2024年12月03日 Tue
今年の師走は、例年になくスケジュールがいっぱいです。
まず、今週の7日から広島の「鞆の浦」で「作事組全国協議会」の総会が始まります。
「作事組」は京町家の保存利活用の活動をしている会ですが、全国版の「作全総」は京都だけでなく金沢や姫路の町家の再生を実践している会です。
松井は亡くなった学芸出版の社長だった京極さんに頼まれて監事を担当させていただいています。
総会では「各地の事例報告」に始まり「技術の交流会」を通して全国の実践者を増やそうと学習します。
8日(日)と9日(月)の事例発表にはわたくしも「古民家の温熱改修技術」についてお話します。
ご存知のように「鞆の浦」は宮崎駿監督のアニメ「崖の上のポニョ」の舞台で有名です。静かな港町ですが1983年には港に巨大な橋をかける開発計画が巻き起こりましたが、全国規模の市民運動で阻止できました。
狭い間口の家々が立ち並ぶ風情ある町並みも近年空き家が増えています。今回はその「空き家問題」に取り組む集まりです。
鞆の浦の次の日は広島の設計者や工務店の小さな勉強会を爆心地の隣の「折鶴タワー」で行います。
一旦東京に戻って12日からは「能登の震災被害調査」に輪島市「黒島地区」に行くことになりました。
輪島市内の「黒島地区」は漆塗りを成業にする職人さんたちの住む古民家が立ち並ぶ「重要伝統的建物群保存地区」です。
能登ではボランティアで古い町並みの復興・継承のお手伝いをします。まずは職人さんや工務店の確保です。
地元の設計者と力を合わせて何ができるか探りたいと思います。
クリスマスの25日は「天橋立の平屋」の建前が決まりました。宮津という丹後半島の北端の町で、海に近いため津波の心配があるので「高床式」の「木組の家」を計画しました。床下が「せがい造り」のダイナミックな木組です。現在、建主さんに建前見学会をお願いしているところです。決まりましたらみなさんにお知らせします。
年末に全国各地をいったり来たりする目の回るようこそな忙しさですが、来年の完成に向けて張り合いのある年の瀬になりました。嬉しい限りです。
2024年11月30日 Sat
ブログ | プロジェクトレポート | 小金井の家
3年前に建てた建主さんから当事務所と工務店の現場担当者に嬉しいお便りが届きました。
玄関先の樹も大きくなり落ち着いてきました。大事に住まわれている様子を見ることが出来て設計者冥利に尽きます。
許可をいただいたので転載させていただきます。ありがとうございました。
尚ベランダはひび割れではなく塗装の剥がれでしたのでリタッチすることにしました。
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松井様
小村様
2024年11月28日 Thu
ちょっと気が早いですが、冬休みの日程を考えてみました。
クリスマスの12月25日に「天橋立の家」の上棟式が決まったので、慌ただしい年末になりそうですが、例年通り12月28日(土)から1月5日(日)まで休ませていただきます。
とは言っても休み中もメールは毎日見ていますし、連絡は取れます。いつでもメールください。
松井郁夫・拝
2024年11月28日 Thu
名刺に「建築家何某」と刷っている方がいますが、ちょっと待ってほしい。
「建築家」って人が決めることで自分から言うことではないと思います。
一般的には公的資格である「建築士」と名乗ることがいいと思います。
「~家」とは「その道を極めようとしている人」のことを世間が認めてくれて 初めて「~家」と言えるのだと思います。
だから「建築家」と呼ばれるには「建築の道を極めようとしている人」ではなければいけないでしょう。
一般的には技術者としての「設計士」と言ってもいいかもしれません。また単に構造の計算ができるだけの人の場合も「構造家」とは名乗ることはおこがましいでしょう。
「なにかを極める」ことって、そんなに生易しいものではないと思います。生業の範囲を超えて「社会性」も持たなければいけないし、世の中に「訴求力」を与える「理念」も必須だと思うのです。そのことで「社会的責任」も生じるし。世の中を有るべき方向に導く「先導力」を持つことも必要だと思います。
