プロジェクトレポート
2024年09月21日 Sat
わたしが入所した頃小川さんは50歳で油の乗っている時期でした。建築雑誌の取材も度々あって「木造建築の学校」を開こうという構想もありました。すぐに頓挫しましたが…そんなおりに突然「木造の構造設計者はいないのか」と尋ねられました。
わたしが知っている構造設計者は「現代計画研究所」で知り合った山辺豊彦さんでした。早速お呼びして面会してもらいました。木造に造詣の深い小川行夫はとうとうと木につて語り山辺さんを驚かせたようです。その時の山辺さんは「マッちゃん!木は強度がバラバラで、節や欠点が多くて質が一定しないから計算は無理だヨ」と言ってました。しかしいまでは「ヤマベの木構造」といえば日本中の設計者の教科書になっています。おふたりを引き合わせてよかった!
小川さんには相棒の大工棟梁がいました。「加藤正志」という満州帰りの名人です。加藤さんは30歳過ぎてから大工になったというまさに中年者でしたが、腕がいいので小川さんは加藤さんを離しませんでした。
とにかく大人しくて言葉の少ない人でした。返事はいつも「はい」と「そだね」しか言わない人でした。かなり小川さんの無理難題を聞いていたと思います。性格も良くて尊敬する棟梁でしたが他人を使えないので全て自分でやってしまうのです。
ある時現場に図面を届けに行ったら大きな破風板を一人で上げようとしていたので手伝いました。わたしが板の片方を支えましたが加藤さんが破風の拝みにシャチ栓を打つとカクンと音がしてピッタリとハマりました。何と言うすごい仕事でしょう。
加藤さんはお酒を飲まないのですが、ある時小川さんを接待しようと思ってバーに連れて行ったそうです。小川さんがビールばかり飲んでいると「もう少し高いお酒を飲んでよ、小川さん、ほら色についたお酒はどう?」と言ってカクテルを勧めたようです。さすがにこれには小川さんも「カクテルなんか甘くて飲めない」と困ったようです。歌がうまくて上棟の直会では現場に携帯カラオケの機器を持ってきて気持ちよさそうに歌っていました。
小川さんの口癖は「建築は音楽だ」「リズムとアドリブだ」と言うのですが、「松井、加藤は歌がうまいから仕事もうまいんだ、オマエも歌え!」と無理やり歌わされましたが、本人は決して歌いませんJAZZ・MANなのに…。おかげさまでこちらはカラオケが好きになってしまいました。(笑)
いつだか大晦日の夜に突然奈良に出かけて行きました。東大寺の「南大門」の下で除夜の鐘の音とともに「ジョン・コルトレン」を聴くというのです。「木造建築の学校」の生徒さんと一緒に出かけたようです。音楽で繋がる人は好きだったようで、下北沢のジャズバーで知り合った素人を事務所に入れるというので驚いたことがあります。よほど気に入ったのでしょう。わたしよりも歌がうまかったのかもしれません…。(汗)
全くハチャメチャな話ですが何年かしてその人と偶然どこかのバーであったときに「覚えてますか?下北のジャズバーでお会いしましたよね」と言われ一緒に飲みました。その人は小川さんに感化されてその後建築設計の道に入ったそうです。
(つづく)
本間邸 叔父さんの家に初めて訪れたときは思わず靴下を脱いで上がりました。