ブログ

2025年04月02日 Wed

「棟梁・田中文男」のことを話そう③

_

田中文男棟梁は「学者棟梁」とも呼ばれていました。

農家の改修を頼まれると、その家の履歴を調べるために集落の歴史をたどるのです。

一軒の農家の履歴にはいろいろなことがあるのですが、例えば「この家は江戸時代の天保の地震で60センチ横にズレてそのまま建て直したとか。

貧困にあえいで娘を売ってまでして家を守ったとか。その村の「村史」をすべて読んでから改修工事を手掛けるのです。

読書家で大学の先生や郷土歴史家より歴史に詳しく、来歴を大切にした大工だったので「学者棟梁」と呼ばれたのです。

「三内丸山遺跡」の調査の時にも歴史学者と見解が違って衝突しましたが、実地で鍛えた洞察が学者を黙らせたようです。

とにかくわたしにとっては目からウロコの話ばかりでした。あんまり熱心に話を聞くので「うるさい設計者」なのに近くにいることができました。