なんだか世の中がゆるくなって、曖昧になってきたことで「職能」も簡単に言えることが多いですよね。
最近読み始めた「建築の前夜・前川國男論」松隈洋著・みすず書房を読みながらそんなことを思い始めました。
40年前に一晩で一気に読んだ「一建築家の信条・前川國男」宮内嘉久編も衝撃的でしたが、この本で生前の前川先生を思い出して久ぶりに、自分自身の肝に銘じております。ちなみに私の師事した大工棟梁「小川行夫」は前川先生と懇意にしておりました。一度お会いした時のことは、以前のブログ「小川行夫のことを話そう①」にも書いております。
2016年みすず書房刊
1981年晶文社刊
2024年11月25日 Mon
建築の役目とは何であろう?と考える時、ひとつには安全安心の「シェルター」を提供することであろうと思う。
もちろん災害に強く長く使えるように丈夫で美しい「風景」となる「家」を創る必要もある。
さらにさまざまな社会の問題を解決するために建物を建てることも大切な役目であろう。
人々の「心」の拠り所となる差別や分断のない「場」の提供である。
モダニズム以降における建築は「幾何形体」の組み合わせによる「空間」の連続を指すようになった。
「空間」は単なる箱ではなくて、人と人の「心」に密接に関係していて「コミュニケーション」の場を提供し「快適性」や「癒やし」を創り出す。
そういう意味で「家」は人が帰るべきところであり、社会の一単位を形づくる「家族」の大切な容れ物と言える。
さらに「人格」を形成するには欠くことが出来ない「団欒」の器である。
だから「家づくり」は「住まい手」の言葉に耳を傾け「つくり手」の技に信頼をおいて、「家族」のために丁寧に進めなければいけないと、想うこの頃…。
八郷の秋2006年
2024年11月15日 Fri
松井が審査委員を務める、「木材活用コンクール」のチラシが出来上がったのでお知らせします。
今年で28回となる木材業界の青年部「木青連」が企画するコンクールで、昨年より「農林水産大臣賞」と「国土交通大臣賞」に「内閣総理大臣賞」が加わりより充実した顕彰になりました。
詳細はこちらを参照。多くの応募をお待ちしています。みなさん奮って応募ください。
2024年11月15日 Fri
言うまでもないが当事務所では「木組の家」を実践している。
「無垢の木」を伝統的な構法で組み地震や台風に強い家づくりを目指している。
もちろん職人による「手刻み」の仕事による一本一本の材料を丁寧に仕上げ、そのまま見せる「真壁」構法だ。
日本の気候風土に最も適したつくり方だと思うからである。
現在も新築はもちろん古い建物の改修も伝統の「継手・仕口」を駆使している。
こういう仕事がしたいという「職人」は自然と集まってくる。
「木組の家」に住みたいという「施主」も必ずいる。
年間数棟の仕事を楽しんでいるが、仕事が重なると「職人」が不足するので、木組みの勉強会「木組のデザインゼミナール」を21年続けている。
「プレカット」全盛の時代になって「手刻み」を知らない世代が増えたから、いまや大工や設計者の育成は急務だと思う。
新築は「プレカット」でもできるが、「古民家」は解体する時から接合部を壊さないように気をつけなければならないので、「継手・仕口」の仕組みを知らないと「再生」が出来ない。
最近まで国土交通省が「大工育成塾」を主催してくれたが、今は自主的な塾になった。
大工になりたい若者も20年で半減した。3Kと呼ばれる職場環境も悪く仕事に魅力がないのだ。
やりがいのある仕事を作ることが必要だと考えている。出来上がった時の「達成感」は何者にも代えがたいからだ。
無垢の木が織りなす「木組」の水平垂直の美と「真壁」の美しさを知ってほしい。
2024年11月14日 Thu
「民家型構法」という木造住宅の構法が取り沙汰されたのは、今から39年前になります。
1985年に当時の建設省が主催した木造住宅のコンペに当選したのが「民家型構法の家」でした。
