに何も注文をしなかったと、申し上げてきました。
で、今回、はじめて松井事務所にこの「格子をはめ込みたい」という希望を切り出したのです。

わたしの素人考えですから、玄人がどう答えるのかわかりません。

緊張する一瞬。

すると松井さんは、「おもしろい。やりましょう」と言ってくださったのです。

はなしはトントン拍子にすすみ、
それで、格子の設置は7月に決まりました。
その光と陰を楽しむ内覧会を開催しようということが、新たに提案されたのです。

今回の内覧会にお越しになったみなさん、
そして木組みの家をまだご覧になっていないみなさま、
浄土寺格子の効果を楽しむために、あらためてわが家で内覧会を実施いたします。

西日建築の醍醐味をみなさまと共に味わいたいと思います。
ぜひご来場ください。

 

 

 

  <第十二話につづく>

第一話第二話第三話第四話第五話第六話第七話第八話第九話第十話

 

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木組みの家「高円寺の家」西側外観「松井事務所」より

 「高円寺の家」はたくさんの挑戦がありました。
狭小地で広い空間づくり。
木組みの準耐火建築。
どこからでも見える庭。
全室をエアコン一台でまかなう省エネ。
太陽光発電による木組みのスマートハウス。

そして西日を利用した採光計画です。

Kさんのご提案は、この家のデザインとも合致したものでした。
ホールの格子戸は、浄土寺のイメージもとに、家の雰囲気にあわせて格子の隙間を大きくしたデザインです。
今度は西日を楽しむために、細かく美しい格子をつくります。
次回のお住まい内覧会を、どうぞご期待ください。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第十二話
「防災としての木組み そして、フケが出なくなった」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第12話です。
一週間に1回の更新でお送りしています。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十二話
「防災としての木組み そして、フケが出なくなった」

 

この回は、防災としての「木組み」をレポートしたいと思います。
その前にわたしのもうひとつの身体的変化を報告します。

わたしの永年の悩みは、冬場になると頭皮からフケ出ることでした。
たぶん、身体が乾燥してしまうからなのでしょう。
対策として洗髪のあとに頭皮に保湿のオイルを塗り、フケを防御するのが毎年のならわしでした。

しかし、この冬はそのオイルの出番がありませんでした。
フケが出なかったのです。

家に備わる調湿性能のお陰で、身体が乾燥しなかったものと思われます。

日本の気候の特徴は、冬場の低温・乾燥、夏の高温・多湿です。
冬は乾燥するから余計に低温が身にしみるし、夏になると多湿のために高温がより激しく感じるのがわが国の気候風土といわれています。
夏の同じ気温でも、乾燥しているハワイと湿気のある東京では快適さが違うというのは、よく聞かれる話です。

それなら、湿度を調整することが出来れば、快適な住生活ができることになります。
昔のひとはそう考えたのかもしれません。そうやって試行をくり返しながら日本家屋は姿を整えていったのでしょう。

わたしは去年12月にこの家に入居すると同時に、デジタル式の湿度計を購入しました。しかし、気温には馴染みがあるけれど、湿度計は見慣れない。
ネットで調べると、「40%~60%」の範囲なら生活するのに快適な湿度とあります。
以来、起床すると同時に湿度計を見るのがならわしとなりました。

木組みの家「高円寺の家」温湿度時計

デジタル式湿度計。46%を示しています

この冬、外がどんなに乾燥しても、室内は常に40%が確保されていました。
それでわたしの身体がむやみに乾燥しないで済んだのです。
無垢の木と漆喰の壁によって守られたのかもしれません。

湿度が保たれていると、同じ「気温5度」でも体感温度がやっぱり違うのです。
第1話でレポートしたように、それで暖房器具を使わないでも暮らすことができました。
フケが出なかった、というのはその副次効果だったのかもしれません。
わが家にはありませんが、畳にも湿度を調整する機能があるといわれています。

知れば知るほど、日本家屋が持つ智慧の奥深さに驚かされます。

わたしは、前々回のレポートで室内の空気の清浄感を言いました。
そして、今回は身体におよぼす保湿作用に気づいたのです。

もしかすると、この家に暮らし続けることは、身体の美容にとても良い影響をおよぼすのではないかと思ってしまいます。

これから高温多湿の夏場になります。
酷暑といわれる季節の中で、この家が、住んでいるわたしの身体にいったいどんな影響をおよぼすのか、今から楽しみです。

 

さて、今日のテーマは「防災としての木組み」です。
昔から言われている「怖いもの」。

「地震・かみなり・火事・おやじ」。

怖いものの筆頭にあげられているのが、「地震」です。
いくら日本の家屋が「湿度調整」機能を持っていたとて、この「地震」に対する手立てにぬかりがあっては、もともこもありません。

ところが、この「木組みの家」は、地震に対しては自信があったのです。

「籠を編んだものとして建物をイメージとしてください」と、最初に、この家の設計をお願いする時に、松井事務所から説明を受けました。
なるほど、籠を編んだものだったら、地震でどんな揺れがきても平ちゃらです。
「木に金具でつないだ建物が大きな揺れにあったとしたら……。木よりも金具が強くて、木材を壊れしてしまいます。
しかし、木だけで組んで貫を入れた場合、揺れがきてもお互いにがっしりとスクラムを堅くするだけで、影響は少ないのですよ」。

ここに、松井建築設計事務所が、あえて「木組みの家」と標榜するだけの秘密があったのです。

一番、わかりやすいのは、第3話でご紹介した、「蔵のギャラリー・結花」の証言です。
「結花」というのは、所沢の駅前開発で解体を余儀なくされた薬種問屋の見世蔵を、増田さんという建築士が惜しんで、松戸市に移築したものです。
ここで娘さんが喫茶店を開いています。その店名が「結花(ゆい)」。
前回、「170年」と申しましたが、正確には築130年の歴史があるといわれているものです。

木組みの家の元祖。

木組みの家「結花」外観

結花の全容 正面が喫茶店。左手が住まい

わが家の「入魂(たまいれ)」をしてくれた甥が、今年の初めに、この2階でライブをしたので、出かけてきました。
その本番前に、3.11の地震の話が出たのです。
「あの時、揺れはあったけれど、棚のコップひとつ落ちなかった」と増田氏の夫人から衝撃的なお話をお伺いしました。

どうしてこれが衝撃的なのか。

当時、地震にあった人たちの証言は、住まいは倒壊こそしなかったものの、揺れの大きさで食器棚にあった器がみんな落ちてしまった、というものが多かった。
増田夫人のお話をわたしの隣で聞いていたのは、わたしの家の設計にも関わった赤川さんという建築士なのですが、
この方は、自宅マンションに骨董品を飾っておいて、それがみんな落下して壊れてしまった、と述懐しています。

「結花」は1階で喫茶店を経営しています。
写真でおわかりの通り、壁の上のほうにまで棚をつくって食器類を並べています。これがあの揺れで「ひとつも落ちなかった」というのが、やはりわたしには衝撃的にきこえたのでした。

