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2025年03月31日 Mon

「棟梁・田中文男」のことを話そう②

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私が「田中文を」さんと初めて会ったのは藤本昌也先生のところの「現代計画研究所」の所員のときでした。

当時、退社間近でカミさんの家を造った大工に弟子入りすることになっていたので、事務所に来た、いかにも職人の親方みたいな田中棟梁を受付の人が「松井さんにお客様です」と応接室に通したのです。実はその時藤本先生は住宅公団の木造研究部会のメンバーで大工の田中さんを事務所に呼んで話を聞こうとしていたのです。

お茶を持って応接室に入ろうとすると「俺は帰る!」と言って部屋を出ようとする田中さんの腕をむんずと掴んでいる藤本先生がいたのです。

その時どうやら藤本先生は「2✕4」の図面を見せたようでした。藤本先生はその頃木造に詳しくなかったので、講師として通っていた東大で「大工を知らないか?」と聞いたそうです。

東大の研究室に出入りしている大工といえば、文化財の改修を手掛ける田中棟梁しかいません。

まさか「2✕4」の図面を見せられると思ってなかったのでしょう。田中棟梁は驚いて「帰る!」と言ったのです。

慌てた藤本先生はとっさに「ではどうすればいいですか?」と尋ねると棟梁は言いました。

「木造は軸組だ!」

私の眼にはいまもその時の光景を鮮明に覚えています。そうか木造は軸組なんだ!といつも思えるのはこの時の記憶が刻まれているからです。

私のこれまでを 振り返って1973~2015年

藤本昌也先生

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