わたくしの師匠である「藤本昌也」先生の「現代計画研究所」と「棟梁・田中文男」の「真木建設」による協働の応募でした。
当選した家は「晴海の住宅展示場」で実物を建てることになって、話題を呼びました。
なにしろプレハブ化の波が押し寄せている最中に無垢の木で手刻みによる伝統構法の家が当選したのです。
当時わたしは「現代計画研究所」で都市計画を担当していましたので直接は関わっていませんでした。
しかし退職後に縁あって大工棟梁で建築家の「小川行夫」さんのところに入所したので、必然的に「木組の家」を造ることになりました。
そのあたりの経緯を知らない人は、「現代計画研究所」出身なので「民家型構法」をやっていると言われますが、実はこのブログにも書きましたが、木造建築のすべては「小川行夫」に学びました。小川さんは町場の大工であったので、当然のように庶民の家である「民家」を造るわけです。
実は「民家型構法」には命名の秘話があります。
「田中文男棟梁」と「藤本昌也」先生が知り合ったのは、たしか東大の「太田博太郎」先生の引き合いだったと聞いています。
当時藤本先生は、青山に洋菓子の本店「ヨックモック」ビルを建ていました。その時に社長の自宅を木造で依頼されたのです。しかし「現代計画研究所」ではRCの共同住宅が主であったため木造の大工を知らなかったので、「都市計画」の講義に出向していた東大で「木造の大工を知らないか」と尋ねたところ、太田先生が文化財の修復を手掛けていた「田中文男棟梁」を紹介されたようです。
その棟梁の伝統的な家づくりを見た藤本先生がこれは「民家型」だと命名して雑誌に発表したので「民家型構法」の呼称になりました。
藤本先生は木造にとても熱心に取り組んでいました。「削った材料がそのまま仕上げになる」ことが新鮮だったようです。
わたくしが退職して大工のところに再就職するのを祝ってっくれた席で「大工仕事はすごいなぁ!」と感心しながら嬉しそうに話してくださったのを覚えています。
2024年11月13日 Wed
東京都杉並区の上荻に「デイケア付き木組の家」が始まります。
奥様が拙著「木組みの家に住みたい!」を読まれて当事務所にいらっしゃいました。
数多い要望をかなえるために、現在、作図の進行中です。今年いっぱいで実施図面を完成させて来年から工事が始まります。
二階建ての住宅に4人のお子さんと暮らし、となりの平屋で「デイケア・ルーム」を運営します。
住宅の台所は小上がりに座ってキッチンカウンターで食事をすることになりました。
一階の床が高くなったので、庭に降りるためにデッキと階段を付けました。
広い敷地を活かしてのびのびと建てます。庭も充実させたいですね。
写真は1/50の模型です。白模型なのでイメージが膨らみます。
2024年11月06日 Wed
このブログは以前「構法の変遷」として描いた 建築の話をしよう⑥の一部の再掲です。
昨日アップした「貫」に焦点を当てて国土交通省が行った実大実験(2007年~2011年)から見えた知見を再度載せました。昨日のブログの根拠となる実大実験です。御覧ください。
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ここに日本の「木造住宅の構法の変遷」を図にしました。
この図からは、明治維新で江戸時代以前から続く日本人の伝統的な生活や文化が大きく変化したことがわかります。
日本は明治時代になるまで300年もの間「鎖国」をしていたので、西欧の影響を受けずに独自の建築文化を継続し、日本の伝統を受け継いできました。
ところが明治24年の「濃尾地震」を契機に、地震調査を行った「お雇い外国人建築家」によって西欧の力学にシフトしていきます。
「木造軸組構法の近代化」(2009年発行・中央公論美術出版・源愛日児著)によれば、「筋違」や「土台」「胴差」などの部材は江戸時代にはありませんでした。
地震国日本において「粘り強く」繰り返しの地震にも「復元力」を発揮する、最も重要な耐震要素の「貫」は壁の中で筋違と競合して衰退していきました。
