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2024年09月24日 Tue

我が師「小川行夫」のことを話そう⑧

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わたくしの事務所の周りには小川行夫の建てた建物がたくさんあります。最初に建てたのがカミさんの家で当時からモダンな外観が人目を引いたのでしょう。近所の知り合いがこぞって小川さんに家の設計を依頼しました。

義父がNHKのシナリオライターだったこともあり、その家を建てた建築家として信頼されたのでしょう。まわりはちょっとした小川建築の住宅街という様相です。

親戚の家も全て小川さんの設計でしたからカミさんと結婚してこの町に住み始めた頃には、わたくしの設計者として入り込む余地がありませんでした。

もう60年も前の建物ですが、今回改めて見て回ってその先進的な外観に感心しました。

最初小さなカミさんの家は金融公庫を借りて建てたのが始まりで1959年(昭和34年)から1969年(昭和44年)まで度々増改築を重ねてきました。少しずつ拡張して二階建てに作り変えたりしています。

この二階の上棟の時の騒動は前にもお話しましたが、建前の次の日に解体して建て直したという話があります。大工が柱の長さをもったいないと思って勝手に3メーターの柱材をそのまま使ったので設計とは違った階高になったという理由で小川さんを怒らせたのです。流石に二度の建前 には驚きますが、当時は図面を読めない大工も多くいたのでしょう。

次にカミさんの友人の家ですが、この家あたりから傾斜屋根のない陸屋根の四角い家を作り始めます。今見ても斬新でモダンな家ですが60年前の設計とは思えません。

1階のRCの壁が建物の真ん中を貫通しています。その両面に「花」と「鳥」の文字が彫り込まれています。小川さんの依頼で彫刻家が現地に来て彫っていったそうです。

おそらくRCの壁は力を負担してなくてあくまでも飾りだとおもいますが、こんな遊びが許された時代だったのでしょう。

もう一軒近くのRCの建物に同じように壁の貫通した建物がありますが、驚くことに、こちらは二階の架構までもRCの駆体を貫通しています。この家で初めて小川さんに対面したのですが、初対面のわたしに恥ずかしそうに照れていた姿を覚えています。基本的には人見知りなのです。

このときはまだよく小川建築を飲み込めないでいました。変わった家だなぁ!くらいの印象でした。しかし、このブログを書くために改めて写真を取りに廻ってきましたが、どの建物も若い小川さんの新進の気概を強く感じました。これが大工から設計に進んだ人の家には見えません。

外壁は当時出たばかりの船舶の甲板に使用するようなベイマツの合板です。朝日ウエルドウッドといいます。ベイマツの木目の際立ったパネルで水にも強いので外壁にも使える優れものです。

いまでは外壁材といえば、窯業系のキッチュな木目の板が市場を席巻していますが、当時は厚張りの合板パネルが流行ったようです。

無垢の木に近い新しい合板を得意げに使う小川さんのドヤ顔が浮かんでくるようです。(笑)

2024年9月23日撮影