木組みの家「結花」内観

店内の様子。壁側に食器類。
左が増田夫人。梁の太さに注目

畏るべし、「木組みの家」。

日本は自然災害の多い国です。
地震、高温多湿、低温乾燥。
くり返しになりますが、これらに耐えるために長年月をかけて工夫されてきたのが日本家屋の特徴だったのではないかと、わたしは素人ながら考えるのです。

その建築様式が、今は業界の主流から外れているというのも、なんとも惜しい気がします。

 

 

ただ、弱点はあるのですね。

「怖いもの」の三番目にある火事に弱いということです。
考えてみれば、日本家屋は燃えやすい材料で構成されています。

木→柱、床、天井、木戸、構造材
紙→襖(ふすま)、障子(しょうじ)
草→畳(たたみ)
泥→漆喰(しっくい)

石造りの欧米人にはとても想像できないでしょうが、日本の家屋はこうした天然素材で構成されているのです。
そのぶん、火には弱い。

「火事は江戸の華」なんて言って、江戸っ子は強がっていました。

でも、いつまでも木造建築が火事に弱いわけではありません。
現代の智慧だって導入されているのです。

「もえしろ設計」という火事に強い建て方があるらしいのです。その説明は、巻末で松井事務所からしていただきましよう。

耐火について
ここでわたしから言えるのは、地域的なことがらです。
この家が建つ「高円寺」は東京都から「新防火地域」に指定された場所です。
住宅密集地に燃えやすい建物を建てない、というのがこの新防火地域の考え方のようです。
でも、その中で木組みの家は許可された。
これは木造であっても燃えにくいと、お国から判定された結果なのだと思われます。

火事に対応できるのならば、
木組みの建築は、湿度調整にすぐれ、地震に耐えて、火事にも強いという
日本の気候風土にもっとも適した工法なのではないかと、わたしには思えるのです。

 

  <第十三話につづく>

第一話第二話第三話第四話第五話第六話第七話第八話第九話第十話第十一話

 

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木組みの家「高円寺の家」燃えしろ設計の柱

燃えしろ設計の太い柱

「松井事務所」より

「木組みの準耐火建築物」である「高円寺の家」は、
通常の木造住宅よりも、火災に対してずっと強くできています。

先ず、構造をつくる柱や梁が太くなっています。
火事で燃えた時に、構造材の表面が45分間燃えつづけても、
燃えていない部分で、建物を支えることができる太さで設計しています。
これを「燃えしろ設計」といいます。

木組みの家「高円寺の家」Jパネル

レングスの「Jパネル」。杉無垢板の三層構造です

また「Jパネル」という杉の無垢板を三枚重ねたパネルを使うことで、
屋根や2階の床も、普通の建物よりも火事に強くなっています。

内部仕上げの漆喰は「不燃材料」として建築基準法でも定められていますので燃えません。
外壁はモルタルを20ミリ塗った上に、無垢板を張ることで、さらに防火性能を向上しています。

本格的な木組みの家の準耐火建築物として、林野庁、東京都からも職員の方が見学にお見えになりました。
日本住宅新聞日本木材新聞新建ハウジング林政ニュースにも掲載され業界でも話題になっています。

防火規制の厳しい都会の住宅密集地でも、無垢の木をふんだんに使った木組みの家を建てることができます。

2013年05月30日 Thu

連載【木組みの家に住んで】
第十三話
「設計した人たちが『自分も住みたい』といった家」

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 「高円寺の家」のオーナー、Kさんによる連載エッセイです。

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十三話
「設計した人たちが『自分も住みたい』といった家」

 

今回でこの連載も最終回をむかえます。

テーマ別にして書かせていただいたので、どうしてもそこから漏れてしまうものがあります。
それで、今回は、漏れてしまった3つのことを述べさせていただきます。

最初のひとつめは、「木組みの家の電気使用の事情」です。
25年5月の電気料金の支払いは、差し引き「200円」でした。
何とも刺激的なタイトル。

木組みの家「高円寺の家」道路からみた外観

建物右側に電気メーターが2つ設置されています

これには事情があります。

この家を建てるときに、ソーラーパネルを設置する契約をしました。
どうやら、このパネルは、屋根全部ではなくて、南側の屋根にのみつけるらしいのです。
わが家は狭小で、南側の屋根は少しのスペースしかありません。
ですから、パネルは最小限のものを設置するしかありませんでした。

 

まだ、ソーラーパネルが未経験の方にご説明します。
パネルをつけることが決まったら、電気メーターがふたつ設置されることになります。
「買電」→電力会社から買う電気
「売電」→パネルの発電で電力会社に売る電気
毎月、東京電力の検針員の方が、2つのメーターを計ってくれます。

木組みの家「高円寺の家」ふたつのメーター

ふたつのメーター

「買電」の方は、わたしはひとり住まいだし、昼間は仕事にでていますから、夜間のみの使用。それほどの消費量ではありません。

月で平均すると4000円程度の請求を受けます。(60アンペア契約)

 

 

 

問題は「売電」の方です。これはお日様の角度、日照時間に影響を受けます。
半年間のデータを示せば、
2月 1800円
4月 2500円
5月 3500円
の売り上げになったことに。

5月、6月は夏至にちかくなって、いちばん売り上げの良い時期になっているとお考えください。その上で、25年5月における、わが家の電力使用量の実態をお知らせします。
「買電」 3700円
「売電」 3500円
差し引けば、電力会社への支払いは「200円」ということになるのです。これからお日様の角度もかわって、だんだんと発電量は落ちていくものと予想されますが、ピーク時の電力事情はこうだったのです。

わたしはこれまでの12回の連載で、「木組みの家」という伝統的な工法について申し上げてきました。
でもソーラーパネルというのは現代的な機能です。「木組み」という昔ながらのやり方を踏襲しながら、そこに新しいものを導入して住宅の性能をあげていくというのは、とても現代的な伝統文化の採り入れ方だとわたしには思えるのです。

そして、ふたつ目の漏れです。
それは、どうして連載をしてまで、わたしが木組みの家を宣伝してきたのか、ということです。連載は13話つづきました。これだけでも、ただ事ではありません。

その上に、わが家での内覧会は今年8月に予定しているものを含めると完成から半年間に3度開催することになっています。まるでわたしの家は松井事務所のモデルルームの様相。連載といい、モデルルームといい、「親戚でもないのに、どうして、そんなにまでするの?」という声が聞こえてきそうです。

答はたったひとつしかありません。
わたしが「木組みの家」という伝統工法に惚れてしまったからなのです。
「こんな素敵な家をみんなに見ていただきたい」というのが、わたしの根本にあるのです。
だから、文章にしてお伝えしようとするのだし、内覧会をして実際に見ていただきたいと思ってしまう。