1950年(昭和25年)に「筋違」が築基準法に位置づけられたため、現在わたしたちの住んでいる住宅は「日本の家」というより西欧化した「和洋折衷」の家となったのです。
最近、地震被害のたびに一階が潰れて二階が道路に落ちている写真を見かけますが、これは「筋違」が圧縮側に働いて「胴差」を押し上げ「通し柱」を折ってしまうからなのです。
そのことは2007年から2011年までおこなわれた国土交通省による「伝統的日本家屋の実大実証実験」によって明らかにされております。実験は、土壁と貫の「伝統的な日本家屋」をつくばの実験装置である動かない「反力壁」に押し当てて繰り返し加力し「層間変形角」1/15のまで傾けてその後の耐力をはかることでした。
実験は5回の繰り返しの加力で30センチ傾いたところで余力10トンを残してそれ以上倒壊しないことが確認されました。貫がセイフティとして働き倒壊を防ぐようです。
この実験からも、もう一度粘り強く地震に耐え復元力を発揮する「貫」を見直さなければならないと思います。
「貫」はやめてはいけない のです。
明治になって伝統構法は西欧化した
土壁と貫でつくった実験棟 1/15まで傾けて全ての通し柱が折れましたが、2階は無傷でした
繰り返しの加力に5回耐えて18センチ変位したところで止まり余力10tありまりました。50センチ傾いてもこれ以上は倒れません。
2024年11月05日 Tue
現代の「在来工法の家」では下地材としか使わなくなった部材に「貫」があります。
「貫」はもともと大切な「構造材」で土壁をつくるときに柱と柱の間に小幅板を梯子状に貫通させて小舞と呼ばれる細い竹材を固定するために用いれられていました。
明治24年の「濃尾地震」のおりにお雇い外国人建築技術者たちが「筋違」を耐震壁に採用したので「貫」は壁に中で競合して後退しました。
それでも土壁が一般的だった昭和30年代ころまでは当たり前に使われていましたが、ラスボードという穴開きのパネルが現れて土塗りの下地を代用するようになって、ますます後退し「構造材」から薄い「下地材」になってしましました。最近ではパネル化された壁が台頭しているので、「貫」さえも見なくなりました。
このブログでは何度も述べていますが「貫」は建物が傾くと柱の中で「ノッチ」がかかります。「ノッチ」とは横材の貫が柱との接点で上下に揺れて衝突を繰り返すことです。
また「貫」は「めり込み」や「摩擦」を起こして力を「いなし」ます。つまり揺れながら「地震力」や「風力」を「減衰」する「柔構造」なのです。
繰り返しの揺れにも粘り強く「貫」が潰れて柱や梁が折れない限り「倒壊」に至ることはありません。さらに、傾いた建物をもとに戻す「復元力」もあります。
木の「めり込み」は繊維の直交方向に強いので最初の強い力で建物が傾斜しても、いつまでも「ぺしゃんこ」になることがないのです。
反対に「筋違」のように力に対して「剛構造」で対抗しようとすると、耐えきれなくなって「破壊」することがあります。それを「脆性破壊」と呼びます。
日本のような「地震」や「台風」の多い災害国では「貫」はやめてはいけない!部材だったのです。
「ノッチ」の仕組み 木造住宅【私家版】仕様書 118ペ―ジ
2024年11月03日 Sun
建築を構成する要素に「架構=骨組み」や「外皮=外部仕上げ」があります。
「住宅は骨と皮とマシンからできている」(2003年発売農文協)といったのは藝大の先輩の故・野沢正光さんです。
建築を実に合理的に分析し、まさに「架構」と「外皮」と「マシン=設備器具」を明確に分けて語りました。
また、そのとおりに実践する「クール」なひとでした。わたくしは同じ藝大でも建築学科ではなかったので、建築学の基本知識のない私には常に刺激されっぱなしでした。
野沢さんと知り合ったのはお互いの子どもの幼稚園の運動会でした。
小さな公園を借りて父母たちが主体の手作りの運動会を楽しんでいるときに、ベンチでビールを飲んで観戦しているおじさんがいました。明らかに年上の幼稚園の子どもがいるようには見えない風貌だったのです。
