プロジェクトレポート
2013年05月28日 Tue
ブログ | プロジェクトレポート | 髙円寺の家 オーナー連載 | 高円寺の家
「高円寺の家」のオーナーのKさんによる連載エッセイの第18話です。
木組の家に住み心地を、不定期連載でお届けします。
「高円寺の家」施主
第十八話
父と兄ががっしりスクラムを組み、妹たちはつないだ手をはなさない
松井さんにお願いをして高円寺の家を建ていただくまで、わたしは建築について何も知りませんでした。
それが戦後の建築史などを語ったり(17話)して、生意気このうえないことになっています。
どうぞ素人の戯言だとお見逃しください。
先日、おこなわれた高円寺の「お住まい見学会」(15年4月)にわざわざ山口県から来られた方がいらっしゃいました。
リフォーム会社にお勤めで、社長が木組みの家を気に入って、会社から派遣されたのだといいます。
山口に帰ったら見学会と家の様子を社員や社長にレポートしなくてはいけないと、写真をたくさん撮っていました。
彼は、「写真をいくら見せても、私がいくらプレゼンしても説明できないことがあります。それは、この家の居心地よさなのです」と漠然とした居心地のよさを、口では伝えきれないもどかしさをおっしゃるのです。
私もこの連載を通して、自分の身体が汚れなくなった、冬に乾燥しない、
熱帯夜でも涼風のなかで就寝できている、などと家の利点を挙げてきましたが、
いちばん肝心なことが表現できないでいるのに気づきました。
それは、山口の方と同じで、この家の居心地の良さをどうしても言葉で表せないでいるのです。
もう、実際に来てもらって感じていただくしかありません。
そして、見学した方たちが一様に口にするのがその居心地の良さだったりするのです。
今回はがんばって、木組みの家の居心地について究明してみたいと思います。
今回の見学会で耳をひいたのは松井さんが説明していた次の言葉です。
「建物はいつも小さく動いているのですよ」ということ。
私はそれをお聞きするまで建物というのは地面から屹立して微動だにしないものだと思っていました。
でも考えてみれば、風が吹いたり気圧の変化などの気象条件もあります。地殻の動きだって考えられます。
それに合わせて家が小さく動いているのは、言われてみれば当たり前のことでした。
庭の木立でさえ風に吹かれて小さくそよいでいます。家がそういうことに影響されないことはあり得ません。
ただ、建物には、鎧のように固めて環境に負けないように作るのと、
自然と調和するように建てられるものと2種類があるらしい。
そのことを少し詳しく見ていきたいと思います。
西洋の建物は「剛」の設計
日本家屋は「柔」の建物
というのはよく比較されることです。
「柔」が支配的であった日本の建築様式も明治維新の西洋化により、「剛」の考えが取り入れられてきました。その結果、建物を地面に縛り、ボルトで締め付けて自然災害に負けないような設計が主流になってきたようなのです。それは「剛」の方が構造計算として数値化しやすいからのようでした。
西洋の考えは数値化がすべてです。一方、日本の伝統というのは形に残しにくい文化で成り立っています。
昔の大工には設計図がなく口伝で技術を継承してきました。
楽譜はなく、口唱歌(くちしょうが)で伝えられる伝統楽器。
シナリオ台本を用いず口伝で全体化する舞台芸術。
そして、数値化できないような日本家屋の柔構造。
前回、お示しした在来工法の筋交いを例にとります。
筋交いをしてそこに何寸の釘を何本打ち付けると、それで構造計算ができるらしいのです。
さらに壁板を貼ればもっと強度が増し数値化ができる。素人的に考えると、つまり構造計算とは建物を強固にする計算式なのかもしれません。
でも、災害はいつも想定外の力で襲ってきます。
いくらボルトで締め付けても、大きな揺れがあったら木材は金属に負けて砕かれてしまいます。
木材を金具で固定して強固にするからこそ、それがかえって脆い原因をつくるともいえるのです。
松井さんが木組みの家を志したきっかけは95年の阪神淡路大震災の現地調査だったとお聞きしています。
先年の東日本大震災で大きかったのは津波の被害でした。