5月の内覧会のときには、わたしはわたしで手製のポスターを作って、玄関先に張り出したりしました。
近所の人、みなさんにこの家を見て貰いたいのです。

木組みの家「高円寺の家」内覧会の案内

ご近所様に向けてつくった内覧会ポスター

おもしろいのですよ。

松井事務所でわたしの家の設計を担当した方は3人なのですが、わたしが連載を書き続けた結果、この人たち全員が口々に「わたしも木組みの家に住みたい」といい始めたのです。専門家がそう口に出すようになったら、こちらのものです。

でも、設計はしているけど、実際のご自分たちは「普通」の住居にお住まいだったのですね。
木組みの家を建てるには、今、流行の新建材の建物よりちょっと高額な予算が必要となります。だから、ご自分たちは住んでいなかった。
これは逆に言えば、松井事務所が良心的な報酬でお仕事をしていたという証明にもなると受け止めることができます。

わたしには、建築の基礎知識がありません。
これまで読んでいただいた連載は、その素人が実際に家に住んで得た感想を述べたものにすぎません。
この点については、松井事務所から何の制限もなく自由に書かせていただきました。
わたしに何か間違った見解があったとすれば、巻末に松井事務所から専門的な意見がはいるという、音楽でいうと、まるでセッションをするような楽しい連載でした。

これまでわたしは、この家の持つ特異な条件をあげて、設計上で、その工夫を見てきました。
1、 狭小な立地
2、 南側に建物がある
3、 西側に窓を設定した

などです。

でもこれまでに上げていない、もっとも大きな特異点があるのです。

それはこの家が「ファミリー向け」につくられてのではなく、「おひとり様用」に建てられたということだったのです。

12年前に妻を亡くし、ひとり娘は独立して、わたしはひとり住まいです。
これから日本の社会は高齢化社会に突入して、このような「おひとり様用」住宅の需要が増すのではないかと、わたしは個人的に推測しております。

この家がこれから時代におけるモデルケースになるのではないかと、思ったりしています。
それなら人生の最後に、このような贅沢な住まいに囲まれてお暮らしになるのが良いのではないかと思ってしまうのです。

最後に、屋根裏部屋の様子をお伝えして、この連載を閉じたいと思います。

2階の寝室は「あらわし」といって、梁がむき出しだとお伝えしました。天井がないのです。
しゃれた言葉であらわしていますが、極端にいえば「屋根裏部屋」と同じなのです。
屋根裏部屋といえば、夏の暑い盛りには、ムッとする熱気に満ちているのが普通です。

木組みの家「高円寺の家」寝室の屋根裏の様子

寝室の屋根裏の様子

この原稿を書いているのが、5月30日です。

春先から不安定だった気温は、5月20日以降、高めに推移し始めたことをご想像ください。
初夏になり始めたのです。
気候的には、℃25度が「夏日」とされています。
5月20日以降、その夏日がつづき始めたのです。

わたしの帰宅は、午後5時。

西の大窓には遮光カーテンをおろし、1階の全部の窓には防犯のために雨戸を閉じた状態の中で帰宅するのです。
5月の午後5時はまだあかるい。帰宅するとすぐに、すべての窓を開け放ち、換気扇を回すのがわたしの仕事となっています。密閉した部屋の熱気は、数分もたたず外に排出されます。
それで、2階の「屋根裏部屋」はどうかということです。
案に相違して、「熱気」はこもっていません。

これは、外壁の熱排出の仕組みに関係があるようなのです。
家にこもった熱が外壁を通して屋根に放出される工夫。
だから室内には熱気がこもらなかったのです。
これは伝統工法にはなかった機能です。こうして伝統は、新しいものを受け入れながら深化していくのです。
その仕組みは松井事務所から説明をしていただくことにして、連載のバトンをわたしから松井事務所にお渡ししたいと思います。

みなさまのご清聴に感謝いたします。

 

  <第十四話につづく>

第一話第二話第三話第四話第五話第六話第七話第八話第九話第十話第十一話第十二話

 

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「松井事務所」より

 「木組みの家に住んでみた感想文を、少しずつお送りします」
と、Kさんにご提案いただいてから、週に1話分づつ送られてくるレポートが楽しみでした。

あるときは光の様子を、あるときは細部のつくりを、あるときは体の変化を通じて、
木組みの家をじっくりと観察し、たのしみながら暮らしている様子が、等身大の文章で伝わってきました。

設計の意図まで汲んでいただき、つくり手としてとても光栄です。
ただ、紺屋の白袴は、致し方ありません。設計事務所ってそんなものですよ。

ともかくも、全13回の連載、お疲れ様でした。毎回の楽しいお話ありがとうござました。

これから「高円寺の家」は西側の窓に浄土寺格子を取り付けます。
西日を楽しむ家の内覧会を開催する予定です。詳細が決まり次第、当サイトでお申込みを募集いたします。
前回ゴールデンウィークで参加できなかった方も、ご期待ください。

木組みの家の通気工法

木組みの家の通気工法

最後に、外壁と屋根の熱排出について、解説いたします。
松井事務所のつくる建物の、外壁と屋根の中には、空気の通り道がつくってあります。これは、壁の中で結露が起きないためと外から熱気を室内に入れないための「通気工法」という工夫です。
空気は、外壁の下から屋根の上に排気されるようになっています。屋根が太陽で熱されると、屋根の中の空気は上に昇り、頂上に開けられた排気口から出て行き、その分、地面に近い壁の下の冷たい空気を吸って、壁と屋根の内部に、空気の流れをつくるのです。
この空気の流れが、屋根の断熱性能を向上させているので、夏でも2階が暑くないのだと思います。

これから夏を迎えますが、温熱環境にも工夫を凝らした木組みの家をたのしみながら、長く大切に住んでください。いつでもレポートをお待ちしています。

 

2013年05月29日 Wed

連載【木組みの家に住んで】第十四話
「越し屋根と地窓のある風景 家にまもられて暮らす」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第14話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十四話
越し屋根と地窓のある風景 家に守られて暮らす

 

前回までの「木組みの家に住んで」の連載は、夏日(25℃)の頃で終了してしまいました。あれから30℃以上の真夏日があって、35℃以上の猛暑日がつづいたのです。
昨年(13年)のあの猛暑を、木組みの家で、どう、くぐり抜けてきたのか、今日は、そのことをお伝えしたいと思います。

越屋根「高円寺の家」

越屋根。夏はここから熱気が抜けます

とりあえずは、あの夏がどれだけ暑かったのかを、ふり返ります。
8月12日、高知県の四万十市では41℃を記録。これは体温より高いと評判になりました。東京都心の夜の最低気温が30.4℃までしか下がらない日がありました。これは過去138年間でもっとも高い最低気温だった…。ことほどさように、世間では、昼も夜も記録だらけの暑さがつづきました。

140403「木組の家に住んで」隠しエアコン

我が家、唯一のエアコン

わが家のエアコン事情をご説明すると、階下の食堂に据え置き型のエアコンが一台、そなえられているだけです。寝室は2階にありますから、就寝中にエアコンをつけてもベッドまで冷気は届きません。