第一声が「子どもが走っているのを見ながら飲むビールはうまいなぁ!」でした。その言葉に賛同して一緒に飲むことにしました。飲んでいるうちに、お互い同じ藝大出身だとわかると急に親しくなりました。
建物の内覧会にも招かれて何度か伺いました。中でもご自宅は博学さがにじみでた秀作だと思います。彼の創る建築は理解することがとても難しくて科学にうらうちされた難解な建物でした。
農協の建物をたくさん手掛けている「大高正人」事務所の出身で、わたくしの師匠の「藤本昌也」は大高さんに師事した建築家なので兄弟子筋に当たる間柄です。
いろいろな話をお聞きしましたが、大変広い視野をもつ人で驚かされる話しばかりでした。
ある時「設計者は【社会的責任】を取らなければいけないんだよ」というのです。
それは何かと問うと「僕たちは造ってから責任を取るのではなくて造る前から世の中に責任があるんだ」というのです。
わたしにとってそれは未だに難しくて、よく理解して造らなければいけないと思いながら設計していますが、以前このコラム⑥でも描いた「歴史的視座を持つ」ことに繋がる設計者の覚悟のことだと思います。
2024年10月30日 Wed
「民家」は「民藝」の中に含まれる「庶民(たみ)の家」です。
「民藝」の設立から100年が経ちました。
「民藝」の創始者・柳宗悦と濱田庄司は大正15年の「日本民藝美術館設立趣意書」の中で次のように宣言しています。
―「民藝」には純粋な日本の世界があります。
外来の手法に陥らず、他国の模倣に終わらず、全てをこの国の自然と伝統から汲んで、日本の存在を鮮やかに示しています。
おそらく美しさにおいても、丈夫さにおいても日本の独自性を最も顕著に示しているのは、各地に残る伝統「民藝」でしょう。
「民藝」には自然から生み出された健康で素朴な、実用の美を見ることができます。
古い民家の前に立つと、無名の職人たちの声が聞こえてくるようです。
人々に生活の日常がよみがえってきます。無作為と無心の純粋な「用と美」の姿があるからです。
わたしたちは長らく、日本の工芸の本流が「民藝」を貫いてきたにもかかわらず、あまりにも普通で身近なものなので気づかずにいました。
すすんでその技術と美しさを引き継ごうとしてこなかったのです。このままでは、世界に誇る技術と美を失うことになります。
いまこそ埋もれていた「民藝」に光を当てる時です。新しい価値を見出し、ありのままの「手仕事」と新しい「工芸」を進める時です。―
普段使いの「雑器」の中に「用」の「美」を見出し、民(たみ)の器や道具に新しい価値を発見した「民藝運動」は、いまや日本全国に工芸品を掘り起こしました。
大衆に使が使う「量産品」の器は「工業生産品」に代わり、今では当たり前に生活の中に溶けこんでいます。
大学で「工業デザイン」を専攻し、研究室には「工業ニュース」とともに「工芸ニュース」のバックナンバーが揃っていました。大量生産を目指す「工業デザイン」は「民藝」から始まり「工芸」になり流れが続いてきたのだと思います。
それが、わたくしが「いつか民家になる」を目標にした木組の家づくりを続けている所以です。
この度機関誌「民藝」863号に取材された茅葺きの座談会の記事が2024年11月号に掲載されたことは望外の喜びです。
2024年10月29日 Tue
ブログ | プロジェクトレポート | 南房総の古民家再生
明治時代と言われる古民家の再生を続けています。ご相談があってから一年7ヶ月になりました。
大きな平屋で中央の家はおそらく明治のものだと思います。両翼に昭和の増築が加えられて50坪の大きな家です。
本日は解体中の床下の調査に行ってきます。
新宿バスタから高速バスが便利です。
すでに計画案もまとまっていますが、ご予算の関係で温熱向上はできないことになりました。
それでも、なんとか「寒さ暑さを取り除く家」にならないものか現場でよく考えたいと思います。
2024年10月26日 Sat
「能登災害復興」のお手伝いをすることになりました。昨日のことですが、旧知の都市計画事務所から連絡があり打ち合わせをしました。
