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2024年09月19日 Thu

我が師「小川行夫」のことを話そう③

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小川行夫は大工でしたが、建築家協会の会員でもありました。当時家協会の会員には複数の会員の推薦がないと入れなかったと聞いています。建築家も認める大工だったと言えます。

家協会にはよく連れて行ってもらいました。行くと毎回バーカウンタで飲んでいました。夕方になると有名な建築家が見えてさながら「サロン」のようでした。

小川さんはそのバーカウターで「前川國男」先生と仲良くなったようです。なにでも数人で製図板とT定規使い方の話をしていたら小川さんの話を気にった前川先生が「君、名刺をください。」といいってきたと聞いています。

その後家協会で会員の各自の作品発表会が行われたときには小川さんが「西荻窪の家」の「木組」の建て方の動画を映写したらしいのですが、前川先生が食い入るよう観ていて「これはどこに建っているんだ」と興奮気味に聞いてきたそうです。

「西荻窪の家」はカミさんの叔父さんの家で、まさに「伝統構法の家」でした。カミさんと結婚祝をしてもらった後で叔父さんに家を見においでと言われて伺いました。

最初に玄関に入ったときに感動で立ち尽くしたことを覚えています。この家を見て自分も建築がやりたいと思いました。数年前に壊されるときはみんなでお別れ内覧会をやらせてもらいました。その時は前川先生がもうご存命でなかったことが残念です。

前川先生は時々事務所に低い声で電話をかけてくるのですが「小川くん、いるかね」と名前を名乗らずにぶっきらぼうな声でした。こちらは誰かわからずに電話をつなぐと小川さんは直立不動で「はい!わかりました!」と返事をして、いそいそとテーラーで仕立てた一張羅の洋服を着てポケットに大金を入れて銀座の寿司久に出かけていきました。

いつだったか家協会の新年会に連れて行ってもらったときのこと、私を前川先生に紹介してくれました。みんなが講堂で餅つきをやっているのに奥の暗がりに背中の丸い影があってボウっと光が射していました。前川先生が一人で後ろ向きに座っていらしたのです!

背中の光はいわゆる「後光」に見えました。仏像の背後に光る「後光」です。驚いたわたくしに小川行夫はあろうことか「こいつが先生の設計した上野文化会館のコンクリートは薄いってよ!」と突然言うのです!参りました。

わたしが学生時代に毎日通っていた上野駅の公園口に前川先生設計の文化会館があるのですが、パラペットの飾り穴がコルビジェのロンシャンを真似たと思うのですが、いかんせん150ミリくらいの薄い立ち上がりに空いた穴なのです。

それを前に小川さんに話したことがあったのですが、まさか直接言うとは!ドバっと冷や汗が流れましたが、前川先生は首を回さず、体ごとこちらに向いてじっとわたしの目を見ながら一言。「あっそ」といいました。驚いたのなんのって、もう穴がったら入りたい気持ちでした。(汗)

前川國男先生の作品はどれも愚鈍なくらい実直で格好を付けない素直なところが好きです。小川さんと気があったのはおそらく質実剛健で不器用な素のままの生き様とデザインの方向が似ているからでしょう…。生意気いいました…(汗)

我が師「小川行夫」のことを話そう③

本間邸玄関