2002年10月20日 Sun

職人がつくる木の家ネット

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(木の家ネットより転載)

“職人がつくる木の家ネット”のつくり手インタビュー第5回で松井郁夫のインタビューが掲載されています。

こちらからどうぞ

日本の伝統文化を継承しているのは職人だ!

大工さんをはじめ、職人さんたちの仕事を支える側にまわる設計士でありたいと思っている。設計士というと、個人の作品を表現する作家としてとらえられがちだし、実際に「これが俺だ」というのが前面に出てくるような仕事をする人が多い。でも、設計士は建て主の要望を訊いて、職人さんがそれを具体的に実現してくれるための図面を引くサポーターでいいと思っている。そんな自分を「職人びいき」とか言う人もいるけれど、そういう言い方自体がいかに今まで職人さんの仕事が「手足」としてしか見てこられなかったのか、ということを表しているよね。職人さんたちは口べただったり、歴史を俯瞰して自分たちの仕事を位置づけるということがなかったりするから、なんとなく脇に押しやられてきたけれど、実は職人さんたちこそが日本の伝統文化の正当な継承者なんだ。その技とか技の背後にある価値観こそが、家づくりを通して伝えていかなきゃいけない日本文化だと思う。だから、設計士はもっと大工さんの仕事を知って、サポートする側にまわった方がいいよ。

越前大野の職人町でおがくずにまみれて遊んだ少年時代

ぼくは18才になるまで、福井の大野という城下町で育った。うちはおばあちゃんの親の代まで「檜物屋(ひものや)」といって、ふるいや弁当箱などまげもの製品をつくる職人だったようで、家業はやめていても住まいは大鋸(おが)町という職人町にあった。「おが町」というぐらい、おがくずが多くてね。それを、飼料だか肥料にするために貯めておく「おがくず場」があって、その中からカブト虫を探し出すのが、楽しみだったな。「郁夫ちゃんがいない!」とおばあちゃんが騒ぎ出すと、必ずおがくず場でおがくずだらけになってたものだ、ということをよく聞かされたよ。 町内には建具屋さん、左官屋さん、臼屋さんなんかがいて、二間間口の仕舞た屋の八畳ほどの土間で作業する様子がおもしろくて、じーっと見入ってたよ。建具屋さんが木と木を糊もつけないのにぴたっ!とおさめていくのを感心して見てると、十字に組んだ切れっ端なんかくれてね。今思い出しても、いい仕事見せてもらったと思うよ。職人は口は悪いし、こどもをからかうし、べらんめえ調で、それが今の自分にもちょっと移っているかな。(笑) 職人さんたちの仕事見ているのが好きなのは、野球とかサッカーとかがあんまり得意でなかったから、というのもあるな。からだは大きかったんだけれど、色は白いし、太ってるし、スポーツはへたくそでね。絵だけはうまくて、描いた絵は必ず何かに入選したり賞をとったりするもんで、小学校の頃から「この子は美大に行く」とまわりも自分も思っていたね。そんな少年時代だったから、職人さんと話すことには全く抵抗なくて、むしろ現場監督通さずに、直に職人さんと話す方が好きだな。

