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2024年10月08日 Tue

建築の話をしょう⑤「構法の変遷」架構の西欧化

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現在わたしたちが住んでいる家は本当に日本建築と言えるのでしょうか?

おそらくそんなことを考えずに、当たり前に住宅を楽しんでいる方がほとんどだと思います。

また現状の町並みや景観についても、現状に疑問をいだいている人も少ないでしょう。

いまや日本中にさまざまな外観の家が建ち並び、町が混然としていることが当たり前になっているからです。

でも歴史的な町並みの残る「伝統的建物群保存地域」に行くと日本らしさを感じて落ち着いた気持ちになることはありませんか?

古い町並みや家屋は癒やしになりますが、日頃目にしている町並みや家がなんとなく気持ちを「ざわつかせ」ていることに気づきませんか?

実は、いまわたしたちの暮らしの舞台となっている生活環境は、歴史的分断をおこして現在に至っているのです。

時代的に言えば、日本は「明治維新」で急速に西欧化したことが大きな原因で、分断を生んでいるのです。

それは木造住宅の「構法の変遷」を見るとよくわかります。

ここに日本の「木造住宅の構法の変遷」を図にしました。

この図からは、明治維新で江戸時代以前から続く日本人の伝統的な生活や文化が大きく変化したことがわかります。

日本は明治時代になるまで300年もの間「鎖国」をしていたので、西欧の影響を受けずに独自の建築文化を継続し、日本の伝統を受け継いできました。

ところが明治24年の「濃尾地震」を契機に、地震調査を行った「お雇い外国人建築家」によって西欧の力学にシフトしていきます。

「木造軸組構法の近代化」(2009年発行・中央公論美術出版・源愛日児著)によれば、「筋違」や「土台」「胴差」などの部材は江戸時代にはありませんでした。

地震国日本において「粘り強く」繰り返しの地震にも「復元力」を発揮する、最も重要な耐震要素の「貫」は壁の中で筋違と競合して衰退していきました。

1950年(昭和25年)に「筋違」がの築基準法に位置づけられたため、現在わたしたちの住んでいる住宅は「日本の家」というより西欧化した「和洋折衷」の家となったのです。

最近、地震被害のたびに一階が潰れて二階が道路に落ちている写真を見かけますが、これは「筋違」が圧縮側に働いて「胴差」を押し「通し柱」を折ってしまうからなのです。

2007年から2011年までおこなわれた国土交通省による「伝統的日本家屋の実大実証実験」によって明らかにされております。

もう一度粘り強く地震に耐え復元力を発揮する「貫」を見直さなければならないと思います。