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2022年06月10日 Fri

追悼「木組のモダニスト・小川行夫」

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「お前なんか、中年モンだ!」「モノになんねぇから、帰れ、帰れ!」

 

26歳になったばかりの自分がまさか、「中年モン」と言われるとは思いもよらなかったので、酷い!と思って必死で食い下がったことを昨日のことのように覚えています。

「建築家・小川行夫」のことを知る人は少ないと思います。妻の実家を設計した元大工棟梁で建築家協会会員の「建築家」です。

「都市計画」に夢を抱いて藤本昌也先生の「現代計画研究所」に在籍していた頃、一軒でも手仕事の家を設計したかった私が訪ねていった時の話です。大工の世界では、中年モンは18歳からを言うようです! 弟子は従順な若い頃まで、と言う意味のようです。

当時から金物を使わない伝統的な木組の木造住宅を設計する建築家・小川行夫は「知る人ぞ知る」存在だったと思います。

元施主で義父の脚本家「須藤出穂」に無理を言ってもらい、世田谷の若林にあった、木造二階建ての古い裁縫教室だった事務所に通いました。

とは言っても、一年半で辞めさせられました。「生意気だ」というのが理由だったことは、私の独立後に届いた手紙に書いてありました。つまり「破門状」です。

私としては独立して仕事が面白くてしょうがない頃のことで、なぜ「破門状」が届いたのかわかりませんでしたが、妻は「額に入れて飾っておけば」と気がついていました。

雑誌に取り上げられて調子に乗っていた私が経歴に小川行夫を「元・大工棟梁」と書いたことが逆鱗に触れたのです。小川行夫いわく「オレは建築家だ!」

慌てた私は「僕は大工棟梁を尊敬しています!」と手紙を書いたのですが、後の祭りでした。小川事務所に在籍した経歴は削除するように言われました。

今も一年半の経歴は白紙です…。しかしながら、その一年半は、私にとっては貴重な時間でした。

毎晩、ウイスキーを飲みながら語ってくれた大工言葉の奥の深いこと。「お前は内弟子だから教えてやる」という職人の「符牒」はまるで外国語でしたが、知れば知るほど木造建築がよく見えて理解出来ました。

スポンジが水を吸うように木造建築の「コンコンチキ」を学ぶことが出来て、今では感謝でいっぱいです。

面白いのは、三年に一軒しか建てていなかった人ですが、日本の伝統を知りながら「アメリカのバーン(納屋)をつくるんだ」と言ってバタ臭い家を設計していたことです。「木組のモダニムズ」と呼んでいます。

ある日、「木造建築の構造設計をデキる人はいないのか?」と聞かれて、現代計画時代に都市計画室の若造に建築の手ほどきしてくれた「山辺豊彦」さんを紹介しました。

あまりの個性の強さに山辺さんも最初は戸惑っていたようですが、そのうち仲良くなって、当時では珍しかった木造住宅の構造計算をやってくれるようになりました。

「ヤマベの木構造」誕生の秘話です。

ずっと破門されていたので、私から「小川行夫」を語ることは出来ませんでしたが、今日、亡くなっていたことがわかり、筆を執りました…。

享年89歳。静かな最期だったと聞きます。日本の木造建築の木組の伝統を継承した、数少ない大工棟梁で建築家でモダニストだったと思います…。

小川さん、安らかにお休みください。今夜は妻と小川さんの大好きだったお酒で献杯します…。そちらでも、出穂さんとパイイチやってください…合唱…。

下の写真は、代表作「西荻の家」わたくしの義叔父の家です。現存していませんが、この家を見て木組の世界に魅了されました。小川行夫28歳の時の作品です。