棟梁出身の建築家に弟子入りしてたたきこまれたこと

地元の高校を卒業して、芸大のデザインに進んだ。大学で彫塑をする機会があって、はじめて立体にめざめたね。学部を卒業する頃に、田舎の大野の古い水飲み場が壊されそうになって、その保全運動からまちづくりにぐっと興味が傾いた。で、ちょうどその頃大学院に新しくできた環境造形デザイン研究室に進んで、造園や歴史的町並みのことを勉強した。そんな流れから都市計画の事務所に就職はしたんだけれど、結局「百年の計」より、彫塑みたいに実際に自分で手触りの感じられる「つくること」をやりたくなってね。そこではじめて興味が建築に向かったわけ。 その頃、今のかみさんとつきあっていて、その実家がたまたま木組みの家だったんだ。名棟梁は、最後は自分で図面を引く、というけれど、その家も、元は棟梁で、後から設計士になった人の設計でね。「こういう家をつくる人のところで建築を身につけたい」ということでその人の事務所に弟子入り。大野では木組みの古い家を随分見てはいた。そして、大学で建築を学ぶことなく、いきなり木組みの本流に飛び込んでしまったわけ。木組み以外の建物に関わってこなかったから、金物で継いだような家を見ても「あれはたまたま簡単につくっているだけ」と思っていたね。 職人出身だから、口も悪くて、評価も辛い人だったよ。大分苦労もしたけれど、聞く話のひとつひとつ、目から鱗だったね。現場では大工が仕事で使う特別な「符帳(職人ことば)」も随分と覚えた。それと職人の世界での「やっちゃいけないこと」を手厳しく教えられた。そんな戒めはいまだに生きている。「やっていいこと」しか教えない学校教育とは逆なんだな。「やっちゃいけないこと」っていうのは一見、制限のように聞こえるけれど、実は、それさえちゃんとわきまえれば、いくらでものびのびつくっていい、冒険ができる。そんな幅を与えてくれるものなんだよな。

すばらしい職人さんたちとオールスターゲームをできる幸せ

最近、設計という仕事は流しそうめんを竹筒の上から流す人なんだな、と思っているんだ。おいしいそうめんを、いいタイミングで流して、おいしいタレをもって待ってる職人さんや建て主においしく食べてもらうのが仕事なんじゃないかなって。そうめんがまずかったり、流すタイミングが悪かったりすると、ドボッと最後にそうめんが残っちゃう。食べてもらえないような流し方じゃ、いい流しそうめんとはいえない。だから、そうならないように工夫する。 どんな職人さんたちに流しそうめんの座についてもらうか、という「座組」をするのも設計士の仕事。仕事をとって、いい職人を集めて、職人がおいしく食べてくれるような図面を描いて、流す。そして、建て主がよろこんでくれる家が建つ。それがぼくの仕事。 設計事務所を長くやってきているけれど、職人さんには恵まれているね。うちの事務所のすぐとなりの材木屋を仕事場にしている渡辺正司棟梁はじめ、西島建具、芳賀左官、渡辺電気、水道屋、鳶職、みんな「このパートはこの人でなけりゃ」という、信頼できる「オールスターメンバー」が揃っている。事務所のスタッフにも恵まれてきたしね。そうやっていっしょにやれるチームがいるというのは幸せなこと。お互いの癖も分かっているし、職人さんたちは腕がいいもの同士、何しゃべる訳でないけれど認めあっているよ。

まずは聞き上手になって職人言葉を理解する

設計士が出すのはアイデア。それを実現するのが職人さん。その方法については相談しながら決めることにしている。事務所が棟梁の工場の隣だから、プランを考える上でも、木組みで迷いがあったら、まずとなりにでかけていって職人さんに訊くよ。はじめの頃は「なあんだ、そんなことも知らないで」なんて言われたけど、そうやって訊けば覚えるしね。設計士は鉛筆やCADで図面をいじるだけだけど、職人さんは毎日木を使っているんだから、詳しいに決まっているじゃない。だから、謙虚に教わることにしている。 詳細図面なんかあまり書き込まないよ。現場に行って、見て、「こうやっておいて」で済むからね。「つらでおさめて」「面をつける」「ぺろっとなめといてよ」「角は2分丸かな」とか符帳で話して、納まりを決めてきちゃった方がはやいし、うまく行く。「なんでそんなことば知ってるの??」なんて言われるけれど、そのあたりはずいぶん仕込まれたからなあ。 左官の勝又さんなんかに土壁の絵を見せるとね、いい時は「ここ、いいよね」と言ってくれるんだけど、ダメだとボソーッとだまっちゃうんだよね。で、しつこく「どうよ、この絵?」って訊くと、「え?・・・でかいよ」とか、いろいろ言ってくれる。一言あるんだよな。それに耳を傾けて直していくと、どんどんよくなっていく。 よその現場で「いいな」と思う職人さんがいると、スカウトしたりもするよ。「こんどいっしょにやろう」ってね。腕に覚えがある人ならまず、自分がやった現場に連れて行ってくれる。そこでその人の自慢を聞くことから「共通の言葉」さがしがはじまる。職人さんたちといい仕事をするコツは、素直に話しをきいて、信頼関係をつくることだね。設計仲間じゃあ、押しのつよい方と思われているけれど、意外と謙虚なんだよ。(笑)