結論から先に申し上げますと、あの猛烈な酷暑の中でエアコンのスイッチを入れたのは3日間だけでした。
風がそよとも動かない曇りの日。気温だけでなく、湿度が高かった日が3日間あったのですが、その時だけエアコンのお世話になりました。そして、それにも増す熱帯夜を、こちらは一度もエアコンに頼らずに過ごすことができたのです。

 

昼にしても夜にせよ、どうしてそんなことが可能だったのか。

室内に自然の涼風が入ってくる仕掛けが、この家にはあったからなのです。
松井郁夫建築設計事務所にわが家の設計をお願いしたときに、4つのセットが提案されました。

 

それは、
1. 南部屋の吹き抜け
2. 地窓
3. 天井のインテリアファンの設置
4. 越し屋根(腰屋根)

の4点です。

なんと、これが仕掛けとなって、夏場の室内に涼風がもたらされたのです。

地窓「高円寺の家」

地窓。テレビの下です

わたしは窓について、この家に住むまで勘違いしていたことが2つありました。
それは、窓というのは人間の腰より上に設置されるものだと思っていたこと。
写真でおわかりいただけると思いますが、わが家の食堂には低い位置の窓があります。これが、「地窓(じまど)」というものなのだ、そうです。普通の位置に窓はあるのですよ。食堂テーブルの向こう側が、普通に見られるのと同じ窓です。その他に地窓も用意されている。これに意味があったのです。

140403「木組の家に住んで」吹抜とファン

吹き抜けとインテリアファン 上の開口部に寝室があります

もうひとつ、わたしが思い違いしていたのは、窓を開けると室内の風は水平に動いていくのだと考えていたことです。
たとえば、東側の窓から風が入って、西窓に抜けていくというような…。

ところが、暑い夏場では、風は水平に動くのではなかった。
熱せられた空気は上昇気流になって、下から上に流れていく。
これは、この家に住んだ新たな発見でした。

140403「木組の家に住んで」寝室

2階の寝室から見た吹き抜け

140403「木組の家に住んで」寝室閉

普段は障子で仕切られている

4点セットの
最後に「越し屋根」をあげました。
越し屋根とは、屋根の部分に取り付けられた空気の吐き出し口です。
わが家の越屋根は、リモコンで開閉ができます。

地窓を開ける。越し屋根も開口する。
それだけで空気が抜けていくルートができあがる。
夏場では熱せられた空気が上に行こうとしますから、越し屋根を開ければ、そこから室内の熱気が逃げ出します。
それに伴い、地窓からより冷えた風を引っぱりこむ。
こういう循環によって、わが家にそよ風をもたらしてくれたのです。

風を2階から天井に通り抜けさせるためには、地窓のある部屋は「吹き抜け」になっていなくてはいけません。
そして、吹き抜け天井に設置されたインテリアファンがゆっくり回って、上昇気流をさらに支援する。

140403「木組の家に住んで」越屋根

ベッドから見た越し屋根

 

この4者の仕掛けが相まって、室内に風がおきるので、エアコンなしの夜を過ごすことができたのです。

日本は高温多湿の気候をかかえている、とこの連載でわたしは幾度か申し上げてきました。
エアコンなど器具がなかった昔の日本家屋はどうだったのでしょう? と、ふと思います。

昔の日本家屋は、部屋と部屋を仕切る上部に「欄間」という開口部をつくって高温を逃がす工夫がされたと、先日、松井さんからお伺いしました。

 

140403「木組の家に住んで」階下

ベッドルームから見た階下

 暑い空気は上にこもる。
そのこもった熱気を逃がす工夫で、住みやい家屋にするという古人の智慧には、あらためて驚かされます。

わたしは現在の家に住みはじめて1年半(14年春現在)が経過します。

先日、建築専門誌の記者から、「住んだ感想はどうか」とインタビューされたので、
わたしは次の4点をあげました。

 

 

(1) 家の持つ調湿機能で、暑さ寒さが緩和されている。(エアコンをあまり使わないで済む)

(2) 調湿のお陰で、肌の保湿が保たれるようになった。

(3) 木肌の吸着作用により、室内でほこりが立たない。結果、襟の汚れが少なくなった。(身体の汚れが少ない)

(4) 地窓、越し屋根の働きで、熱帯夜でもそよ風の中で就寝できる。

その結果、この家に住むようになって、『自分が家に守られて暮らしている』という実感を持つようになった、とおこたえしたのでした。

 

<第十五話につづく>
第一話はこちらです

 

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140403「木組の家に住んで」スケッチ図面2「松井事務所」より

Kさん、久しぶりの原稿をありがとうございます。
竣工して1年と3ヶ月、暮しそのものを味わっていただいてなによりです。
夏にエアコンを頼らずに過ごすために、松井事務所は通風も設計をしています。
高円寺の家は、空気の温度差を利用して、下から上へ流れるほんの少しの「ゆらぎ」が、快適な室内環境を生みます。温度差換気です。無風のときでも、空気が流れていくので、熱帯夜でも過ごしやすい寝室です。

今年も、執筆者であるKさんのお宅を拝見する「お住まい内覧会」を企画しています。
木組の家を体験してみませんか?
詳細は、後日当HPで告知いたします。どうぞお楽しみに。

 

2013年05月29日 Wed

連載【木組みの家に住んで】
第十五話「外になくても起きる風(見学会の秘密)」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第15話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十五話
外になくても起きる風(見学会の秘密)

 

14年4月29日の祝日、わが家で4回目の「お住まい見学会」が催されました。
完成後1年半で4回目の開催。 これはちょっと多めです。

でも、これがなかなか刺激的でおもしろいのです。
これまでの連載でわたしは、「身体の汚れが少なくなった」、「冬場に頭髪からフケが出なくなった」、「熱帯夜でもエアコンなしで寝られている」などを報告してきました。
わたしは素人ですから身体の変化を感じ取ることはできても、それがどういう理由でもたされたのかがわかりません。
まして、松井事務所はセールストークで、あらかじめ「木組みの家に住むと、こんなことがありますよ」なんて言ってきません。ですから、自分では説明がつかない中で、でも何だか住み心地が良いなと思って暮らしてきたのです。

内覧会になると、見学者は当然、住み手のわたしに「(住んで)どうですか?」訊いてきますね。
わたしは「何か知らないけれど、洋服の襟汚れが少なくなったような気がします。たぶん身体があまり汚れなくなったのかもしれません」と答えます。 それだけしかわかりませんから。
すると、となりに立っている松井さんが、解説を入れてくれるのです。
「無垢の木は湿気を帯びているので、家に入ってきた埃(ほこり)をそれで吸着してしまう特長があります」 と断言する。 「だから部屋の中で埃が舞っていない」と。
「へぇー、そうだったの」とわたしは見学者への説明をやめて、ひとしきり感心してしまうのです。
自分が普段から何気なく感じていたものが、このお住まい見学会で究明されることが多い。 それが楽しいのです。

