プロジェクトレポート
2024年09月17日 Tue
大学を修了して藤本昌也先生の主宰する「現代計画研究所」で都市計画を学んでいた頃、一軒でもいいから建築を建てたくて、結婚したカミさんの家を建てた「小川行夫」の事務所に入所した。「変わり者だよ」と義父が言う設計者である。
訪ねた頃は、わたしはすでに26歳で子どももいたので無職では生活できないと思い、なんの抵抗もなく会いに行った。
初対面の小川さんは「オマエいくつだ?」と私を見て尋ねた。「26歳です」というと、いきなり「帰れ!帰れ!」という。突然の言葉に驚いて「なぜですか?」と食い下がると「オマエなんか中年者だ!ものにならねぇ!」という。「中年者」って30代中頃かと思っていたので更に食い下がると「大工の世界では18歳を過ぎたら中年者だ!」という。
どうやら15歳の中学卒業の春から大工仕事を始めると3年で年季が開けるそうだ。すでに8年も年を食っているので今から始めてもモノにならないという。「色気が出てからでは遅いんだ」ともいう。大工の弟子は右も左もわからないうちから修行に入り、親方が「右に走れといえば右に!左に走れといえば左に!なにも考えずに走るんだ!」という。
子どもまでいる弟子は取らない!と追い払われたがしつこく食い下がると「しょうがねえなあ。建主の娘婿だから入れてやるか」ということで机だけはもらった。
次の日にお茶を入れると「まずい!」と言って飲んでくれない。スケッチを書いてみろと言われて、美大を出たのでチャンスだと思って書いた絵は、「パースが狂っている」と言って取り合わず。小川さんが眼の前でボールペンで書いてくれた絵が「うまい!」しかもこちらが見ている向きで逆さまに描いた!書き直しの利かないボールペンでだ。「すごい!」このときから、やることなすこと全て否定されて白髪が生えてしまった。
最初に図面を描かせてもらったのは、地下室のあるコンクリートの建物であった。てっきり木造の設計者だと思っていたので驚いたが、RCは斬新で更に驚いた。まるで要塞のような堅牢なデザインの二世帯住宅であった。設計に時間をかけることこの上なく現場が始まっても待たせてばかりで図面を届けると現場監督からこっぴどく叱られるのはわたしだ。「現場が始まってから3年。まだ上棟もしない建物なんだぞ!」
とにかく遅い!監督が事務所に来て図面が出来上がるまで待っていることもしばしば。これはとんでもないところにきたなぁ!
現場がかわいそうだった。ある時「現場が図面を待ってます!」というと「オマエはどっちの味方なんだ!」叱り飛ばされた。
我ながらすごい事務所に来たなと思ったが建築のことはすべて小川行夫さんに教わった。
(つづく)