プロジェクトレポート
2024年09月26日 Thu
好評につき、我が師「小川行夫」の話を続けます。
実はこのブログを読んでくれている若い方から「もうそんな時代では無いでしょう」という感想をいただきました。
たしかに大工の世界の「徒弟制度」はなくなりましたし、いまや職人に憧れる若い人も少ないと思います。しかし徒弟制で鍛えられた昭和の職人を誇りに思っている人間としては、あの頃の現場が面白くて書かずにはいられないのです。
当時、職人の休みは盆暮れくらいしかなく滅私奉公させられていました。それでも活き活きと仕事をしていたのが良かったと思ってしまうのです。今なら労働基準局にしかられます。
小川行夫と大工の加藤正志棟梁は、携帯電話もない時代の連絡が大変だった頃に、なんと小川さんが現場に電話を引かせました。加藤棟梁は現場が始まると敷地の隅に合板の板で小さな小屋を作って住み込んで仕事をしてたので固定電話を引くことができたのです。
電話は毎日のように気が変わる小川さんの要望に答えるためです。小屋のつくりは屋根にブルーシートをかけて雨をしのぎ、2坪くらいの室内に布団を敷き炊飯器と缶詰と一升瓶が置いてあるだけでした。いまのように弁当屋もないので毎日お米を焚いていました。
枕元には試作の「継手」「仕口」のモックアップがところ狭しと転がっていました。毎日寝る前にオリジナルの継手・仕口を考えるので毎回面白い木組になりました。明るくなると起きて現場仕事にかかり、暗くなるとお酒を飲んで寝る生活を何ヶ月も続けるのですが弟子を使わないので、いつも一人で現場でした。時々図面を届けに行って掃除を手伝うと嬉しそうにお酒を振る舞ってくれました。
実は、わたしが独立して初めての仕事を加藤棟梁にやってもらいたくて自分としては精魂込めた図面を持っていったことがあります。何しろ初めての家ですから緊張して加藤棟梁に見てもらいました。
棟梁はしばらくじい〜っと図面を見て「どっかで見たことあるね~…」と言ったきり取り合ってもらえませんでした。小川さんのところを辞めたばかりだったのでそっくりに描いていたのでしょう。下手な図面には気が乗らなかったようです。
加藤棟梁が造ってくれそうもないので、その頃人づてに知り合ったばかりの渡辺正司棟梁を現場につれて行って「こんなふうにできるか?」と聞きました。
渡辺棟梁には失礼な話ですが、小川流の木組をやってもらうには全ての柱・梁を見せる「真壁」づくりでなければいけません。その頃は大壁が流行り始めだったのでつくりたいのは大壁じゃないことを伝えたかったのです。
全て化粧材で削るのだとわかると怪訝な顔をされましたが、「昔の仕事をすればいいんだろ!」と言って、木組を理解してくれて、その後30年近く渡辺棟梁とコンビを組みました。
何軒かの家づくりの合間にカミさんが内緒で小川さんを完成した家にわたしに内緒で連れて行ったことがあるようです。
後で「あんたの旦那は飯が食えるよ!」と言われたと聞きました。わたしにとっては最高の褒め言葉です。
もしわたしが連れて行ったら、つれない返事しかしなかったと思いますが、さすがは建主の娘には正直に答えてくれたのでしょう。ありがたいことです。
万騎が原の家 何度も図面を届けに行きました。