今回のエッセイでは、見学会でわたしが何を聴いて、そのどこに驚いてきたのかを、みなさんにご報告したいと思っています。

「あの東の窓から朝日が差しこんでいますね。」と松井さんが指さします。
「普通の家でしたら、光に照らされて細かい埃(ほこり)が静かに、限りなく落ちていくのが見えるはずです。 でも、この家では、朝日に透かしても、埃はぜんぜん見えません。 これは部屋の中で埃が舞っていないからです」と言うのです。
「なるほど。それで、この家にいると、何かわからない清浄な空気感があるのですね」とわたしは身を乗り出して納得してしまう。

「木組みの家に住んで」埃のたたない無垢の家

日が射してもホコリが見えません

1年半前の新築完成の時、 「新しい家には空気清浄機を」と思い立って、機器を買い求めて寝室に設置しました。
ですが、月に1度の内部掃除をしても、フィルターにゴミが溜まらない。 「埃を集めない役立たずの空気清浄機」と思って、すぐに粗大ゴミに出してしまいました。
でも今日、 松井さんの解説をお聴きして、あれは機械の性能の問題ではなかったのだと、気づいたのです。
部屋に埃が立っていなかったのでした。

「木組みの家に住んで」紙芝居で説明

お住まい内覧会の様子

今回の内覧会で発見したのは、もう少しあります。
わたしは連載の第一回目で、「板敷きの寒さの経験」を述べています。 高校時代、剣道の練習で立った体育館の板敷きの冷たさ。 その経験をもとに、「新家の板敷き」を想像してしまったのです。
その時、松井さんから伺ったのは、「檜(ひのき)や杉だったら冷たくありません」というものでした。 それで、わたしは初めて木の種類によって感じる温度に違いがあるのだということを知ったのです。
今回でふた冬を越しましたが、なるほど檜の板敷きは冷たくありません。 2年とも暖房はほとんど使わずに春が来てしまいました。

でも、木の種類で感じる温度が違うことがわかっても、それがどうしてなのかは、まだわたしの中では理解できていません。

それが、今回の内覧会で新しい発言を耳にしたのです。
「木には針葉樹と広葉樹の2種類があります。針葉樹である檜や杉には内部で空気を通す『導管』がたくさんあって、それが羽毛の布団のように空気の層をつくって木肌を温かく感じさせるようなのですよ」と松井さんがおっしゃったのです。

 

木の種類とは、そういうことを指していたのか。
わたしが見学会を終えてから、すぐに「針葉樹」と「広葉樹」を検索して調べたのはいうまでもありません。

「広葉樹」を調べると、その中に樫の木があります。 昔、お巡りさんの警棒にも使われた、堅い木です。 これは、密度があって、松井さんがおっしゃった「導管」が、少ないものと予想されます。 だから、こちらの肌目は冷たいのかもしれません。

そうすると、どうして「針葉樹」には導管がたくさんあって、「広葉樹」には少ないの? と、わたしには新たな疑問がわいてくるのです。

針葉樹は比較的、寒い地方や山の高度に分布していることが知られています。 反対に広葉樹は、温かい所に分布している。

これだけで推測すれば、寒い所で育つ檜や杉は、自分の内部に空気の層をたくさん取り込んで寒さをしのぐ働きをもっているのだろうか。 それはまるで、寒い地方の水鳥から取れる羽毛が温かいのと同じなのかもしれません。 後日、松井さんにわたしの説を尋ねたところ、 「それはわかりません」とお答えになりました。 考えてみれば、松井さんは設計士さんで、植物学者ではなかったのです。

ともかく、わたしの家の板敷きがどうして冷たくないのかが、こうしてわかったのでした。

「木組みの家に住んで」越屋根から温度差換気

越屋根から温度差換気

今回の見学会で、もうひとつ気づかされたことがありました。
前回(14回目)の連載で、わたしは「地窓、吹き抜け、越屋根」の3セット効果で真夏の熱帯夜をエアコンなしでしのいだ、とレポートしました。

それは、専門的な知識もわからずに気づいたままを書いたのです。
松井事務所の解説で、「温度差換気」という専門用語があるのをあとで知りました。
扇風機やエアコンで人工的に風を起こさなくとも、窓の配置だけで自然に風をおこしてしまうという古来の智慧です。
これが「温度差換気」という現代的言辞であらわされているのでしょう。

このことも、わたしなりの解説で見学者の質問に答えました。

(1)越屋根を開けることで、上部にこもった熱気が外に吹き出し、それにしたがい地窓から冷気を連れ込んでくれる。

(2)地窓と越屋根の高低差が大きければ大きいほど、室内におこる風のうねりが大きくなるようだ。

「そうやって、エアコンなしでも室内には風が起きるようなのですよ」と説明したのです。

すると横から松井さんが、 「外に風が無くてもね」と、小さく申し添えたのです。

え! と、それを聴いてわたしはとても驚いたのです。
そうなのです。東京の熱帯夜は風なんか吹いていない。 なのに、家の中に風がおきている――。
この対比。 わたしの言いたかったのはこれなのです。

「木組みの家に住んで」地窓から温度差換気

地窓が大事です

専門家って、すごいですよね。 言葉をすこし足しただけで、説明が聴く者の胸にわかりやすく迫ってきます。

「木組みの家に住んで」吹抜のインテリアファン

インテリアファンを逆回転させて対流を起こします

「しかも、越屋根からは一方的に熱気が排出されているわけではありません。少しだけですが、屋根に這っていた冷気が、越屋根を通して入り込んでくることが実験でわかってきているのです。 出る風があれば入ってくる冷気もある。 すなわち、小さな対流が部屋の中で起きていることになります。 それがそこに住む人間に心地よさをもたらしているのかもしれません」。

こうやって、わたしの好奇心を満足させて、4回目のお住まい見学会は終了しました。

見学者をお見送りした後で、すこし雑談。

その軽い話の中で、わたしは松井さんから彼による驚くべきデザインの秘密を聞かされたのです。
たぶんそれは、企業秘密。 松井さんの許可をいただきましたら、 次号にレポートさせていただきたいと思っています。

 

<第十六話につづく>
第一話はこちらです

 

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南雄三「通風トレーニング」上方一面開放熱対流型換気

南雄三「通風トレーニング」(建築技術発行)による「上方一面開放熱対流型換気」

「松井事務所」より

Kさん、今回も内覧会を開催させていただきありがとうございました。
家について、もっとタネ明かしが必要だったようで…。文章を書く方は探究心が違いますね。
耐震の工夫などは、かなりの時間お話をさせていただていたのですが、木組の家の快適さの理由やデザインのことは、それほど説明しなかったかもしれません。松井事務所は本質的には職人気質ですので……。デザインのお話も、どうぞよろしくお願い致します。