高いハードルを設定して一緒に越えていく

自分にはとてもつくれないものを、きちーっと実際につくってしまう職人さんたちにあこがれはつきないけれど、だからといって、ぐずぐずの関係になってしまってはいけない。あくまでも対等。建て主さんが本当に望んでいることをきちんと考えてプランにおこしたり、今の生活に合ったアレンジをしたり、現代の息吹をデザインにふきこんだりすることは、自分の仕事。そこが職人さんだけで受ける仕事との違いになるんだから、そのための「アイデア出し」にあたってはなるべく「高いハードル」を設定するわけ。 結果的には職人さんたちと相談しながら、おさまる妥協点を見つけていくわけだけれど、「やりやすい」とか「速くできる」という低い妥協点に流れるのでなく、さまざまな条件のせめぎ合いの中でなるべく高い妥協点を見いだしたいものだと思っている。だから、完全に「おまかせで」ということは、ない。長くつき合ってきている渡辺棟梁に「松井さんはまだ俺のこと信用してくれてない」って言われるのはそのあたりかな。・・・そして、一般的に設計者の本領と思われがちな「自分の表現」だけれど、控えめにぴりりと、というのがいいね。ワンポイント利かせる、っていうのがチャーミングでいいんじゃない?

建て主の要望と職人の技とをつなげるのが設計者の仕事

そうやって職人さんの技を積み重ねながら、最終的には建て主がよろこぶ家をつくるのがぼくたちの仕事なんだけれど、この「よろこんでくれるもの」というのがまたむずかしいんだよな。「どんな家にしたいですか?」と聞いても、その答がその人が本当に望んでいることより表面的だったり、奥さんとダンナで希望が違っていたり、ということはよくある。そういう場合には参加の手法で説得するよ。まちづくりでやるワークショップと同じような手法でね。「これまでどんな家に住んできたの?」からはじまって、その人の原体験を聞いてね。その人自身が自分の生活を客観的に見えるようにするための手伝いをしていく中で、いっしょにその人「らしさ」を発見して、その人たちの住む家がどうあるのがいいのかを考えていく。職人さんの「らしさ」を探っていくのと同じ。聞き上手が設計のはじまりだね。

法律も建て主の意識も細分化しすぎでどんどん窮屈になってきている

今は条件ばっかりきびしくてね。職人さんも設計者も息継ぎができないよ。「もっと自由に泳がせてくれー!」というのが本音。情報ばっかりたくさんもっている建て主と、紛争のタネをつくっているかのごとき「チェックリスト」が並ぶ建築法規。どちらももれがないか、間違いがないか、という「不信感」がベースなんだよね。チェック、チェックで相手に落ち度がないか測っていって、ちょっとでも何かあるとクレーム。そのくせ、工期は急ぐし、予算はない。まったく窮屈な世の中だよ。 最近はとみに、神経質でこまかい質問が多いよ。「この漆喰はなんですか?」とか「糊の成分は?」とかね。「たしかに、おっしゃる素材はいいものだけれど、あなたの予算内ではここまでが精一杯ですよ」と言うと「私の夢はかなわないのですね・・・」なんて言われたりしてね。事務所をはじめた頃にくらべると、設計そのものよりそうした対応に時間を割かれることが多くなっているよ。 昔の「ダンナ」とよばれる建て主は、もっと職人を信頼してまかせていたよね。まかせつつも、ものの善し悪しをちゃんと知っていた。今の建て主のような「耳年増」ではなく、ほんとに目が肥えていたんだな。踊らされるほどの情報もなかったけれど、基本的なことを教養として知っていた。「あそこの木がいい」とか「お寺はこう、町屋はこう」とかね。今の人は、「そもそも木の家とは?」ということは知らずに、細かいことに走る。人間がせせこましくなってきちゃうんだよな。

