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2006年09月01日 Fri

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「日本列島・民家の旅」スケッチ展 本日から始まります

全国の「民家」を訪ね、描きためたスケッチの中から、今回は16点ほど展示いたします。「民家に学び、先人の知恵を現代に生かしていく」という想いから、これからも旅を続けて行きたいと思っています。16日からは当事務所にて、20周年記念展も開催します。
どちらもご高覧下さい。

「日本列島・民家の旅」スケッチ展 本日から始まります

池袋西口から徒歩7分ほどのところです。
立教の方向、斜めに入らず広い通りをそのまま西へ行き、デイリーストアーの角を右に曲がります。50メートルほど入った右側、2Fです。

2006年08月30日 Wed

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金沢・町屋

金沢・町屋
金沢に滞在したときに、朝早く起きて散歩がてらスケッチに行きました。大手堀のすぐ脇の民家です。ビル化される街の中で生き続ける住まいは魅力です。金沢にはまだまだ生きている町屋が多く残っていて、街のあちらこちらにある豊かな緑と相まって、街全体のしっとりとしたよさにつながっています。何度でも訪れたくなる街です。

「金沢・町屋」

2006年08月24日 Thu

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千倉・千田海岸

千倉・千田海岸
至です。久しぶりに千倉へ遊びに行きました。友達と海で泳いで楽しかった!千田海岸の岩場ではシュノーケルで潜りました。その時描いた海岸のスケッチです。薄い岩が何枚も重なっているようでおもしろい風景です。長年波に洗われて出来た節理です。

千倉・千田海岸

2006年08月16日 Wed

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金沢・東茶屋

金沢美大に毎年集中講義に行っています。金沢は古い街並みを積極的に残し保存する制度が出来ているので、この東茶屋も来るたびにきれいに直され生き生きと活用されています。この風情のある町は置屋さんが並ぶ色町だったところですが、今はレストランや、甘味処などになって観光客や地元の人にも喜ばれています。

「金沢・東茶屋」

2006年08月13日 Sun

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「検見川の家」工事は順調です

検見川の家は着々と完成に向かっています。
広く大きな空間がゆったりとした雰囲気を出していて出来上がりが楽しみです。

 

せがいで出ている2階をささえている梁。力強く飛び出しています。
2階の松丸太が外まで飛び出し、窓の屋根の上にひょっこり顔を出しています。

  

丸太、屋根、格子窓が見えます。 窓を内側から見たところです。

 

ポーランドの留学生が見学に来て、伝統的な日本の建築をじっくり見ていきました。
越屋根が出来てきました。温熱のコントロールにはとても大事な部分です。

 

2006年08月08日 Tue

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千倉 民家・3

千倉は南房総市になりました。昨今の市町村合併です。そのこととは無縁ですが、街道筋にはこの地方の特徴ある民家が残っています。スケッチの建物は、千倉でも珍しい塗り込め造りです。元材木商であったそうで、向かって右側の蔵が町行く人には目に留まるようです。この家は左官仕事がすばらしく、母屋の出し桁を一本一本塗りこめている様子や、軒裏を塗りまわして、喉を造っている仕事が特徴です。なかなか出来る職人仕事ではありません。あらためて昔の仕事のすばらしさを実感しました。

「千倉 民家・3」

2006年07月31日 Mon

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石垣島の魚

やっと梅雨明けのようです。早く海へ行きたいナ、と思いながらスケッチ集を見ていたら石垣島で見た南の海の魚が出てきました。色とりどりのきれいなさかながさんご礁の海を泳いでいるところが目に浮かびます。水中眼鏡をつけただけで別世界が広がります。是非また行きたいと思っています。

「石垣島の魚」

2006年07月29日 Sat

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能蔵院・蓮の花2

「能蔵院・蓮の花2」
能蔵院では、このスケッチを喜んでくれて、ポストカードにしてくれました。
千倉へお出かけの折にはぜひ能蔵院へお出かけ下さい。ポストカードが手に入りますよ。

「能蔵院・蓮の花2」

2006年07月26日 Wed

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日野の家

日野の家が上棟しました。今年の梅雨はひどく長引き、19日からの建て方がなかなか進みませんでした。いつもは3日で棟上まで行くのに、今回は4日かかってしまいました。でもせがい造りの張り出した梁や片流れの大屋根が出来たときは、青空が出たような気持ちがしました。
高台にある場所なので、景色もよく、家の中から富士山や丹沢連峰が見えるそうです。

「日野の家」

2006年07月24日 Mon

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能蔵院・蓮の花

千倉の能蔵院というお寺で蓮見会があると聞き、朝早く出かけました。なにしろ蓮は朝早く咲くので、蓮見会も6時から。住職が手塩に掛けて育てている蓮が見事に咲いていました。小さな池いっぱいに咲いている蓮は本当にきれいでした。

