ブログ

2024年10月30日 Wed

「民藝」→「民家」「工芸」→「工業デザイン」の流れ

_

「民家」は「民藝」の中に含まれる「庶民(たみ)の家」です。

「民藝」の設立から100年が経ちました。

「民藝」の創始者・柳宗悦と濱田庄司は大正15年の「日本民藝美術館設立趣意書」の中で次のように宣言しています。

「民藝」には純粋な日本の世界があります。

外来の手法に陥らず、他国の模倣に終わらず、全てをこの国の自然と伝統から汲んで、日本の存在を鮮やかに示しています。

おそらく美しさにおいても、丈夫さにおいても日本の独自性を最も顕著に示しているのは、各地に残る伝統「民藝」でしょう。

「民藝」には自然から生み出された健康で素朴な、実用の美を見ることができます。

古い民家の前に立つと、無名の職人たちの声が聞こえてくるようです。

人々に生活の日常がよみがえってきます。無作為と無心の純粋な「用と美」の姿があるからです。

わたしたちは長らく、日本の工芸の本流が「民藝」を貫いてきたにもかかわらず、あまりにも普通で身近なものなので気づかずにいました。

すすんでその技術と美しさを引き継ごうとしてこなかったのです。このままでは、世界に誇る技術と美を失うことになります。

いまこそ埋もれていた「民藝」に光を当てる時です。新しい価値を見出し、ありのままの「手仕事」と新しい「工芸」を進める時です。―

普段使いの「雑器」の中に「用」の「美」を見出し、民(たみ)の器や道具に新しい価値を発見した「民藝運動」は、いまや日本全国に工芸品を掘り起こしました。

大衆に使が使う「量産品」の器は「工業生産品」に代わり、今では当たり前に生活の中に溶けこんでいます。

大学で「工業デザイン」を専攻し、研究室には「工業ニュース」とともに「工芸ニュース」のバックナンバーが揃っていました。大量生産を目指す「工業デザイン」は「民藝」から始まり「工芸」になり流れが続いてきたのだと思います。

それが、わたくしが「いつか民家になる」を目標にした木組の家づくりを続けている所以です。

この度機関誌「民藝」863号に取材された茅葺きの座談会の記事が2024年11月号に掲載されたことは望外の喜びです。