それに、民家の知恵は、最近になって科学で解明され、やっと説明できるようになったことも数多くあるのです。

例えば、文中の「温度差換気」ところで出てきた、越屋根から熱気が排出されるのと同時に、冷気も入るという話もそうです。
住宅技術評論家の南雄三さんの新刊「通風トレーニング」では『上方一面開放熱対流型換気』と呼ばれています。
この日は、南雄三さんにもにお越しいただきました。一緒に、越屋根の下に立って手をかざし、ゆるやかに冷気が降りてくるの体感しました。計算によると高さ80センチの窓があると、より効果的だそうです。

このように昔から町家でも使われていた技術が、現代で解説できるようになってきたのです。
これからも科学が発展していくと、木組の家の良さを、もっと解説できるようになると思います。たのしみですね。

また、南雄三さんと松井は5月20日に対談しますので、こちらもぜひどうぞ。

 <匠>

2013年05月28日 Tue

連載【木組みの家に住んで】
第十六話「デザインでも住みやすさを演出」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第15話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十六話
デザインでも住みやすさを演出

 

松井郁夫事務所では、後継者を育てるために専門家対象の「木組みゼミ」を不定期で開いています。

設計士さんと言えば、構造計算が主の理系の資格だと思いがちですが、このゼミではデザインの重要性も説いているようです。それもそのはず、松井さんは難関の東京藝大を現役で合格した方ですから、そもそも建築士さんというよりも絵描きさんに近いのだと思われます。

 

木組みの家というのは、骨組みがしっかりしていて、その上に自然素材で作りあげられています。それだけでも住み心地が良いのですが、今回はデザインを重視してより住まいのレベルをあげる、というお話です。

 

1

見慣れる 大壁

とりあえず、ひとつだけ専門的なお話をさせていただきます。

家の壁には大別して「大壁」と「真壁(しんかべ)」の2種類があるということをお知りおきください。

2

従来に見られる 真壁

大壁というのは今、流行りの2×4住宅に見られる壁です。囲いだけで柱がないので、壁一面にクロスを貼ったものです。これが「大壁」。

それに対し「真壁」というのは、柱で建てた家にある壁で、日本間によく見られる壁です。柱を前面に押し立て、壁は脇役になるのかもしれません。

その2種類を頭に置き、高円寺の家をふり返ってみます。

この家は木組みの家ですから、柱がふんだんに使われています。木組みというのは、柱と梁の架構で作られているのを総称としていうのだそうです。

 

ですから自慢の柱を前面に押し出して「真壁」にしても良かったのです。でも、絵心のある松井さんは、あえて高円寺でそういう手法を取らなかった。

これが今回の注目点です。

 

3

縦の柱を壁で隠した

 

「柱を前面に立てたらお寺や神社のようになってうるさいでしょ」と松井さん。

それで、高円寺の家は縦線の柱を壁に隠して「大壁」にしてしまった。

横線の梁は建築用語で「あらわし」といって天井を貼らずに見せるというデザイン。縦線は隠して、横線は見せるというコンセプトだったのです。

 

それでどうなったかというと、壁は「大壁」にしてモダン、そして上を見上げれば梁が「あらわし」でむき出しになっている。

ひと言でいうと、高円寺の家は「和風モダン」という作りになった。

梁は通常よりひと回り太い素材を使っていますので、住まう者にとって豪勢な印象を与えます。

そして真っ白に塗られた大壁作りの漆喰。

 

5

柱で支えるがそれはちょっとだけ見せる。ボードの下には柱の全貌が

よく見るとここにデザインの秘密があったのです。

大壁といっても、柱のすべてを隠しているわけではない。少しだけ片りんを見せる。

それは文章で表現するのは難しいので、写真での説明をご覧ください。

「太い梁があるのにそれを支えている柱が全然、見えないと、そこに居る人は不安を感じる」という心理が人にはあるらしいのです。

それで、柱はちょっと見せる。ここが支えているから安心して、とでも言うのでしょうか。

さりげなくそれが施されているので、住んでいて潜在意識に不安を感じることはありません。

こういう技法に私は感心してしまうのです。

この細部のこだわりは誰でも出来るものでは、きっとないのでしょう。絵心のある松井さんのセンスに依るところが大きいのだと思われます。

 

このデザインの良さも、木組みの家の居心地の良さ→住みやすさにつながっているのでしょう。

高名な住宅評論家の方が高円寺の家を見に来られたことがあります。先生はソファーに腰かけながら、「どの家もだいたい破綻が見られるものだが、この家についてはそれがない」としみじみおっしゃっていたのが印象に残ります。

木組みの家は、無垢の木や漆喰の性能のお陰でそれだけでも住みやすさを感じます。その上にデザインでもなんだかわからない効果で住む人間に安寧を与えるのです。

高円寺の見学会にお越しになることがあれば、デザインもご注目いただけると、この家の住みやすさの秘密がわかってきていただけると思います。

 

<第十七話につづく>
第一話はこちらです

 

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高円寺の家

チラッとみせる階段

「松井事務所」より

Kさんの不定期連載ということで、久々の原稿をありがとうございました。
真壁でありながら、モダンで軽やかにみせるデザインを心がけています。
さり気なく見せるために時間かけて推敲するのですが、あとからご説明しないと、建主さんにも伝わりませんよね。
でも、住んでいて「なんとなく心地良いな……」というのは、さり気ないデザインの力なのです。
ある建築家は、「建物を見た帰り道に、思い出しながら”あの家はあの部分が良かった”というより”どこかわからないけどなんだか良かった”」というほうが、いい家なのだ」と言いました。そういう家になるように、日々考えています。

 <匠>

2013年05月28日 Tue

連載【木組みの家に住んで】
第十七話「私たちが住んでいるのは復興住宅だったのか」

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「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第17話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十七話
私たちが住んでいるのは復興住宅だったのか

 

「よく16話まで話が続きますね」と、この連載をお読みになった方から言われることがあります。私は文筆のプロではありません。なのに、どうしてこんなに書けるのか? というのは私にもわからない。でも、「キーワード」が頭の中に浮かぶと、それに続いて文章がスラスラ出てきてしまうことはあります。

 

さて、今回のキーワードは2つあります。

ひとつ目は、お住まい見学会のことです。

高円寺の家は、3ヶ月に一回のペースで松井郁夫事務所による「お住まい見学会」を実施しています。かなり頻繁です。でも、見学会にはたくさんの方が興味津々でお見えになります。そんなある時、松井事務所が懇意にしているハウスメーカーの方から電話があったのだそうです。

「HPでよく見学会の告知をされていますが、見に来られるお客様はいらっしゃるのですか?」という問い合わせでした。「毎回、賑わっていますよ」とスタッフが答えると、「こちらは、見学会をしても見にくる方はいません」と先方は言ったのだそうです。

木組みの家は見学者が引きもきらないのに、どうしてハウスメーカーのモデルルームは見にくる人が少ないのか?
これが今回のキーワードです。

そしてもう一つ。

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松井事務所設計の30年前の家 劣化しない室内

最近のことですが、松井事務所が30年前に設計して建てた木組みの家が売りに出され、結構よい値段がついて売却成立したというニュースが入ってきたのです。
これについてはちょっと詳しくお伝えします。車の値段は6年で査定ゼロになるのはよく知られていますが、木造住宅は20年経つとゼロになると言われています。上物の価値はナシで土地の値段だけが残るというのがこれまでの常識です。
なのに、松井さんが設計した木組みの家は30年たっても価値が損なわれないということは一体どういうことなのでしょう?

