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2024年09月22日 Sun

我が師「小川行夫」のことを話そう⑥

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小川行夫がカミさんの家を設計したのはカミさんが4歳の頃だったといいます。子ども部屋に妹さんと一緒に寝るための二段ベッドを造り付けた時のこと、頭のあたりに風通しのための細長い窓を開けたそうです。その時に幼いカミさんの頭の寸法を図り、少しちいさめの高さにして窓から外に落ちないようにしたといいます。さすが細かい配慮をする丁寧な設計です。男性的な架構をつくる割には細かい気遣いに驚きます。

カミさんの家は何度かに分けて増改築を繰り返したようで、わたくしとカミさんが付き合い始めても時々実家に打ち合わせに来ていました。小川さんが来れば酒盛りになるのが決まりでよくご一緒しました。僕とカミさんが付き合う前はどうやら時々誘い出して飲みに行っていたようです。カミさんと結婚したら今度は妹さんを連れ出していました!建て主の娘はコンパニオンじゃないって!ましてや僕のカミさんと義理の妹だし!(笑)

実は小川さんは少し吃音があって、女性と話すのが苦手で飲み屋で同席した女性に「オマエが口説いてこい!」と命令するので困りました。わたしも女性は苦手です。(?)なので小さい頃から知っているカミさんとは話がしやすかったのでしょう。最もカミさんもウワバミですからむしろお酒が飲みたかったのかも…(叱られる~…汗)

建主さんと話していても時々吃音が出るのでうまく伝わらないことがありました。そこでよせばいいのにわたしがしゃしゃり出て「僕がリードしますから小川さんはあとからついてきてください!」なんて言ったものですから二度と口をきいてくれなくなったのです。無神経に小川さんを傷つけてしまい悪いことをしました。若気の至りです…(汗)

その後は半年間、事務所に行っても「ああ」とか「うう」とか言うばかりでした。

当時はコンクリートの二世帯住宅の図面を描いていましたが、描いた図面を小川さんに見せると展開図の窓枠の寸法を直すように指示されました。天気がいいと「そうだなぁ、30ミリかな」と言い、雨の日は「やっぱり24ミリだなぁ」といいます。毎日のようにです。図面は1/50ですから図面上の1ミリが実際の寸法では50ミリです。つまり1ミリの線の隙間にに30ミリと24ミリを描き分けることがどれほど大変かわかりますか?

そんなことを繰り返しているうちに図面の枚数が80枚近くになりました。二世帯住宅とはいえ一軒の住宅で80枚は異常だと思いました。手書きの図面を何度も書き直すのでトレッシングペーパーが黄色くなって汗の匂いがしました。

もう限界でした。それでこれ以上は無理だと悟って「辞めたい」と申し出たのです。

健全に務めた期間はたった一年間でしたが、密度の濃い時間でした。どんなに無理難題を言われても事務所に通うのが楽しくてたまりませんでした。

何しろ、こちらは全く既成概念をもたない「水を吸うスポンジ」ですから。小川行夫を通して毎日建築の世界に包まれているような感覚でした。

日本の伝統構法にこだわりながらアメリカンナイズされた木組の家つくる小川行夫を「木組のモダニスト」と呼ぶ人がいましたが、まさにアメリカン「モダン」でした、禁欲的なシエイカー教徒のつくる「バーン(納屋)」のようで日本建築にしては「バタ臭い」不思議な家づくりを叩き込まれその後の人生を決定づける実り(災難?)の多い一年でした。(笑)

大宮の家 まさにバーンのような木組のモダニズム