山と職人、設計者、住まい手が協働できる木の家にしたい

木の家ネットは、業界団体でもないし、住まい手のためのサービスサイトでもない。木材になる木を育てる人、伝統の技と知恵を手にもっている職人さん、家づくりのプロセスをコーディネートする設計士、そして、家に住まうことになっていく建て主。それぞれの立場を理解しながら、それぞれができることを通して、日本の環境や木の住文化を守り、次世代に伝えていくという大きくてゆるやかなネットワークであり、運動なんだと思う。そんな認識に立った上で、現状をどのように変えていけばいいのだろう?

まず設計者は、もっと職人と組むことを心がけ、職人の世界に入り込んで、伝えられてきている知恵を理解すること。学校教育の中で教わらないことだからこそ、実地で、大胆かつ謙虚に飛び込んで覚えていくしかない。職人を自分が頭で描いた図面を形にする手足としてしか思っていなかった時には見えなかった、日本の住文化の根本に触れる知恵がたくさん見えてくるはずだし、そこで身についたことは、その先家づくりをしていくにあたって、何よりの血肉となる。そして何より得難いこととして、そうやっていっしょに家づくりしていくすばらしいチームが生まれるのだ。

職人も、設計者と組むことで、現代的なデザインを取り込むことや、法規的なわずらわしさ、建て主の細かな要望や質問に応えてもらうことを、肩代わりしてもらえるんだ、と思ってくれるといい。ただ、職人さんたちから見ると「じゃあ、おれたち誰と組めばいいんだ?」という情況であることもたしか。木組みに習熟している人はあまりにも少ないものね。職人さんたちとチームワークをつくれるぐらいのことは、設計者が勉強するべきたよ。ある職人さんたちの集まりでね、「設計者との協働のコツ? 大工が我慢することだよ」なんていう発言が出ていたよ。かなしいけれど、それが今の現状。そんなこともあって、ぼくも「MOKスクール」で実務設計者の再教育みたいなことをせざるを得ないんだ。

そして住まい手。健康志向とか自然志向での家づくりを探っていって「木の家ネット」にたどりついている人も多いと思うけれど、ある意味では木の家ネットとして「かゆいところに手が届く」ように細かい質問に答えていかないこともひとつのメッセージになるのではないか、と思う。むしろ「そもそも、なんで木の家なんだ?」みたいな基本に帰れるような情報があって、そのことによって「そうか、そういうことか!」と意識が細かいところから大きなところへ開放されていくといいよね。それこそ「家を建てることが、日本の山を守ることにつながるんだ!」とか、「職人さんに腕をふるってもらうことで、自分の家に日本の伝統文化が生きた形で継承されるんだ!」ぐらいの豪快さがあってもいいじゃない?

サイトが発信する情報が、「ディテールの呪縛」から住まい手を解き放ち、「木の家づくり」をもっと大きく、明るい、未来につながるものとして捉え直すためのきっかけとなれたら、すばらしい。あふれる情報の洪水ともいえるインターネットの世界にあるこの小さなサイトが、これからの日本の住まいづくりの本質にせまる、そして、それぞれの立場から一軒の家づくりなり、設計&職人の協働作業なり、木材の産直なり、具体的なネットワークを生み出すもとになることを、心から望んでいるし、そのためにできることをしていきたい。