 

私は戦後すぐの生まれで、戦災の復興の中で育ちました。
時の政府は焼け野原になった土地に復興住宅を建てるのが急務だった時代です。

やがてくる経済の高度成長。
その結果、土地の価値はうなぎ上りですが、家の価値はないという時代が永くつづきます。極端なはなしですが、土地付きの家を買ってそこに一日でも住めば家の価値は半減するといわれたのです。20年で査定ゼロどころか、一日住めば値段が半減してしまう家。それが家というものの資産価値だったのです。

それに対して、30年たっても値段がついて売れる木組みの家とは、いったい何なのでしょうか。

松井事務所30年前設計の家 現在

松井事務所30年前設計の家 現在

今回は、その興味深いテーマにふれたいと思っています。
この答えをさぐるためには、建築基準法の移りかわりを知るとわかりやすくなります。建築基準法を調べると、災害があるたびに見直されていくのに気づかされます。

古くは関東大震災
そして、戦災後
阪神淡路大震災
東北大震災。
つまり、建築基準法は災害のたびに見直されて改正されていくのです。

 

斜めに入っているのが筋交い

斜めに入っているのが筋交い

そして今日の着目点は、戦災後の改正です。
木組みの家は「伝統構法」の作りといわれています。柱・梁による古来からの伝統的な家作り。

しかし、木組みにするためには継手・仕口などの大工手間がかかります。おまけに柱材、梁材などの材料がふんだんに必要とされます。焼け野原になった国土を前にして悠長なことをしていられないと、国は思ったのでしょうね。

そこで建築基準法を改正して、簡易な家を作れるよう奨励した。それが、「在来工法」という建て方だったのです。「在来」と名乗っていますから昔からあるような錯覚に陥りがちですが、戦後に出た工法です。

伝統構法とはどう違うのでしょう。

伝統構法と在来工法の違い

伝統構法と在来工法の違い

在来工法の大きな特徴は、筋交い(斜め材)を施すことでした。。日本の古来の建て方は柱、梁などの垂直、平行の架構で、斜めに材をいれるという考え方はなかったのです。

斜め材で柱同士を支えてそこに壁板を貼る。柱を立てた軸組なのですが、壁板で補強するのが「在来工法」といわれるものなのです。
後に現れる壁板だけで作られる2×4工法と伝統構法の折衷だと考えれば良いのでしょう。

bが貫(ぬき) 伝統構法では柱と柱の間に貫が渡してあり、これが地震の備えとなります

bが貫(ぬき) 伝統構法では柱と柱の間に貫が渡してあり、これが地震の備えとなります

 

 

 

在来工法の利点は何か

  • 筋交いと壁板で補強したので、柱が従来より細くてもOK
  • 壁板と柱・梁の併用なので木材が少なくてもOK(壁板は合板)
  • 継手・仕口でなく金具で止めるようになったので、人手がかからない
    こうして、焼け野原だった国土に「復興住宅」が次々と建てられていくのです。在来工法が始まったのが1950年と年表にあるので、戦後の需要だったことがわかります。
貫の支えで地震にあっても倒壊しない

貫の支えで地震にあっても倒壊しない

 

そして時代は移ります。
70年代半ばに、もっと簡便な2×4工法が北米から取り入れられました。住宅の工場生産が可能になり工期も大幅に短縮されるに至ったのです。

在来工法と2×4工法

在来工法と2×4工法

国の統計によると、平成26年の木造戸建ての着工件数は49万戸。
そのうち在来工法で建てられたものが99%、伝統構法は1%という数字が示されています。住宅の現状を知るうえでは重要な指標です。

 

専門的になりましたが、もう一度、木組みの家を考えてみます。

木組みの基本は、わかりやすくいえば「架構」にあります。柱と梁の骨組みのことです。これをまず大切にしようという建て方です。これに対し在来工法や2×4住宅は戦災からの復興のために考えだされた住宅です。その延長線上に今、私たちが生きているといえます。

 

 

一方、私たちは戦災後に高度経済成長を経験してきました。
経済的に豊かになって住宅機器の豪華さに目を奪われています。それで現在ではもう復興住宅から脱したような錯覚に陥りがちです。しかし、日本古来の「架構」から現在の住宅事情をみれば、私たちはまだ復興住宅に住んでいるのだということに思い至るのです。

そのことを念頭に置いてモデルルームの話に戻りましょう。どうして木組みの家には見学者が多くて、ハウスメーカーの建物には少ないのか?それは、ハウスメーカーの建物が復興住宅の延長なので、人は住の魅力を感じないからと、考えられないでしょうか。

どうして、木組みの家は30年たっても価値が減じないのに、普通の家はすぐに値段がなくなってしまうのか。これも箱でしかない復興住宅だから価値が見いだせないのではないかと考えれば、納得がいくのです。

 

 

 

<第十八話につづく>
連載「木組みの家に住んで」まとめページはこちら

 

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木組みの家「松本城のみえる家」構造見学会報告2

木組みの架構は斜め材がありません

「松井事務所」より

「貫」は、中国から伝わり、地震大国日本で受け継がれてきた耐震技術の叡智です。
日本の住宅は、簡便化の流れの中で「貫」が失われていきましたが、永く安心して住める家を考えていくと、「貫」はやめていけないというのが松井事務所の考えです。
いい家をつくっていけば、時が経っても価値が認められるというのは、励みになりますね。
それと、建物が上棟するといつも思うのですが、架構に斜め材が無く、縦と横だけで構成されていると、綺麗だと思いませんか? <匠>

2013年05月28日 Tue

連載【木組みの家に住んで】
第十八話「父と兄ががっしりスクラムを組み、
妹たちはつないだ手をはなさない」

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 「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第18話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。

 

【木組みの家に住んで】

「高円寺の家」施主

第十八話
父と兄ががっしりスクラムを組み、妹たちはつないだ手をはなさない

松井さんにお願いをして高円寺の家を建ていただくまで、わたしは建築について何も知りませんでした。
それが戦後の建築史などを語ったり(17話)して、生意気このうえないことになっています。
どうぞ素人の戯言だとお見逃しください。

先日、おこなわれた高円寺の「お住まい見学会」(15年4月)にわざわざ山口県から来られた方がいらっしゃいました。
リフォーム会社にお勤めで、社長が木組みの家を気に入って、会社から派遣されたのだといいます。