大正時代の関東大震災では火災だったと記録にあります。
そして、松井さんが調査した阪神淡路大震災では、建物の倒壊による圧死が多かったというのです。
住む人を守るはずの家が、そうではなかったのですから建築家としてはショックだったと思います。
以来、松井さんは木組みの家に取りかかるようになった。
さて在来工法の筋交いを例に出しましたので、伝統構法の「貫(ぬき)」はどうなっているのかを検証したいと思います。
これが居心地の良さを解明する今回のテーマです。
「貫は木組みの家では不遇です」これは松井さんの口癖です。貫は、とても大切な役割をしているのに、家が完成してしまうと漆喰壁にかくれて見えなくなってしまう。
木組みの家で前面に姿を見せる「柱」や「梁」が主役だとしたら、「貫」はそれを脇で支える黒子なのかもしれません。
貫とは名前の通り、柱と柱の間を貫き通しています。柱同士に手をつないで支えている様子を思い浮かべてみてください。貫は柱同士を支えますが、それはがっちりと固めているわけではありません。
柱が動けば一緒に動く。
まさしく柔構造。
その貫の上に漆喰などの泥壁が塗られます。
大きな地震で揺れれば壁はぼろぼろになる。
ボードや合板壁をがっしりと金物で打ち付けた剛建築から比べれば一見しても弱々しそうです。
ですから日本家屋は強固な建物を求めるための構造計算が成り立たちにくい時代が永くつづいたようです。
柔構造なので数値化できないといった方がわかりやすいのかもしれません。
それでは想定外の地震があればどうなるのか?
大きな揺れがあっても木で組まれた柱と梁です。
がっしりとスクラムを組んで揺れを吸収しようとします。
そして、貫は何があってもつないだ手を決してはなそうとはしない。
柱と梁が父と兄に例えるなら、貫は妹たちなのかもしれません。
さて、今回のテーマである、木組みの家の居心地の良さについてです。
大きな地震に遭遇するのはまれなのですが、家は小さな気象現象によっていつも揺れている。
それに負けないようボルトで締め付け、壁を金具で固めて頑強にした「鎧」のような建物が一方であります。
その鎧の空間にいることが果たして心地よいのかということです。
木組みの家は、自然の環境を吸収しながら小さく揺れている。
それは組まれた柱や梁のお陰だし、一見ひ弱そうな漆喰壁の効果もあるのでしょう。
それを陰で支える貫の存在も関与している。
この柔構造こそが住む者に居心地のよさを与えているのではないかと、私は思っています。
完成して今はもう見えないけれど壁の中でつないでいる手に、わたしはいつも感謝して暮らしているのです。
<第十九話につづく>
連載「木組みの家に住んで」まとめページはこちら
「松井事務所」より
「安心できる」という心地よさは、家にとって、とても大切なことだと考えています。
木組みの家の安心のひとつには、地震があっても倒れないということがあり、建主さんにはいつも「大きな地震が来たら、家が一番安全なので、外に飛び出さないでくださいね」と言っています。
でも、安心できる居心地の良さをつくるためには、地震で倒壊しないだけでなく、ほかにもいろいろな知恵と工夫があって、それはありがたいことに、この連載でたくさん触れていただいています。性能も意匠も、「総合的」にデザインすることで、居心地の良い家になるのだと思います。<匠>
2013年05月24日 Fri
ブログ | プロジェクトレポート | 高円寺の家
太陽光発電の設置と、省エネの工夫をした「高円寺の家」。
5月の電気料金は3,700円で、売電分3,500円を差し引くと200円だったそうです。
これからの時代に向けた
「燃費の良い木組みの家」です。
2013年05月23日 Thu
最近、小さな家のご相談を受けるようになりました。
そこで、狭小地でも建てられる「小さな木組みの家」を、
お求めやすいパッケージプランでご用意いたしました。
永く住める丈夫な木組みの骨組みは、将来の増改築も可能です。
本格的な木組みの家が、この価格で実現できるのは、ワークショップ「き」組みだけです。
地震に強く、省エネで燃費が良く、快適な住み心地で、
いつまでも飽きのこないデザインの木組みの家をつくりませんか?