今年の元旦に起きた「能登地震」は大きな被害をもたらし、さらにその復興の最中の9月には豪雨によって再び被害が広がってしまいました。
日本海に突き出すような「能登半島」は道路網が付け根の道に限られているため救援の物資の輸送に苦労していたところに土砂崩れが起きて一時孤立しました。
海からの輸送は地震による地盤の隆起が激しく海岸に船が付けられなくて困難だといいいます。
珠洲市の被害が大きくTVでも再三報道されていますが。朝市の立つ中心街は地震の際の火事で焼けてしまったままです。
さらに「輪島塗」の職人さんたちが多く住む集落「黒島地区」も被害にあって苦しんでいるようです。
その「黒島地区」には文化財の古民家を始め、伝統的な民家が多く残っています。復興には「古民家再生」の技術者が必要ということで、実績のある当事務所に相談がありました。
出来ることを検討するために被害の実態を知り、地元の大工さんたちや設計事務所を訪ねる事になりそうです。
以前にも中越地震や東日本大震災の復興のお手伝いをしたことがありますが、毎回緊張します。
まずは現地入りする必要がでてきました。またご報告します。
2024年10月25日 Fri
住まいの環境づくりには温熱のコントロールが大切です。
今年の夏のような暑さが続くと、ますます室内の温度調節をすることが必要になってきます。
かといって地球環境をに負担をかけるような二酸化炭素の排出は控えるべきです。
室内の温度を寒くもなく熱くもない適度な温度に保つことができれば無駄な電力消費もなくすことができます。
エアコンを使ってむやみにに冷やしたり温める方法は電力の無駄遣いと環境負荷を招きます。
また、不快な温風や冷風は体調不良につながりリます。
そこで「体感温度」に着目しました。
「体感温度」は室温ではなく「周壁の壁や天井からの輻射熱」で得られます。
極めて健康的な空気の質ですから、ほんわかとした「輻射熱」で終日快適な生活を送ることができます。
そのためには外部の気温に左右される屋根や壁、床や窓の断熱性能を向上することが必要です。
もちろん隙間風を防ぐために「気密性」を上げなければいけません。
住宅で言えば、外壁や床下や屋根に高性能の断熱材を採用することです。
いわゆる「外断熱」が最も効率の良い方法です。
2024年10月20日 Sun
「庭屋一如」(ていおくいちにょ)という言葉があります。「庭と建物は一つの如し」という意味です。
家をつくる時に家だけが立派に完成しても片手落ちということでしょうか。
つまりは庭と建物が融合し自然と調和する生活空間が必要だという意味に受け取ることができます。
「環境と共生」する建物をがいいという意味でしょう。
古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難くつながっている」
という日本人の心情があらわれています。
「高円寺の家」では一階と二階を合わせても19坪という住宅密集地の狭小住宅ですが、
オーナーの「庭を見て暮らしたい」という唯一の要望を叶えました。
その他はお任せだったので、すべての部屋から庭が見えるように計画したのです。
浴室の窓は開けると庭木の枝に触れるように梢を配置しました。
小さな家の割には大きな「吹き抜け」をつくり庭の緑を生け捕りしました。
おかげで「外とつながる」事ができ実際以上に広がりを感じる家になりました。
2階の屋上庭園には裸足で降りることができます。いつかここでバーベキュウをやることになっています。
下のタイトルをクリックするとHPにつながります。
2024年10月19日 Sat
木造建築の「架構」のつくり方にはふたとおりの種類があります。
「真壁づくり」と「大壁づくり」です。
「真壁」というのは柱や梁などの骨組みを全て見せるつくり方です。柱と柱の間に壁をつくります。
一方「大壁」というのは柱や梁を全て壁に中に入れて骨組みを見せなくする工法です。
対象的なつくり方ですが、見かけの違い以上に重要なことは「真壁」にはつくる場合は逃げやごまかしが効かないので仕事が難しくなることです。
