プロジェクトレポート
2013年05月30日 Thu
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイ第三話です。
Kさんは60歳でこの家を建てられ、お一人でお住まいになっています。
無垢の木と漆喰の木組みの家の生活は、どのような暮らしなのでしょうか。
日々のお住まいの様子をお楽しみください。
「高円寺の家」施主
第三話
注文は出さない
自然界では生殖が終わると、死を迎えるのがならわしだとあります。
自分のDNAを子孫に残すと、その役割を終えるのでしょう。
わたしは12年5月に還暦を迎えました。
60歳の折り返し点に来てみて、わたしは
「あと15年か」
と思ってしまいました。
15年たてば、わたしも75歳です。それだけ生きれば充分です。
しかし、限りがあっても15年はあまりにも短い……。
ひとり娘のお友だちが家を建てた。
新築祝いに娘が招かれて行ってみたら、「とても良かったよ」と言うのです。
「建てたいと思っているなら、その家を見てごらん」と連れて行かれたのが去年(11年)の秋のことでした。
行ってみてびっくり。ひと目見てすぐに気に入ってしまいました。
木をふんだんに使ったぜいたくなつくり。
カベは新建材のボードではなく、呼吸をしている漆喰(しっくい)です。
「こんな家に住んでみたいな……」と天井を見回していたら、かたわらに立った娘が「お願いしようか」と言ったのです。
そのひと言だけで、わたしの75歳までの想定寿命がいっきに85歳までのびてしまいました。
去年(11年)の暮れに、お友だちから紹介された設計事務所に行って、設計の依頼をしました。
それから図を引いて、半年後の6月(12年)はじめに着工でした。
おどろいたことに、去年(11年)の娘の選挙で、ウグイス嬢をつとめてくださったのが、設計士さんの娘さんだということがわかったことです。
わたしの娘は練馬区で区議会議員をさせていただいているのです。
車酔いになったウグイス嬢にわたしが「耳を引っぱって良いですか」と訊いて娘ににらまれたのです。
あのお嬢さんが設計士さんの娘さんだった。
敷地は20坪の小さな土地ですが、いったいどんな建物としてわたしの前に現れるのか、わくわくして待っています。
7月14日(12年)の上棟式。
これは、建築主が職人さんたちの労をねぎらう場でもあるらしいのです。
親戚側はわたしとわたしの兄と娘の3人。現場のみなさんは14人の参加でした。
兄を設計士さんに紹介。
木組みの家を手がけていると聞いて、兄は、「増田一眞さんをご存じですか?」と設計士さんに尋ねたのです。
増田さんというのは、毎年1月、わたしの甥の主宰する和力という伝統芸能をする団体が、ライブをする松戸市矢切の「結花(ゆい)」のご主人のお名前です。
1級建築士で伝統的な家の建て方を研究されているその世界では「大御所」といわれている方だそうです。
埼玉県の所沢という駅前開発を視察にいったとき、170年前にたてられた薬種問屋の建物がとり壊されることを知って悲しみ、その建物を矢切に移築したのが、現在の「結花」 なのです。
3月11日の震災のときにもビクともしなかった、木組みのお蔵でした。
「増田先生? 知っていますとも。矢切に移築する時も電気工事の配線の設計を図面をお手伝いさせてもらっています」と設計士さん。
こんな所にも意外な「縁」がひろがっていくのでした。
わたしの敷地は住宅密集地ですから、南側に建物があります。
ですから、中庭をつくって日を入れなくてはなりません。
紙モデルを掲示しましたが、L字型の建物になっています。
わたしは設計士さんに 「風呂場の浴槽につかりながら、ライトアップした中庭を眺めてみたい」 とひとつだけ注文を出しました。
左側が風呂場です。そこに小窓が切られてありますね。そこから庭を見ます。
そんな贅沢な注文が通ってしまいました。
出来上がったら、いったいどんな形になるのか、すごく楽しみです。
「上棟式はぜったい見ておいた方が良いよ」
と娘のお友だちに強く勧められて、今日にのぞみました。