山口に帰ったら見学会と家の様子を社員や社長にレポートしなくてはいけないと、写真をたくさん撮っていました。
彼は、「写真をいくら見せても、私がいくらプレゼンしても説明できないことがあります。それは、この家の居心地よさなのです」と漠然とした居心地のよさを、口では伝えきれないもどかしさをおっしゃるのです。

私もこの連載を通して、自分の身体が汚れなくなった、冬に乾燥しない、
熱帯夜でも涼風のなかで就寝できている、などと家の利点を挙げてきましたが、
いちばん肝心なことが表現できないでいるのに気づきました。

それは、山口の方と同じで、この家の居心地の良さをどうしても言葉で表せないでいるのです。
もう、実際に来てもらって感じていただくしかありません。

そして、見学した方たちが一様に口にするのがその居心地の良さだったりするのです。

今回はがんばって、木組みの家の居心地について究明してみたいと思います。
今回の見学会で耳をひいたのは松井さんが説明していた次の言葉です。
「建物はいつも小さく動いているのですよ」ということ。

私はそれをお聞きするまで建物というのは地面から屹立して微動だにしないものだと思っていました。
でも考えてみれば、風が吹いたり気圧の変化などの気象条件もあります。地殻の動きだって考えられます。
それに合わせて家が小さく動いているのは、言われてみれば当たり前のことでした。
庭の木立でさえ風に吹かれて小さくそよいでいます。家がそういうことに影響されないことはあり得ません。

ただ、建物には、鎧のように固めて環境に負けないように作るのと、
自然と調和するように建てられるものと2種類があるらしい。
そのことを少し詳しく見ていきたいと思います。

150724nuki

ハンマーを持っている大工さんが 足をかけているのが貫

西洋の建物は「剛」の設計
日本家屋は「柔」の建物
というのはよく比較されることです。

「柔」が支配的であった日本の建築様式も明治維新の西洋化により、「剛」の考えが取り入れられてきました。その結果、建物を地面に縛り、ボルトで締め付けて自然災害に負けないような設計が主流になってきたようなのです。それは「剛」の方が構造計算として数値化しやすいからのようでした。

西洋の考えは数値化がすべてです。一方、日本の伝統というのは形に残しにくい文化で成り立っています。

 

ボルトで締める

一般の木造住宅。ボルトで締める

昔の大工には設計図がなく口伝で技術を継承してきました。
楽譜はなく、口唱歌(くちしょうが)で伝えられる伝統楽器。
シナリオ台本を用いず口伝で全体化する舞台芸術。
そして、数値化できないような日本家屋の柔構造。

前回、お示しした在来工法の筋交いを例にとります。
筋交いをしてそこに何寸の釘を何本打ち付けると、それで構造計算ができるらしいのです。
さらに壁板を貼ればもっと強度が増し数値化ができる。素人的に考えると、つまり構造計算とは建物を強固にする計算式なのかもしれません。

でも、災害はいつも想定外の力で襲ってきます。
いくらボルトで締め付けても、大きな揺れがあったら木材は金属に負けて砕かれてしまいます。
木材を金具で固定して強固にするからこそ、それがかえって脆い原因をつくるともいえるのです。

松井さんが木組みの家を志したきっかけは95年の阪神淡路大震災の現地調査だったとお聞きしています。

先年の東日本大震災で大きかったのは津波の被害でした。
大正時代の関東大震災では火災だったと記録にあります。
そして、松井さんが調査した阪神淡路大震災では、建物の倒壊による圧死が多かったというのです。
住む人を守るはずの家が、そうではなかったのですから建築家としてはショックだったと思います。
以来、松井さんは木組みの家に取りかかるようになった。

伝統構法と在来工法の違い

貫と筋交い

さて在来工法の筋交いを例に出しましたので、伝統構法の「貫(ぬき)」はどうなっているのかを検証したいと思います。

これが居心地の良さを解明する今回のテーマです。

「貫は木組みの家では不遇です」これは松井さんの口癖です。貫は、とても大切な役割をしているのに、家が完成してしまうと漆喰壁にかくれて見えなくなってしまう。

木組みの家で前面に姿を見せる「柱」や「梁」が主役だとしたら、「貫」はそれを脇で支える黒子なのかもしれません。

貫とは名前の通り、柱と柱の間を貫き通しています。柱同士に手をつないで支えている様子を思い浮かべてみてください。貫は柱同士を支えますが、それはがっちりと固めているわけではありません。
柱が動けば一緒に動く。

想定外の揺れがあっても、つないだ手を離さない

想定外の揺れがあっても、つないだ手を離さない

まさしく柔構造。
その貫の上に漆喰などの泥壁が塗られます。
大きな地震で揺れれば壁はぼろぼろになる。
ボードや合板壁をがっしりと金物で打ち付けた剛建築から比べれば一見しても弱々しそうです。
ですから日本家屋は強固な建物を求めるための構造計算が成り立たちにくい時代が永くつづいたようです。
柔構造なので数値化できないといった方がわかりやすいのかもしれません。

それでは想定外の地震があればどうなるのか?
大きな揺れがあっても木で組まれた柱と梁です。
がっしりとスクラムを組んで揺れを吸収しようとします。
そして、貫は何があってもつないだ手を決してはなそうとはしない。

柱と梁が父と兄に例えるなら、貫は妹たちなのかもしれません。

さて、今回のテーマである、木組みの家の居心地の良さについてです。

大きな地震に遭遇するのはまれなのですが、家は小さな気象現象によっていつも揺れている。
それに負けないようボルトで締め付け、壁を金具で固めて頑強にした「鎧」のような建物が一方であります。
その鎧の空間にいることが果たして心地よいのかということです。

木組みの家は、自然の環境を吸収しながら小さく揺れている。
それは組まれた柱や梁のお陰だし、一見ひ弱そうな漆喰壁の効果もあるのでしょう。
それを陰で支える貫の存在も関与している。
この柔構造こそが住む者に居心地のよさを与えているのではないかと、私は思っています。

完成して今はもう見えないけれど壁の中でつないでいる手に、わたしはいつも感謝して暮らしているのです。

<第十九話につづく>
連載「木組みの家に住んで」まとめページはこちら

 

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「松井事務所」より

150723kouenji「安心できる」という心地よさは、家にとって、とても大切なことだと考えています。

木組みの家の安心のひとつには、地震があっても倒れないということがあり、建主さんにはいつも「大きな地震が来たら、家が一番安全なので、外に飛び出さないでくださいね」と言っています。
でも、安心できる居心地の良さをつくるためには、地震で倒壊しないだけでなく、ほかにもいろいろな知恵と工夫があって、それはありがたいことに、この連載でたくさん触れていただいています。性能も意匠も、「総合的」にデザインすることで、居心地の良い家になるのだと思います。<匠>

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