プロジェクトレポート
2006年02月27日 Mon
金沢美術工芸大学で、お世話になった先生の退官記念講演がありました。毎夏、集中講義で定宿にしているホテルの前が大手堀です。最近再現された菱櫓もあり、城址の風情の残っている場所です。力強い石組に根の絡む松や杉などの緑が、お堀の水面に美しい陰影をを落としています。
「金沢 大手堀」
2006年02月24日 Fri
山形へ行くたびに訪ねていた「隠れそば家、茂三郎」のぶっかけそばを描きました。これがおいしい!親父さんが一回そばを打つと6人前出来るのですが、お客が多いとひっきりなしに打つことになり、待たされます。それでも食べたくなるそば家です。奈穂
山形・茂三郎「ぶっかけそば」
2006年02月23日 Thu
また山形です。蔵王の温泉に行きました。地元の人が入るお風呂で200円の入浴料を自分で入れてから入ります。硫黄の温泉で芯からあったまりました。その帰り町の中にあったお汁粉屋さんに入りました。つきたてのお餅が入っていておいしかった。 奈穂
蔵王・おしるこ
2006年02月21日 Tue
松井奈穂です。次男が4年間過ごした山形に卒業制作を見に行ってきました。久しぶりに山寺に行きました。芭蕉が訪ねたことで有名なところです。寒くて凍える中、橋の上から山頂のお堂を描きました。息子3人はその間に山頂まで走ってのぼって来ました。雪ですべり何度も転んだようです。それもまた楽しい思い出になります。
山形・山寺
2006年02月17日 Fri
萩に行ってきました。スケッチは木戸孝允の旧宅です。この裏には、高杉晋作の旧宅もあります。伊藤博文もこのまちで生まれ育ちました。その他にも、多くの偉人がこの美しい萩から輩出しました。今回は、木材コーディネーター小池さんの招きで出かけてきました。先代の頃からお世話になった、材木商です。天然乾燥の松や欅にこだわり、倉庫には素晴らしい材料が出番を待っています。倉庫に眠る素材が生かされれば、先代も喜ぶと思います。
「萩 木戸孝允旧宅」
2006年02月15日 Wed
スタンレイ公園には大きな湖もあってヨットが繋がれています。街の中心部に巨木が育ちリスがいて木の実をかじり、人々は湖に遊ぶ・・・・なんて贅沢な街でしょう。東京と比べ物にならないですよね。都市から自然が失われて、人間がおかしくなって・・・
「カナダ ヨットハーバー」
2006年02月11日 Sat
息子の版画です。大学で版画を学びました。アンコールワットへ旅行したとき飛行機の乗り換えのためシンガポールに降り立った時のイメージ作品です。
「TRANS FAR」
2006年02月10日 Fri
カナダの国旗にもなっているメイプルの木はスタンレイパークのあちこちにあります。メイプル・シロップのメイプルです。その昔メイプルの木がカナダ国民を飢餓から救ったと聞いています。こんな公園がバンクーバの街なかにあるなんて素敵ですよね。
「カナダ メイプルの並木」
2006年02月07日 Tue
今度は娘の参入です。去年石垣島、西表に行ったときに描いたスケッチです。台風の後少し海が荒れている様子です。かわいいカニもいました。
今年は沖縄に移住をたくらんでいるところです。
「沖縄 離島にて」
2006年02月06日 Mon
逗子市で、昭和のはじめに建った和洋折衷の立派な旧家を改修することになりました。内部にはお茶室のある数寄屋造りです。3年がかりの計画ですが、造園会社からのご紹介で実現しそうです。早速現地に出かけてきました。蘆花公園の展望台からのスケッチです。前の日の雨で霞がかかっていますが、真白な富士山が江ノ島越しに大きく見えました。
「逗子 富士山」
2006年02月03日 Fri
出版社=工作社 / 1,100円
「自然素材・子供を育む木の家」という特集の中で、「青梅の家(ワークショップ「き」組)」の4人の子供たちが家中くまなく走り回っている元気な姿が紹介されています。ロフトや勉強部屋、キャットウォークまでも自分達の居場所にするたくましい、かわいい子供たちと木組みの家です。
2006年02月03日 Fri
今日の床飾りです。節分にちなんで、軸は宗旦(利休から三代目)の句「節分の年を分けたし今宵かな」絵は豆まきの枡とヒイラギの葉です。花は椿と夜叉ぶし。福徳利の花入れが福を呼ぶという指向でしょうか。香合はヒイラギをかたどった焼き物です。玄関にもヒイラギの葉と豆ガラが下がっていました。鬼は外!福は内!
「茶道 節分」
2006年02月01日 Wed
突然ですが、松井のスケッチがブックカバーに採用されました。実業之日本社出版「本多静六自伝 体験八十五年」の銀杏の絵です。以前内装を設計したデザイン事務所の方がスケッチを採用してくださいました。これを機会に本を読みましたが、本多静六(1866~1952)という人は大変興味深い人です。山林学校(現・東大農学部)教授でありながら、地道な貯財で富豪となりました。日比谷公園の設計者であり、山林は国土の保全のために重要だと言う考えから、国立公園を法令化に結びつけた人です。後藤新平や渋沢栄一、新渡戸稲造と交流があり東京復興計画の影の立案者でもあります。その実践論は多くの示唆に富んでいます。ぜひご一読をお勧めします。続編もあります。
「ブックカバー 銀杏」
2006年 / 2月-->