「能蔵院・蓮の花」

2006年07月20日 Thu

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「信濃国分寺の蓮」

国分寺の門の前に大きな蓮池があり、ちょうど満開だった蓮の花を描きました。蓮は泥の中から伸びてきて、清らかなまったく汚れのない花を開かせるので仏様の花になったといわれています。またお茶の花としてもこの季節よく使われます。

「信濃国分寺の蓮」

2006年07月19日 Wed

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「蕎麦打ち」

ワークショップ「き」組のメンバーで、暑気払いをしました。
みんなに食べてもらおうと、午前中から修行中の「蕎麦打ち」をしました。
おいしいと喜ばれましたが、自分としては蕎麦が短くなってしまったのが残念でした。
つるつるっと長く仕上げたかったのですが、少々短めで、悔しい思いをしました。

暑気払いは生ビールのサーバーを借りて、おいしく盛り上がりました。

「蕎麦打ち」

2006年07月17日 Mon

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「卓球温泉」

7月のはじめ、「蛍舞う丸子の家」から蛍が飛び始めたので見に来て、といううれしいお誘いを受けて、上田まで行ってきました。公園で無数の蛍が飛び交うのを見て大いに感動し、丸子の家ではお風呂場のすぐ向こうに数匹の蛍が飛び、お風呂に入りながら見ることができました。最初に敷地を見たときに「蛍を見ながらお風呂に入いれる家」と思ったとおりになり、感激しました。
さて、上田あたりは良い温泉がたくさんあって迷うほどのところですが、今回泊まったところは以前から気になっていた田沢温泉のひなびた宿。でもどうしてどうして、あの島崎藤村が詩を読んだ部屋があったり、「卓球温泉」という映画の舞台になったり話題には事欠かない宿。部屋が傾いているのがタマニキズですが、懐かしい感じを満喫しました。とまった部屋の窓から見た木造3階建ての部屋と、その左にある部屋が藤村が逗留したという部屋です。

「卓球温泉」

2006年07月16日 Sun

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「JR代々木駅」

「JR代々木駅」
時間がちょっと空いたので、本屋さんへ行こうと思い新宿へ向かいました。ついでに、以前から気になっていた代々木駅の裏口をスケッチすることにしました。小さな出入り口ですが、鉄骨に板張りでつくった面白い形をしています。さすがに都心なので、ひっきりなしに人が通って行きますが、こんなアールデコ風の入り口にみんな気が付いているのでしょうか。

「JR代々木駅」

2006年07月14日 Fri

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「前川國男自邸」

次男至のスケッチです。
江戸東京たてもの園に「前川國男自邸」があります。たてもの園に移築されるだけのことがあり、やはりいい建物は後世のために残すということが大事だと思いました。先日、白井晟一氏が建てた50年前の家を移築する計画がありましたが、現在進行中です。

「前川國男自邸」

2006年07月13日 Thu

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「さくらんぼ」

「さくらんぼ」
山形の宝石のようなさくらんぼが届きました。あまりきれいなので食べる前に絵にしました。短い時期しか食べられない季節ものです。いつも送ってくれるIさんありがとう!
器は奈穂自作のワイングラスです。

「さくらんぼ」

2006年07月12日 Wed

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「あゆのお菓子」

この季節に必ず登場するお茶菓子です。ああまた夏がやってきた、と思わせるものです。
かわいい鮎の姿を見てさっそく描こうと思い、ひとつ余分にいただいてきました。

「あゆのお菓子」

2006年07月10日 Mon

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「高過庵」(たかすぎあん)

諏訪の「神長官守矢史料館」から少し山を上がったところに藤森照信さん個人の茶室があります。なんと木の上にある茶室です。小さいとき木の上にターザン小屋を建てて遊んだ、そんな感覚で、なんと茶室が出来上がっているのです。びっくりしました。
遊び感覚と、技術を駆使した大人の感性が一体となっていて、あっぱれと言いたいですネ。

「高過庵」(たかすぎあん)

2006年07月09日 Sun

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「神長官守矢史料館」

上田の「蛍舞う丸子の家」に蛍を見に行った帰り、諏訪へ回りました。藤森照信さんの縄文建物を見たかったからです。藤森氏は「タンポポ・ハウス」「ニラハウス」など作っている設計者で東大の教授でもあります。子供のような自由な発想で面白い建物をつくっていることが素敵です。「神長官守矢史料館」は諏訪神社の神長官を勤めてきた守矢家の貴重な資料が収められています。ヘギ板と泥壁の組み合わせが、いかにも縄文的でした。

「神長官守矢史料館」

2006年07月08日 Sat

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「飛騨白川郷の春」

春先に梅の花が咲いている白川郷です。春を待つ人たちにとって梅の開花は本当に嬉しいものですね。
合掌造りの家には何世帯もの人たちが一緒に住んで、今では考えられないような共同生活をしていたそうです。その中ではぐくまれた家族の絆や村での共働が、この茅の葺き替えなどの仕事に生きていて、だからこそ現在世界遺産になるまでちゃんと残すことが出来たのだろうと思います。

「飛騨白川郷の春」