「大壁」の場合は「構造材」を壁の中に入れてしまうので、どこに柱が入っているのかは気になりません。
他方「真壁」では構造材がすべて見えるので、柱や梁の配置が室内のデザイン「展開図」の決め手になってきます。
また「構造材」は力の流れに沿ってバランスよく耐震的に配置しなければなりません。「耐震構造」は住んでいる人の命に関わるからです。
わたくしの事務所では開設当初から「真壁づくり」と決めております。「大壁づくり」では力の流れがわかりにくいので「耐震的」な住まいをつくれないと考えているからです。
常に壁の中までレントゲンのように透けて見えるくらいに分かりやすいほうが住んでいて安心だからです。
また室内から全ての柱・梁を「木組」で組み「継手・仕口」を見せていることが特徴です。
「真壁」の壁は漆喰塗りで仕上げることにしていますが、壁も木も多孔性の自然素材で調湿調温作用を発揮できることが特徴です。
つまり人間の肌と同じように「呼吸」するので「体感」に優れています。
2024年10月18日 Fri
ここに1970年に発刊された「人間都市」(鹿島出版)という本があります。
クリストファー・アレクサンダーという数学者がまとめた「提案本」です。
提案内容は「都市」から「住まい」まで多方面にわたっています。
内容の多くは「都市と住宅」の関係に誌面を割いていますが、提案は言葉よりも概念図のような「イラスト」で表しています。
その中で「リビングルーム」は外部と住まいをつなげる「プラットホーム」のような位置づけという項目があります。
家の明かりが外にいる友人たちを呼び寄せるのだから外に開かなくてはならないともいいます。
50年以上も前の考え方ですから、良い時代の愛情で溢れています。
しかし、あながち昔話とは思えない「現代」にも必須ではないかと思える提案もあります。
序文よりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
都市は、そこに住む人すべてによって創りだされるのでなければ、人間性に富むものとはなり得ないとわれわれは信じる。
このような都市を生み出すためには、簡明に表現され、容易に人と分かち合え、しかも自由に批判を許されるような都市計画のアイディアを知る権利が、社会の全員にあたえられねばならない。
われわれは、過去数年にわたって、都市のアイディアを表現し盛りこむための基礎大系をつくり出そうと努力してきた。
この本は、そうしたアイディアをひとつにまとめようとする最初の試みである。
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大切にしていた本でしたが、引っ越しの際になくしてしまったようです。
「人間性」を信じて「外に開く」こともまた「住まいづくり」には大切だと思います。
2024年10月17日 Thu
「矩計」(かなばかり)という言い方は、建築に携わっている人以外ではあまり聞き慣れない言葉かもしれません。
建物の高さ関係を把握するときに使う用語です。
設計用語の「断面図」と似ていますが、建物の主要な高さを確認するための計りであって、大工さんは一軒の家づくりの前に、一本の棒に印をつけて現場で使う「矩計棒」という道具をつくります。建物によってその都度つくるので一度しか使いません。
その「矩計」から「住まい」を考えることは大変重要です。
添付のスケッチは現在進行中の「木組の家」です。
ダイナミックな構造ではありませんが、室内の「暮らしの様子」がよく分かると思います。
このようなスケッチを描いている時が一番楽しく時間を忘れます。
わたしたちの仕事は「快適で暮らしやすい空間」を提供することですから、この一枚にすべての気持ちを込めています。
部屋の高さをギリギリまで抑えて天井や屋根を低くもなく高くもない適正な寸法を探ることで緊張感のある空間ができるのです。
「矩計」が決まるとそれを立面に反映させます。立面も良いプロポーションを探るためにスケッチで練るのです。
家は内部も外部も「矩計」によって「質」が決まると言っても過言ではありません。
プロジェクトレポート