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2024年11月03日 Sun

建築の話をしよう⑭設計者が負うべき「社会的責任」

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建築を構成する要素に「架構=骨組み」や「外皮=外部仕上げ」があります。

「住宅は骨と皮とマシンからできている」(2003年発売農文協)といったのは藝大の先輩の故・野沢正光さんです。

建築を実に合理的に分析し、まさに「架構」と「外皮」と「マシン=設備器具」を明確に分けて語りました。

また、そのとおりに実践する「クール」なひとでした。わたくしは同じ藝大でも建築学科ではなかったので、建築学の基本知識のない私には常に刺激されっぱなしでした。

野沢さんと知り合ったのはお互いの子どもの幼稚園の運動会でした。

小さな公園を借りて父母たちが主体の手作りの運動会を楽しんでいるときに、ベンチでビールを飲んで観戦しているおじさんがいました。明らかに年上の幼稚園の子どもがいるようには見えない風貌だったのです。

第一声が「子どもが走っているのを見ながら飲むビールはうまいなぁ!」でした。その言葉に賛同して一緒に飲むことにしました。飲んでいるうちに、お互い同じ藝大出身だとわかると急に親しくなりました。

建物の内覧会にも招かれて何度か伺いました。中でもご自宅は博学さがにじみでた秀作だと思います。彼の創る建築は理解することがとても難しくて科学にうらうちされた難解な建物でした。

農協の建物をたくさん手掛けている「大高正人」事務所の出身で、わたくしの師匠の「藤本昌也」は大高さんに師事した建築家なので兄弟子筋に当たる間柄です。

いろいろな話をお聞きしましたが、大変広い視野をもつ人で驚かされる話しばかりでした。

ある時「設計者は【社会的責任】を取らなければいけないんだよ」というのです。

それは何かと問うと「僕たちは造ってから責任を取るのではなくて造る前から世の中に責任があるんだ」というのです。

わたしにとってそれは未だに難しくて、よく理解して造らなければいけないと思いながら設計していますが、以前このコラム⑥でも描いた「歴史的視座を持つ」ことに繋がる設計者の覚悟のことだと思います。