何が起きるのかと思ったら、基礎しかなかった場所に柱が立ち、梁をまたがせ、家の骨組みが次々にできあがっていくのです。
職人さんたちに食べてもらう寿司の大皿、オードブル、冷えたビール、持ち帰っていただく弁当も宅配便で建築現場に届きました。 朝方に強い雨がふりましたが、今はあがって夏の強い日差し。お弁当屋さんも、「気温が高いので早めにお召し上がりになってください」と言い置いていきました。
しかし、工事は予定時間の午後3時を過ぎても、なかなか終わる気配はありません。料理も寿司ですから、温まるのが心配。ビールもあったかくなっちゃう。 そういうことを考えはじめるとわたしの頭は落ち着かなくなってくるのです。
「ほらほら、日差しもなくなって風が出てきたから、お料理も楽になっているよ」
と娘に慰められて、気持ちを持ち直します。
予定時間を1時間過ぎた午後4時に棟上げが完成。 屋根の骨組みまでできました。
棟梁と建築主が四方の柱にお神酒と、塩、お米をまいて神様にお祈りをします。
上棟式は神事だったのですね。
そしてみなさんと顔合わせをして並べられた料理の前で乾杯です。
建築主が挨拶をしなくてはなりません。
娘に頼んだら「人前で挨拶するのはイヤだ」と断られたので、仕方がないのでわたしが前に立ちます。
「人前に立ちたくないって、あなた……」議員を商売にしているくせに何を言っているんだか。
くつろぎながら飲んでいると、となりに座った建築士設計士さんが、「Kさんは建築にあたって何も注文しなかったのが良いですね」とおっしゃったのです。……だから 、やっている方もやりやすくて、力をいれてやっていると。
ありゃ、「風呂場の浴槽につかりながら、ライトアップした中庭を眺めてみたい」というのは注文のしたうちに入っていないようなのです。
高い買い物だから、いろいろなことをいう人がいるらしい。気持ちはわからないでもないですが。
設計士さんたちは専門家ですから、その注文に添おうとするのでしょうが、やりにくいのかもしれません。
ひとつを崩せば、全体のバランスがくずれるということもあるのかもしれません。
わたしは、最初から何の注文もありませんでした。
実は、朗(甥・伝統芸能の舞台俳優)にも同じことがあったことに気づきました。
朗は今年(12年)の11月、娘の地元・練馬では4度目の舞台として招きました。
その勧進元のわたしとしては、本当は、やってもらいたい演目があるのです。
秩父夜祭りに「秩父 屋台囃子」というのがあります。
これを朗がやるととても良いのです。
豪壮で、ひとりで太鼓を打つのですが、とてもひとりだとは思えない太鼓の響きなのです。
でも「やって」とわたしは注文を出しません。
ですから、わたしは05年の松戸公演から朗の「秩父屋台囃子」を見ていません。
もうひとつ。
福島県いわき市に伝わる「ぢゃんがら念仏踊り」も見てみたいのです。
いわき市の青年団は念仏踊りの連を組んで、
新盆を迎えた家々を回るのが伝統となっているらしいようです。
着流し姿で笠をかぶり、腰前に太鼓をすえて、踊りながらそれを叩きます。
朗がやると、これが幽玄でとっても良いのです。
でも、わたしは「やって」と言いません。
こちらからは注文を出さず、彼がやりたいことだけをやってくれれば、それで良いのです。
それは、わたしが朗の芸を尊敬しているので、こちらが何かを注文するのは失礼だと思うからなのかもしれません。
わたしは去年の秋に娘のお友だちの家を拝見したときから、
この家の建築に携わった方たちに尊敬の念をいだいています。
ですから、建築にあたって、わたしは何も注文を出さなかったのだと思います。
「松井事務所」より
信頼して家づくりを任せていただき、ありがとうございました。存分に力を発揮できました。庭づくりも進行中です。現代的な石組と竹垣が響きあうように考えました。
Kさんから、竹の塀が緑から黄色がかってきて味が出てきたとご報告がありました。
これから樹木を植えます。どんな庭になるのか?
5月の「お住まい内覧会」をどうぞご期待ください。