2013年05月17日 Fri
日本住宅新聞に「高円寺の家」が特集されました。
”伝統構法・真壁・板張り外壁でも、準耐火建築を実現”と題し、大きく取り上げられています。
「構造材を太くする燃えしろ設計や外壁の工夫によって、準耐火建築物でありながら真壁仕様・板張り仕上げの外壁を実現。モルタルやサイディングの建物が並ぶ中で圧倒的な存在感を放つその住宅は、防耐火性と木材の利用という、一見相反するかのような条件を高いレベルで両立させている(中略)木造による準耐火建築物の可能性を最大限に引き出している事例だといえるだろう。」(記事より抜粋)
エアコン一台で全室の空調をまかなっている省エネの工夫や、太い材の「木組みの家」ながらモダンに仕上げている点なども評価された記事になっています。
2013年05月16日 Thu
ブログ | プロジェクトレポート | 南房総の古民家再生
解体工事が進むにつれて、床下や屋根裏の骨組みが見えてきました。
明治40年の建物は、実に丈夫な骨組でできています。
特に、床下と屋根を支える木組みが丈夫です。
床下の足固めには、太いボルトを使っていました。
このころになると、大きな金物が手に入ったのでしょう。
足固めは、松材の8寸板で土台併用です。
土台は腐朽が少なかったのですが、足固めの松材はほとんど取り替えました。
また、床下の湿気で結露したボルトは、木の栓に取り替えました。
足固めは、桧の4寸角をクサビ締めしました。金物を避ける作り方です。
クサビ締めの足固めは、奄美大島のヒキモンづくりに学びました。
建物が動いても壊れない、丈夫な床下をつくります。
日本の伝統構法が息づいていたころの古民家ですから、木組の知恵と工夫でで改修しました。
「限界耐力設計法」という構造の解析のおかげで、伝統構法の建物に適した再生が可能になりました。
基礎石の上に建物を載せたままで、構造補強ができるのです。
丈夫な骨が出来上がり、これからいよいよ断熱改修と心地よい仕上げの始まりです。
2013年05月14日 Tue
松井事務所の取り組みをニューズレターにし、建て主さんに最新情報をお送りして、今年でちょうど20年になります。
1994年春の1号から2013年冬の最新号54号まで、不定期の発行ですが、みなさまに好評を得ています。
もとはといえば、年賀状のやり取りの際に、これまでの建て主さんから「いまはどんな建物をつくってますか?」と聞かれたのがきっかけでした。そこで、建物のメンテナンスの相談をお受けしようと考えて、ニューズレターを思いつきました。建て主さんとのコミュニケーションを計ることが目的です。
Communication Network for Live (コミュニケーション・ネットワーク・フォー・ライフ) 通称 COMINET LIVE (コミネット・ライブ)と呼んでいます。
毎回の誌面に、その時期に動いている事務所の取り組みのことや、考えていることなどをつらつらと書き始め、あっという間に20年経ちました。
10年ひと昔といいますが、20年の間にはいろんなことがありました。その時々の仕事の話題は、こちらの気持ちを伝えるメッセージにもなっています。改修やメンテナンスのご相談もお受けしております。
20年間で、最も大きな事件は、1995年の阪神淡路大震災でした。
建物の下敷きになって亡くなった6434名の命を考えると、わたしたちのつくる建物は、大地震に対してどうあるべきか、重い課題を突き付けられました。
その後の実務に、これほど影響した出来事はありませんでした。それからずっと地震に強い家づくりを目指して、今日まで来たといっても過言ではありません。
この地震を契機に、地震国である日本が、湿度の高い気候風土であるがゆえに「開放的かつ耐震的」な家づくりを望まれるという、相反する命題に取り組んできました。
「これからの木造住宅を考える会」を立ち上げ、勉強会を重ね、地震に強い木組みの家づくり図鑑「木造住宅【私家版】仕様書」を共同執筆し、伝統構法の復権を唱えてきました。2007年より、国土交通省の伝統構法の見直しの委員会には、実務者として参画してまいりました。
耐震的かつ快適な日常を送ることができる家は、これからどうあるべきか?お客様からお仕事をいただくたびに、努力を重ね、丈夫な骨組と快適な室内空間をつくっております。
毎回のコミネット・ライブの通信が届くことで、ご無沙汰している方にご連絡差し上げても、すぐに会話が弾み、おかげさまで建て主様との交流を計ることができています。
最近では、東日本大地震後のエネルギーの問題に対応すべく、温熱環境の設計に取り組み、さらに快適な家づくりを目指して情報を発信してゆくつもりでおります。
松井事務所では、これからも建て主さんのそばでお役に立ちたいと願っております。どうぞ、ニューズレターをよろしくお願い申し上げます。
2013年 / 5月-->