プロジェクトレポート
2025年01月17日 Fri
阪神大震災から1ヶ月後に現地に立ちました。震災の直後では復旧活動の妨げになると考えたのです。
折しも「日本ナショナルトラスト」の調査員に選ばれました。
大阪のホテルから現地に通い被災状況をつぶさに見て回りました。
その時の報告はニューズレターに印刷して各方面に届けました。いまほどメールが一般的ではなかったと思います。
ドキュメンタリーのような生々しい報告は、受け取った人の印象に強く残ったようです。
当時神戸で救済活動をしているまちづくりコープの小林さんや重村先生を訪ねました。
主に古い街を中心に歩きました。そこで気づいたことがあります。
古民家や土蔵の被害が少ないのです。
周りが潰れた家々の中で大きく傾いてはいても、倒壊していないのです。これには驚きました。
古い建物は変形しながら潰れる手前で踏ん張っているのです。
つぶさに見ると「貫」が倒壊を止めていることがわかりました。
もちろん新しい建物も多く倒壊をこらえていました。
朝日新聞の夕刊に「プレファブは残った!」という記事がでてしばらくプレファブ住宅が地震に強いと注目を集めました。
そこで「貫」を見直しそれからは新築するときには耐震構造に「貫」を採用することにしました。
後に国土交通省が伝統家屋の耐震実大実験をしたときにも試験体の設計を任されたときにも「貫」を採用しました。
「貫」は「めり込み」に強く「継ぎ手・仕口」は「摩擦」によって力を「減衰」することがわかりました。
むしろ「筋違」は梁を突き上げて柱を折ってしまうのです。
また足元はフリーのほうが建物を壊さないこともわかりました。
「阪神大震災」よって様々な知見が得られましたが、現在の建築基準法にはあまり反映されていません。
永田町が80年続いた法規を変えたがらないのです。
しかし「貫」は構造材として見直されても良い材料だと思います。
2025年01月17日 Fri
30年前の今日のこの日を忘れない!
阪神大震災はわたしの設計人生を変えてしまいました。
当時40歳だったわたしは、それまで建物の見栄えをばかりを気にしてデザイン優先の設計をしていました。
それなりに名前も売れていましたが、衝撃的な被災状況を目の当たりにして慌てて神戸に向かいました。
この目で確かめないとどうしていいのか答えが出せなかったのです。
「日本ナショナルトラスト」の調査団に加えてもらいまだ粉塵の舞う現地にたったときは一ヶ月が過ぎていました。それでも悲惨な光景に言葉を失いました。
地震で亡くなった人は6434人、そのうち建物や家具の下敷きになって命を失ったのは約5000人。
当時、建物の設計を生業にしている自分は責任を感じて、この日から「丈夫な家づくり」をしなければならないと強く思いました。
ちょうど「建築知識」という雑誌に「木の家づくり」について原稿を書き始めたばかりでしたから、急いでテーマを「耐震」に切り替えたことを覚えています。
雑誌ではその後2年にわたって「丈夫な骨組と成長する間取り」を連載しました。
わたくしはもともとデザイン科出身のため構造についてはアイデアがなく、共著の建築学科出身の小林一元さんや宮腰喜彦さんの力を借りて毎月書き続けました。
「誌上ワークショップ」として読者ともコラボレーシュを重ねて多くご意見をいただき、最終回には建築知識の会議室で全国の読者を集めて「公開ワークショップ」を行い項目ごとに仕様を決めました。
その成果をまとめたのが「木造住宅 【私家版】仕様書・架構編」(写真添付)です。おかげさまで、当時から30年間のロングセラーです。
その間「3.11」で「東北」が揺れたり昨年の元旦には「能登」が揺れて、いまさらながらに日本が地震国であることを痛感させられています。
これまでの多くの犠牲者に哀悼の意を表して、今日のこの日を一つの契機と考えて「地震に強い木造住宅」の設計にさらに精進してゆく覚悟です。
2025年1月17日 松井郁夫
2025年01月12日 Sun
「天橋立の家」
上棟しました。天候に恵まれ棟木が上がりました。
2025年01月10日 Fri
本日の建て方は雪のため中止です。明日は棟が上がりませんが、予定通り上棟式を執り行います。
2025年01月08日 Wed
建て方二日目
高床が組まれましたが、この後雪になりました。
2025年01月07日 Tue
「天橋立のせがい造り」建前始まりました。
一日目は高床のせがい部分から!
通し柱も建っていよいよ上棟です。
二日目も楽しみです。
2025年01月06日 Mon
2025年 事務所開設40年、民藝運動100年の節目に「いつか古民家になる家づくり」を実践し続けたいと思います。
2025年01月01日 Wed
2025年 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
2025年